<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

日本が勝ったらお祝いのウイスキーを飲もう

2019年04月26日 19時41分55秒 | Weblog

お風呂には入れない。世界卓球ハンガリー大会を見ているから。今度は男子シングルスの試合。丹羽孝希選手が中国の選手と対戦する。勝てば40年ぶりのメダル。ハラハラドキドキ。ドキドキドキドキ。始まった。相手も強いぞ。現在5対5。日本が勝ったらお祝いウイスキーを飲もう。うまいだろうなあ。

 

 

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日本卓球は 強い 男子も女子も強いなあ

2019年04月26日 14時40分35秒 | Weblog

日本卓球は強い。楽しんでいる。ハンガリーでの世界大会。どちらも18歳の伊藤美誠と早田ひな選手の女子ダブルス。準々決勝。相手は北朝鮮チーム。2セットを連取したところ。安心して見ていられる。強いなあ。第3セットが始まった。10対8。日本が2点リード。日本がゲームポイントを迎えている。結局第3セットまで連勝。強いなあ。此の処連夜テレビ観戦している。勝ち試合を見ているのは気持ちがいいものだ。見ていると他のことは何も出来ないけど。

 

 

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お昼寝タイムをしていました

2019年04月26日 13時01分55秒 | Weblog

とろりとろり。炬燵に入っていたら、つい眠くなってしまいました。座った姿勢のまま、がくりと首を垂れて熟睡。いい気持ちいい気持ち。約1時間がお昼寝タイムでした。外は風が出ているようです。シャクヤクがそよそよそよと戦いでいます。畑仕事には不向きです。ま、そのうちに、風は鎮まるでしょう。

 

 

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その代わり 月が磁石になっていてくれる

2019年04月26日 10時48分35秒 | Weblog

(途中、客人があった。書いていることがいよいよ散漫となった)

肉体の欲望はそうだが、肉体以外の欲望はどうか。老いた人の肉体は男女ともに衰微している。皺が寄っている。よろよろよぼよぼしている。魅力には乏しい。もう惹き合うことはない。S極N極はそのままでも、男女の磁石になってはいまい。

その代わり、月が磁石になってくれる。そういうことがある。花や鳥や風景が磁石になってくれる。そういうこともある。仏陀が磁石になってくれる。静かだ。

 

 

 

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若いときは短い 美しい時は短い 魅力に溢れる時は短い

2019年04月26日 10時36分04秒 | Weblog

攫うほどの魅力にあふれている人は、それはそれでよかろう。全身で魅力を放つのはよほどの快感だろう。男も、同等の快感好きでなければ、攫ってはいけまい。危険がいっぱいなのだ。危険は冒すべからず、それを守っているのは小心者だけか。

若いときは短い。美しい時は短い。魅力に溢れているときは短い。一生なんてすぐに終わる。すると万事が終わる。終わってしまってからは、攫っていけない。攫われるということもない。

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こういう迫り方をされてみたいと思うだろう 誰しも

2019年04月26日 10時30分49秒 | Weblog

たとえば君ガサッと落ち葉すくうようにわたしを攫って行ってはくれぬか

これは河野裕子の短歌。名歌だとされている。わたしもそう思う。揺さぶられる。誰かにこういう迫り方をされてみたいとも思う。そんな魅力はこの男性にはないのだが。ないくせに。

攫うのだ。男がおんなを攫う。攫い婚は暴力的。有無を言わせない。攫ってくれないのが嫌だという場合もある。攫ってほしいの要求もある。でも性暴力は全面禁止だ。

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惑わない人間の魅力 惑わせる人間の魅力

2019年04月26日 10時17分21秒 | Weblog

わたしを誘惑して行くものはないか。いないか。誘って惑わすのが誘惑。わたしの不正を惑わせば、或いは「不」が抜けて行くかもしれないではないか。「四十にして惑わず」と論語にある。この老爺は老爺になっても惑ってばかりいる。

惑わない人間の魅力。惑わせる人間の魅力。

惑わそうとしても其の人にそれだけの魅力がなければ、人は惑わない。無感動でもいられる。

 

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惑わない人間の魅力 惑わせる人間の魅力

2019年04月26日 10時17分21秒 | Weblog

わたしを誘惑して行くものはないか。いないか。誘って惑わすのが誘惑。わたしの不正を惑わせば、或いは「不」が抜けて行くかもしれないではないか。「四十にして惑わず」と論語にある。この老爺は老爺になっても惑ってばかりいる。

惑わない人間の魅力。惑わせる人間の魅力。

惑わそうとしても其の人にそれだけの魅力がなければ、人は惑わない。無感動でもいられる。

 

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惑わす 惑う 惑わせて欲しい 惑ってみたい

2019年04月26日 09時42分35秒 | Weblog

惑わす。惑わせてほしい。惑ってみたい。

おんなのひとは惑わせる。そのうつくしさで惑わせる。惑乱させる。乱れに乱れる。正義なんかは吹っ飛んで行ってしまう。ほんの少ししかないのですぐに空っぽになってしまうけれど。

わたしを惑わせるのはおんなの人だけか。そうではない。いっぱいある。いっぱいいっぱいある。惑って反転して元の位置に戻るということもある。

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仏陀は わたしたちを そういう名前で 呼んでくれた

2019年04月26日 09時19分41秒 | Weblog

こころがけいいおんなたち、男たち。仏陀の教えを聞くおんなたち、男たち。仏陀の名を口に抱くおんなたち、男たち。あるいは一日、あるいは二日、あるいは三日。七日七夜。こころを乱さず嵐にさせず。やがておんなたち男たちは、仏陀の国に咲いた花の中、臺(うてな)の上に生まれて行く。 

「仏説阿弥陀経」より マイ編曲編集

阿弥陀経の中では、「此処に生きているのは善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)」とそういう位置づけになっている。此処を死んで出て行くのも同じく善男子善女人である。仏陀はわたしたちを、わたしを、そういう名称で呼んでくれたのである。

 

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