<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

ついつい買ってしまう 宜しくない

2019年04月10日 19時59分18秒 | Weblog

ついつい買ってしまう。宜しくない。園芸店に立ち寄った。ふらりと。これがよくない。黙って見て、見過ごせないのだ。そんなことは初めから分かっている。で、とうとうあれこれあれこれの苗物を買って、抱き抱えて、店を出た。愚か者め! いつもこれだ。

帰宅してからさっそくこれを植えることになった。先ずは場所選び。これに時間が掛かる。これも楽しいのだ。決まったら、準備に掛かる。有機石灰、化学肥料、有機培養土、油粕、有機肥料牛糞を運び込む。これが一苦労。耕す。深く耕す。各種肥料を混ぜ込む。せしてやっと植え込む段になる。やたら時間が掛かる。

買って来た苗の三分の一を移植したところで、6時半を過ぎてしまった。夕方は冷え込んだ。今日はここで終わることにした。

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家の中にばかりでは退屈 出掛ける

2019年04月10日 13時08分43秒 | Weblog

家の中にばかりでは退屈。出掛ける。行く宛もなく。つまり、ぶらりぶらりしに。運転に不安があるので、家内も同道する。キャベツと玉葱と小葱と春菊を。弟の家に届けるという用件を、家内が拵えた。そうする。天気はどうも下り坂のよう。曇ってきた。気温も低めだから、薄いジャンパーを着込む。マスクは忘れずに着ける。

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エビネ欄が蕾を着けていました

2019年04月10日 11時31分33秒 | Weblog

エビネ欄が蕾を着けていました。外へ出て、杖を突きながら、のたりのたり庭を一周して来ました。雨後はみな落ち着き払っています。充足しています。いいですね。充足を見ているというのは。

 

 

 

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意に沿う 天の意に沿う 沿っていることを我が意として

2019年04月10日 11時21分37秒 | Weblog

もういいだろう。外に出てみようか。庭は花盛りなんだから。見てあげなくちゃ。堪能してあげなくちゃ。意に沿って上げなくちゃ。そして喜んであげなくちゃ。それをそうした彼らの技を褒めてあげなくちゃ。

意に沿う。天の意に沿う。宇宙の意に沿う。それにはわたしの意を全面に押し出さないでいなくちゃならない。沿っていることを我が意として安らいでいなくちゃならない。天の意に包まれていることに安らいでいなくちゃならない。

外に出てみようか。玄関先には牡丹の花が咲いているはずだ。

 

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深く深く聴いている人があるだろうに

2019年04月10日 11時20分21秒 | Weblog

11時を過ぎた。わたしはYouTubeでクラシックを聴いている。気持ちよく聴いている。ふん、音楽のオの字をも知らぬ者が。いいさいいさ、それで。理屈で聴いているのではないから。それは理屈好きな人たちにお任せをして、わたしは耳に届く美しい音を聞き入れるだけにしよう。というふうに自己弁護をすると一向に深みを得ない。深く深く聴いている人があるだろうに、わたしは川面を渡る風のようにしている。表面のみで過ぎて行く。

 

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愚者になれない 文字を遣う 言い表そうとする 自己顕示する

2019年04月10日 11時10分55秒 | Weblog

 「智者の振る舞いをせず」「ひたすら愚鈍の身になして」と法然上人は書いている。我等は、一人残らず、生きて智者の振る舞いをしたがるのである。そうやって自己顕示をしたがるのである。誇示しないと気が済まないのである。死ぬが死ぬまで智者を振る舞う。欺瞞を欺瞞ともせずにいる。そして仏法に背く。煩悩を貫いて正法妙法の真理に背く。己は仏陀以上の智の有る者として、仏法を蔑ろにする。愚鈍に帰ることを不服とする。己で仏陀をも裁いてしまう。傲慢を押し通して、いよいよ傲慢に耽る。

わたしのことだ、これは。愚者になれない。文字を遣う。言い表そうとする。愚者の証拠だ。

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庭のサツキ、ツツジが花の時を迎えている 美しい花の時を

2019年04月10日 10時57分27秒 | Weblog

庭のサツキ、ツツジが花の時を迎えている。美しい花の時を。みなこれは在りし日に父が買って来て植えたものだ。目新しい種類であれば、買って来て植えていた。父が亡くなってもう四十年は過ぎている。でも、四十倍にはなっていないで、せいぜい二倍ほどでちょんもりとしている。花だけは毎年美しく咲いて、われら家族を慰めてくれる。椿も木瓜もわたしの代では植えていない。父はその代わり草花を育てることはしなかった。

ふふ。ふふふ。わたしに美しい花の時というものがあっただろうか。こんなに美しい花の時というものが。思い当たらない。

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安静にしてやすんでいたが もういい いいようだ

2019年04月10日 10時51分24秒 | Weblog

安静にしてやすんでいたが、もういい。いいようだ。起きて来た。やや、頭が重たい感じはする。しかし、寝ているのも退屈ではないか。

「念仏者は無碍の一道なり」と歎異抄の中に歌ってある。無碍とは、「障碍としない」ということである。一本の大きな道を歩んでいるばかりだというのだ。仏陀を念う道である。何が何時どうあっても、それはそれでいいのだ。障碍、妨(さまた)げとはならないのである。

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晴れた からりと晴れた 早業だ

2019年04月10日 07時54分28秒 | Weblog

晴れた。からりと晴れた。早業だ。しかし、風が幾分強く渡っている。

庭の金盞花がそよそよそよと左右前後に吹かれている。雨の湿りを得て元気になって、いい気持ちだろう。彼らにも意識があるのだ。言葉を発することはないけれども、居心地の良さを感じてはいるのだ。しかし彼らが言葉を遣って意思表示をしないのはどうしてなのだろう? 彼らは愚者だろうか賢者だろうか。察するところ、それらの超越者なのかもしれない。花を咲かせて見せるではないか。それですっきり自利利他円満をしているのだ。

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夕方には通夜となることだってあり得る

2019年04月10日 07時54分28秒 | Weblog

頭がヘンだ。ぶらりとした。意識が抜けて行く感じ。すぐに復調したが。血圧が急変したのだろうか。脳出血、脳梗塞などの予兆だろうか。そのあたりの知識は何もない。気持ちが悪いので、安静を保つことにした。ごろりと横になる。うん、こんなふうだと、温泉行きは取り止めた方がいいのかも。あっという間にお浄土往きが果たせるのなら、楽ちんだろう。そろそろそういう時季を迎えている。何があってもおかしくない。朝方には普通通りに朝ご飯を食べても、夕方には通夜となることだってあり得る。

 

 

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