<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

かがやかせるものにかがやかされている歓喜

2014年09月04日 15時35分04秒 | Weblog
今朝は真夜中の1時半過ぎには目が覚めてしまいました。一晩で何度もトイレに通います。老人の夜の仕事がこれです。

もう一度寝付こうとしましたが目が冴え渡ってしまいました。すると不思議や不思議、詩がするすると湧いてきました。急いで起きて電気を灯してメモをしました。そして「石」という詩が出来上がりました。



「石」

かがやかされておりました

石は
かがやかされておりました

かがやかされておりました
石は
千歳も万歳も
かがやかされておりました



この耀かされている石は、わたしです。

かがやかされているだけでいい、とそのようにこの頃一段と強く思うようになりました。その最も大きな理由は、耀かせる力がわたしの内部に見いだせないでいるからにほかならないのでしょう、さしずめ。

わたしに耀かせる力があったとしてもそれは仏陀のそれとは対比できません。もしも仮にそのような力をいただいているとしても、それを1とすれば、仏陀のそれは1兆。1兆倍の仏陀の輝きでわたしの1は途端に掻き消えてしまいます。



石は
千年も万年も
ここでひたすらに
かがやかされていた

かがやかされていたという歓喜が
積み上がって
今度は
石を
内側から
かがやかしはじめた

石は
空まで転がっていきたい衝動に
やっぱりひたすらに
耐えた

それをそうせしめる力
この大きな力に
全存在を
果てしなく
まかせておきたかったのだ
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わたしを思っていてくださいますように

2014年09月04日 15時01分22秒 | Weblog
秋山の木(こ)の下隠(がく)り逝く水のわれこそ益(ま)さめ御思(みおもひ)よりも    鏡王女(かがみのおほきみ) 万葉集巻2

秋の山の落葉した木々の下をひっそりと隠れるようにして流れ下っていく水の流れがありますが、これはそのままいまのわたしの、いよいよ増し加わっていくあなたをひた思う思いの流れです。これはあなたがわたしを思っていてくださるよりもなお深いことでしょう。



これで解釈が正しいかどうかわかりません。俗人のわたしでは理解が行き届かないかもしれません。まいて、恋の歌などは。



秋の山の木の下影を逝く谷水のように、ひっそりと、しかしひたひたと、人は人を思うのである。この思いがいよいよ募ってきますと、もうその先どうしていいかわからなくなります。あなたはわたしを同じように思っていてくださるのか疑心も生まれます。わたしばかりではないのかと思い込んでもしまいます。そしてどうかあなたの方がわたしよりももっと深く思っていてくださっているようにと願います。鏡王女はこの恋文の恋歌を届けました。万葉人の恋は秘めやかなようで、実はことのほかに奔放だったのかもしれませんね。



秋の憂鬱。秋の憂愁。メランコリー。どうかあなたが木下隠れにわたしを思っていてくださいますように。わたしだって発信したいのだ。
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自動的に如来と同等で同質

2014年09月04日 14時19分54秒 | Weblog
この秋の空は
大日如来さまにご覧いただくために
ここへひろびろと広げてあります

風が言う

如来さまがご覧になる秋の空を見た者は
はい
自動的に
そこですっかり
如来さまと同等で同質になれるのです

風の言うことは
ほんとうだったらしく
自動的に如来になってしまった男が
ひろびろと広がった秋の空を見上げている

畦道に腰を掛けて
ほおいほいと肩のタオルを揺らしながら
いかにもいかにも軽々と楽々と

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堂々と怠けていたいもんだから

2014年09月04日 12時32分57秒 | Weblog
あんまり欲張らない方がいい。でも、どこからが欲張りにはいるんだろう?

自分や自分の所有物を付加価値などを過小評価するのもおかしいけど、もうこれで十分だと過大評価するのもやっぱりおかしいような気もするよ。

ね、どこからがその境目なんだろうね。



腕があって、腕に手があって、手に指があって、指が曲がる。これだけ揃っていればもういいんじゃないか。

空があって、空に雲があって、雲から光がこぼれていて、光が大地に届いていて、大地には風があって、風が林を抜けて行く。世界はこれでもうすっかり完成なんじゃないか。

完成のただ中に生きていて、それでもやっぱり不満顔をしているというのは、どういうことなんだろうね。この不満顔こそが現代知識人を証明することになるんだろうか。



春の桜を見て、夏の入道雲を見て、秋の紅葉をみて、冬の雪を見る。目はそれでもまだ足りていないのだろうか。

そんなことは当たり前のことなので、当たり前では飽き足りないで欲しがって欲しがって
欲しがる。欲しがることが勤勉さの物差しみたいになっているけど、どうだろう、ほんとにそんなに欲しがらなくちゃいけないのか。さぶろうには答が出ない。

老人のさぶろうは怠け者である。毎日、堂々と怠けていたいもんだから、怠け者弁護をしている。

見ろ、奴(やつ)は昼の日中からぐうすか居眠りしているぞ。



居眠りをしているさぶろうの腹が息をしている
息をして波打って
膨らんだり凹んだりしている
腹が
さぶろうに
あとは俺にまかせておけばいいんだ
お前は
堂々と怠けていていいんだと笑っている

さぶろうの腹を触ると
腹が体温であたたかくなっている

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山桃

2014年09月04日 05時02分18秒 | Weblog
「人間が見ている限りじゃないんですぜ」モデルになったたわわな山桃の赤い実がどついてきた。それじゃと言って絵描きは交代を申し出た。それからかっきり一時間、山桃が絵描きをモデルにして人物描写をした。山桃が見ている通りじゃないことを、絵描きもまた実感させられたが、それはそれで素晴らしい驚きになった。これまでの断定や固定が崩れ落ちたことも愉快だった。それでよかった。世界全体が絵描きで、それぞれ独自の絵を描いていることをも理解した。




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砂粒

2014年09月04日 04時45分44秒 | Weblog
おまへ
そんなことがうれしいのか

河床の砂粒は
そう言われて不思議な顔をされたが

やっぱりうれしくて
さらさらとさらさらと流れて行った

さらさらとさらさらと流れて行くことが
河床の砂粒たちには
うれしいことであった

たったそれだけでうれしいらしかった
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柿紅葉

2014年09月04日 04時14分49秒 | Weblog
いや
それはそれでいいんです

それもそれでいいんです

そこがまた
とってもいいんです

なかなか
いいできにしあがりました
うっとりします

一本の柿の大木が
それぞれの柿紅葉を描いてみせたので
空のイワシたちが
夕暮れ時に集まって来て
それぞれに目を細めてうなづきあった


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2014年09月04日 04時06分09秒 | Weblog
りりりり

秋の虫が草藪で鳴いている

るるるる

ひとりだけ
そんなふうに鳴いた

それはそれで組み込まれて
全体は
ふしぎな調和になった
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2014年09月04日 03時31分45秒 | Weblog
もうすぐ夜が明けます

雨が
雨音の
音符たちを
総動員して知らせてきた

はたして
その通りになった

これから真昼になります
雷が太鼓を叩いた
これから夜になります
一番星が草笛を吹いた

山は
その一部始終を見聞きした
山鳩も
その一部始終を見聞きした

少し退屈を覚えるくらい
すべては
こうして
「その通り」という24時間の劇を
演じ続けた
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雨音

2014年09月04日 02時55分05秒 | Weblog
おしずかに
おしずかに

口に指をあてて
雨音が
夜のぬばたまを
落ちてきます

草は
できるだけ
そうすることにつとめました

いま
ここを開けてあげますからね

雨音が
草に
目配せをしました

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