今夜は仲秋の名月だそうです。お顔を見に行きました。まんまるのお顔が、完全な円形で、何事の心配も不安もない充満充足を感じさせられました。宇宙には戦争があっていないからでせう。もしも、あっていれば、お月さまだけでなく、われわれだって安閑とはしていられないはずです。宇宙が平和でよかったと思います。
ああ、美しいと思う。トマトの赤い実のまんまるの具合がとても美しいと思う。思うことができるのは今においてほかにない。思うことが、だから、美しくなったのだ。わたしの内側が美しくまんまるになって赤く赤く熟れる。そこへ列ぶようにしてトマト。同時進行したのだ。瞬間瞬間をこうしていっしょになって、ここで美しくするのだ。
遠い遠い先ってのは見えないのかい?
そうだよ。
見えない遠い遠い先へ行ってしまうんだよ。
誰が?
僕がさ。やがて君もさ。
ふ~~ん。二人とも行っちゃうんだ遠いところへ。
じゃ、遠いところで、そこでまた会えるということなんだね。
そうとは言えないさ。遠いところは何処にでもあって、しかもたくさんあるからね。
熊のこどもたちが森の奥で話をしていました。片方が年長のようでした。雲はそれを聞いていました。合歓の木の合歓の花はもうそろそろ花を閉じてそこに豆をならせようとしていました。熊の子ども達だってここを離れて遠いところへ行ってしまう運命というのは心配事でありました。
*
見えないとどうなるんだい?
見えないと心配になるんだ。見えているものはみんな近いところにあるものだろう?
うん。
近いところにあるものはその全体がよく見えて危ないところがないんだ。
石のことだろう、それは? 石はどっかりしているからね。
木の株もさ。山もそうさ。谷川もだよ。
遠いところへ行けば遠いところのものが見えてくる。そうするといいね。年の若い方がそう言いました。
きっとそうなるよ。そこへ行けばそこのものが近くに見えて来て、心配がなくなってくるよ。
じゃ、心配はいらなくなるね。
ふたりはやっとここまで話が進んできて頷き合いました。そうしたらやにわに眠くなってしまいました。そうでしょうとも、二人は腕を組んでまだ見ぬ世界のことを懸命に考えていましたから。年の若い方が年長の熊の方へ毛むくじゃらの手を差し伸べました。二人は手を重ね合ったようにして眠りに就きました。
そうだよ。
見えない遠い遠い先へ行ってしまうんだよ。
誰が?
僕がさ。やがて君もさ。
ふ~~ん。二人とも行っちゃうんだ遠いところへ。
じゃ、遠いところで、そこでまた会えるということなんだね。
そうとは言えないさ。遠いところは何処にでもあって、しかもたくさんあるからね。
熊のこどもたちが森の奥で話をしていました。片方が年長のようでした。雲はそれを聞いていました。合歓の木の合歓の花はもうそろそろ花を閉じてそこに豆をならせようとしていました。熊の子ども達だってここを離れて遠いところへ行ってしまう運命というのは心配事でありました。
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見えないとどうなるんだい?
見えないと心配になるんだ。見えているものはみんな近いところにあるものだろう?
うん。
近いところにあるものはその全体がよく見えて危ないところがないんだ。
石のことだろう、それは? 石はどっかりしているからね。
木の株もさ。山もそうさ。谷川もだよ。
遠いところへ行けば遠いところのものが見えてくる。そうするといいね。年の若い方がそう言いました。
きっとそうなるよ。そこへ行けばそこのものが近くに見えて来て、心配がなくなってくるよ。
じゃ、心配はいらなくなるね。
ふたりはやっとここまで話が進んできて頷き合いました。そうしたらやにわに眠くなってしまいました。そうでしょうとも、二人は腕を組んでまだ見ぬ世界のことを懸命に考えていましたから。年の若い方が年長の熊の方へ毛むくじゃらの手を差し伸べました。二人は手を重ね合ったようにして眠りに就きました。
だね。
だねって?
うん、そうだねって言いたくなった。ってことさ。
*
静かだね。
だね。
日差しが明るいね。
だね。
秋風が涼しくなってきたね。
だね。
*
否定じゃなくて肯定をしているときはこころが落ち着いているときなんだ。
葉っぱと葉っぱが、お話をして、うなづきあった。
だねって?
うん、そうだねって言いたくなった。ってことさ。
*
静かだね。
だね。
日差しが明るいね。
だね。
秋風が涼しくなってきたね。
だね。
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否定じゃなくて肯定をしているときはこころが落ち着いているときなんだ。
葉っぱと葉っぱが、お話をして、うなづきあった。
調子に乗ってもう一首。万葉集の恋の歌を鑑賞して、恋の気分をなぞってみる。恋の下書きを上からなぞるように。(わが勝手気まま読み万葉集恋の歌シリーズ)それにしてもなぞるしか能のないさぶろうはあはれ。
*
恋ひ恋ひて逢へるときだに愛(うるわ)しき言(こと)尽くしてよ長くと思はば 大伴坂上郎女(いらつめ) 万葉集巻の4
互いに恋し合ってやっと逢えたのですから、逢っているときには始めから終わりまでわたしの美貌を褒めて、アイラブユウのやさしい言葉をかけてくださいな。これからもこうやって二人が長く愛していけるように。
*
日本にはアイラブユウの習慣はない。夫婦になってもアイラブユウはない。釣り上げた魚に餌はやらない。でも、女性は言ってほしいに違いない。疑いが生じていればなおさら。男性は、言葉にしなくても愛していることに違いはない、とふんぞり返る。愛の表現は言葉にだけ限っているのではない。普段の生活の中でも表現できる。セックスでも表現できる。それでもなお、女性はわたしの美貌(或いは全人格)を褒めてほしくて、逢っているときはずっと優しい言葉、愛の言葉を待っている、というのだが。
「あなたもこうやって豊かな愛の時間を長く保ちたいのでしょう?」とは脅し文句か。それとも自信たっぷりの投げかけか。
*
いやいや、これは男女間に限るまい。アイラブユウは同性間でも、友人間でも、上下関係に於いても、言って欲しいもの。できるなら砂糖のように甘い愛のフィーリングで全身全霊まぶされていたいもの。
*
とはいえ現実ではアイラブユウはなかなかに言えないものらしい。どこもかしこも戦争にうつつを抜かしているではないか。相手の否定のアイドントラブユウが幅をきかせている世界だ、ここは。となれななるほど、男女間の愛の歌、愛のときめき、愛の肯定ごとは重要になってくる。
*
恋ひ恋ひて逢へるときだに愛(うるわ)しき言(こと)尽くしてよ長くと思はば 大伴坂上郎女(いらつめ) 万葉集巻の4
互いに恋し合ってやっと逢えたのですから、逢っているときには始めから終わりまでわたしの美貌を褒めて、アイラブユウのやさしい言葉をかけてくださいな。これからもこうやって二人が長く愛していけるように。
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日本にはアイラブユウの習慣はない。夫婦になってもアイラブユウはない。釣り上げた魚に餌はやらない。でも、女性は言ってほしいに違いない。疑いが生じていればなおさら。男性は、言葉にしなくても愛していることに違いはない、とふんぞり返る。愛の表現は言葉にだけ限っているのではない。普段の生活の中でも表現できる。セックスでも表現できる。それでもなお、女性はわたしの美貌(或いは全人格)を褒めてほしくて、逢っているときはずっと優しい言葉、愛の言葉を待っている、というのだが。
「あなたもこうやって豊かな愛の時間を長く保ちたいのでしょう?」とは脅し文句か。それとも自信たっぷりの投げかけか。
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いやいや、これは男女間に限るまい。アイラブユウは同性間でも、友人間でも、上下関係に於いても、言って欲しいもの。できるなら砂糖のように甘い愛のフィーリングで全身全霊まぶされていたいもの。
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とはいえ現実ではアイラブユウはなかなかに言えないものらしい。どこもかしこも戦争にうつつを抜かしているではないか。相手の否定のアイドントラブユウが幅をきかせている世界だ、ここは。となれななるほど、男女間の愛の歌、愛のときめき、愛の肯定ごとは重要になってくる。
稲舂(つ)けば皹(かか)る吾(あ)が手を今宵もか殿の若子(わくご)が取りて嘆かむ 東歌 万葉集巻14
*
さあ、今日もわが勝って気まま読み万葉集恋の歌をねじ曲げ解釈してみよう。
*
万葉の時代の人はお米をどうやって舂いていたのだろう。脱穀機や精米器があったわけではあるまい。「舂く」は杵や長い棒の先で打って潰す臼舂きのこと。どんな手段があったか知らない。でもそれで女性の手に皹割れが起こるというのだから、重労働だったのだろう。若子(わくご)は若い男性を褒めて言うときの呼び名。殿は妻が夫を指していう人称語。いまで言えば主人に当たるか。
*
どっさりと稲が収穫になったのはよいが、わたしたち女性はその分毎日毎日これを舂く仕事に精を出さねばなりません。こうやってわたしの両手はもう皹割れがこんなにできてしまいました。しかしその手を取っていたわってくださる方がわたしにはいらっしゃいます。さあ、今宵も殿のお傍に行けば、愛しい若子のあなたがここに息を吹きかけて抱き寄せてくださいます。
*
これは女性からの歌。家庭円満の様子が見て取れる。歌は貴族だけの高尚ごとと思っていたがどうもそうとは限らないようだ。二人は農事に勤しんでいる。農事に勤しみながらこうやって歌を歌って返す余裕もあったのか。円満というのはやはり男が女を身に寄せて、女が男を身に寄せて、肌身に感じ合って、そこで実現する種類のものだろう。
*
さあ、今日もわが勝って気まま読み万葉集恋の歌をねじ曲げ解釈してみよう。
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万葉の時代の人はお米をどうやって舂いていたのだろう。脱穀機や精米器があったわけではあるまい。「舂く」は杵や長い棒の先で打って潰す臼舂きのこと。どんな手段があったか知らない。でもそれで女性の手に皹割れが起こるというのだから、重労働だったのだろう。若子(わくご)は若い男性を褒めて言うときの呼び名。殿は妻が夫を指していう人称語。いまで言えば主人に当たるか。
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どっさりと稲が収穫になったのはよいが、わたしたち女性はその分毎日毎日これを舂く仕事に精を出さねばなりません。こうやってわたしの両手はもう皹割れがこんなにできてしまいました。しかしその手を取っていたわってくださる方がわたしにはいらっしゃいます。さあ、今宵も殿のお傍に行けば、愛しい若子のあなたがここに息を吹きかけて抱き寄せてくださいます。
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これは女性からの歌。家庭円満の様子が見て取れる。歌は貴族だけの高尚ごとと思っていたがどうもそうとは限らないようだ。二人は農事に勤しんでいる。農事に勤しみながらこうやって歌を歌って返す余裕もあったのか。円満というのはやはり男が女を身に寄せて、女が男を身に寄せて、肌身に感じ合って、そこで実現する種類のものだろう。
運子が出た。おもわずにっこりした。うんうん気張った甲斐があった。これで運が向いてくるぞ。
運子は幸運の子種。身体の中心街を駆け巡って、さあこれで大丈夫ですよのサインを出してくれる。有り難いもんだよ。
身体がこれで軽くなった。飛び跳ねることができる。ぴょんぴょん、兎になって跳ね回ってみるとする。
運子は幸運の子種。身体の中心街を駆け巡って、さあこれで大丈夫ですよのサインを出してくれる。有り難いもんだよ。
身体がこれで軽くなった。飛び跳ねることができる。ぴょんぴょん、兎になって跳ね回ってみるとする。
錦織圭選手のニュースで沸き返っている。どんどん勝ち進んでいるね。雨ばっかりで憂鬱だった日本人もこれで一挙に晴れマーク。テニスウエアーやシューズだけでなく、乾杯ビールの売れ行きもアップしたことだろう。日頃社会面記事に無関心でいても、こう快挙が続くと、関心ありになってしまうよね。連続する戦争とか人殺しとかなどの暗いニュースよりは、スポーツの活躍がずっとずっと明るくて、いいね。
マントラは真言とも、陀羅尼とも呼ばれる。神呪とも呪文とも呼ばれる。神々の言葉、神語であり、宇宙の響きの宇宙語でもある。従ってそれは人間語には通訳ができないことになる。言ってみれば響きそのものだ。で、日本語の経典でも、音訳のままだ。音訳のままの方が却ってより強い霊力が籠もる。音は神々の霊、宇宙の霊である。
神語とするより、仏教用語だから、仏と対話するときの仏語とした方がいいかもしれない。神というのは、形容詞的に使えば、それは優れたとか卓越したという意味合いである。霊もそうである。
仏さま方はみな仏語を話しておられる。だから、こちらがそれに合わせる。これがマントラだ。人間〈ほんとうは衆生、生きとし生けるもののすべて〉を救済するのが仏さまのお仕事だから、マントラの中身は、どの仏さまも、「あなたをお守りします」とか、「あなたを導きます」とか、「あなたが大好きです」とか、「あなたがいとしくてなりません」とか、「こうすれば助かります」とかのはずである。
因みに、大日如来のマントラはこうである。オンアビラウンケンバサラサトバーン。不動明王はこうである。ノーマクサーマンダバーサラダンセンダマーカロシヤータソワタヤウンタラタカンマーン。
キリスト教の聖書には、「はじめに言葉ありき。言葉は神であった」と書かれている。仏教、とりわけ密教は言葉の持つ音に魅力を覚えているようだ。
開けゴマ、オープンセサミも呪文である。これで人間力を超える力を呼び寄せたのだろうか。
神語とするより、仏教用語だから、仏と対話するときの仏語とした方がいいかもしれない。神というのは、形容詞的に使えば、それは優れたとか卓越したという意味合いである。霊もそうである。
仏さま方はみな仏語を話しておられる。だから、こちらがそれに合わせる。これがマントラだ。人間〈ほんとうは衆生、生きとし生けるもののすべて〉を救済するのが仏さまのお仕事だから、マントラの中身は、どの仏さまも、「あなたをお守りします」とか、「あなたを導きます」とか、「あなたが大好きです」とか、「あなたがいとしくてなりません」とか、「こうすれば助かります」とかのはずである。
因みに、大日如来のマントラはこうである。オンアビラウンケンバサラサトバーン。不動明王はこうである。ノーマクサーマンダバーサラダンセンダマーカロシヤータソワタヤウンタラタカンマーン。
キリスト教の聖書には、「はじめに言葉ありき。言葉は神であった」と書かれている。仏教、とりわけ密教は言葉の持つ音に魅力を覚えているようだ。
開けゴマ、オープンセサミも呪文である。これで人間力を超える力を呼び寄せたのだろうか。
言ってしまえば、さぶろうはひねくれ者だ。性格がねじれている。そしてそれがもう固く固まっている。それで一筋縄にはいかない。老木だから、早くも腐れ始めて朽ちかけてもいる。で、ちょっとした打撲でも軽々と欠けて落ちる。ぽろぽろ落ちる。ぽろぽろが涙に似ている。でかい口を叩いたかと思うと、次の場面ではもうそれを悔やんで、後に戻れなくてしょんぼり泣き顔だ。
このさぶろうを庇う者がいる。それは地蔵堂の石造り地蔵尊である。頭に頭巾が被せてある。顎に紐が結ばれている。さぶろうはここへ行く。そしてマントラを唱える。「わたしが悪うございました。白状をいたします。悪いのはこのさぶろうでございました」これがそのマントラである。すると、石造りの地蔵尊の目に涙が光るのだ。そう見えるのだ。これでさぶろうの機嫌が直るのだ。
しかしそれはほんの一時のことだ。マントラを唱えて白状したことなどころりと忘れて、次の日からはまた一段とそのひねくれ根性を剥き出しにして、そしていつものように嫌われるのだ。
このさぶろうを庇う者がいる。それは地蔵堂の石造り地蔵尊である。頭に頭巾が被せてある。顎に紐が結ばれている。さぶろうはここへ行く。そしてマントラを唱える。「わたしが悪うございました。白状をいたします。悪いのはこのさぶろうでございました」これがそのマントラである。すると、石造りの地蔵尊の目に涙が光るのだ。そう見えるのだ。これでさぶろうの機嫌が直るのだ。
しかしそれはほんの一時のことだ。マントラを唱えて白状したことなどころりと忘れて、次の日からはまた一段とそのひねくれ根性を剥き出しにして、そしていつものように嫌われるのだ。