<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

外は細かい霧雨 芍薬を摘んで来ました

2019年04月23日 18時27分56秒 | Weblog

おはようございます。もう雨は止んだかなあと思って外に出てみましたら、細かい霧雨が降っていました。庭に、赤紫の小輪芍薬の花が乱舞していたので、5茎ほどを剪定鋏で摘んで来ました。そのうちの3茎は、仏檀にお供えして、後は花瓶に生けて台所のテーブルの上に置きました。小輪なのですが、それはそれでこざっぱりとしてきれいです。ほっとします。庭の一隅にはテッセンも咲き出していました。季節が動いています。

 

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いつまで悪業迷妄煩悩の己でいるのか

2019年04月23日 17時57分27秒 | Weblog

生死(しょうじ)の海に浮沈して、三毒五欲の妄念と憎愛取捨の迷執に、日夜造業(ぞうごう)造作(ぞうさ)して、永劫(ようごう)出離の際(きわ)もなし。 

禅門の「宗門安心章」より

ああ、己の所業のことが書いてあるなと思う。

三毒:善根を毒する3種の煩悩。貪欲・瞋恚・愚痴。その対極は三善根、つまり不貪・不瞋・不痴。もしくは施・慈・慧。

五欲:5種の欲望。すなわち五官(眼・耳・鼻・舌・身)の五境(色・声・香・味・触)に対する欲望。あるいは財欲・色欲・食欲・睡眠欲・名誉欲。

(電子辞書に頼った)

苦しみ迷う生死の大海に浮き沈み、貪り、怒り、戯言を言い、五官みな五欲のために浪費し、可愛いものに執着し憎いものに執着す。こうして朝にも晩にも、悪業を造って奔走し、永久にこの煩悩の苦しみから逃れられない。そういう己がいる。そういう己でなくていいのに、そういう己でいる。

そういう己でなくていいのに、そういう己で居る。生まれてから死ぬまでそういう悪業煩悩迷妄の、己でいる。

いつまでそういう己でいるのか。どうすれば出離ができるのか。永劫に出離ができるのか。

 

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山道に青紫の藤の花が 花房を豊かにつけて 垂れています

2019年04月23日 17時38分57秒 | Weblog

雨が降っていて外に出ていけません。家の中から庭の花を見ています。アイリスが咲いています。紫や黄色や白とカラフルです。北側の窓からはミヤコワスレの花が眺められました。薄紫と濃紫との2種類が咲いています。株分けしたのがやっとしっかり育ち、首も長くなって来ました。その数はおそらく数百株あるでしょう。

今日は通称高齢者大学への行き帰り、通りかかる山道に青紫の藤の花が咲いているのを見かけました。花房が湖面に垂れていました。その美しさに思わず車を止めてしまいました。

 

 

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お喋りが嫌い お喋りに興味がない

2019年04月23日 11時41分20秒 | Weblog

僕はお喋りが嫌い。非社交的。お喋りに興味がない。だから、お喋り仲間に加わらない。しれっとしている。長生きタイプではない。長生きタイプは万事興味が旺盛らしい。

あんまり引き込みが過ぎるから、女房殿が気遣って、この通称高齢者大学に昨年申し込んでくれていた。しぶしぶ通っているが、不登校気味なのである。

どうして人はお喋りに花を咲かせているのか分からない。隠者を装っているが、隠者ほどの気合いがあるのでもない。

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今日は通称高齢者大学の講座の日だった

2019年04月23日 10時47分08秒 | Weblog

今日は俗称高齢者大学の開催日だった。午前中はオリエンテーションと自治会組織の役員決め。僕は昨年担当させられたので、今年は役員はパスすることが出来た。僕は表に立つことが苦手。超のつく苦手。引っ込み思案。ひっそり隠れているタイプ。お喋りが嫌い。

午後から地域の歴史学者の講演を聞くことになっている。竜造寺家の統率時代から鍋島家のそれへと推移していくところのようだ。

お昼は弁当を頼んだ。今年から50円値上げになって、400円。それほど腹は減っていない。

 

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殊勝自ずから至って 光明不尽の生涯を生き通す

2019年04月23日 08時40分22秒 | Weblog

されば諸仏諸菩薩無辺の願海に摂取せられて、殊勝を求めんと要せざれども、殊勝自ずから至って、光明不尽の生涯を恵まるること決定(けつじょう)して疑いあるべからず。    禅門の宗門安心章より

諸仏も諸菩薩も、わたしを菩薩仏陀にせんと願いをかけて、日夜その実現を図っておられるところだ。摂取の真っ只中に居る我が身である。それだけでもう殊勝の極点ではないか。諸仏諸菩薩の慈愛によってあらゆる条件整備がしてある中に、わたしが暮らしているのだ。日も射していて光明あり。雨も降って大地湿潤なり。庭は春のテッセンの花咲く。生涯の殊勝此処に極まれり。

おい、さぶろう、これでもまだお主に文句があるか。さぶろう応えて申す。へ、文句不満はございませぬ。

 

 

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今日 お天気なら やっておきたいこと七つ

2019年04月23日 07時17分54秒 | Weblog

10

 今日お天気ならやっておきたいこと。

①頂いたキバナコスモスの花の種を種蒔きする。

②焼却炉に溜まっている灰を片付ける。

③北の畑へ、農機具類を載せた一輪車を牽いて行く。

④夏野菜が植え付けられるように準備を急ぐ。

⑤ペチュニアに凝ってしまった。もう少し数を増やしたい。

⑥詩の作品を投稿する。締め切り期限が迫っている。

⑦久しぶりに朗朗と声張り上げて仏壇で阿弥陀経を読経する。

ふふふ。ぷ。このうちの幾つができるかな。 

 

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いつ死んでもいいようにしていなくちゃならない そう思って

2019年04月23日 07時14分32秒 | Weblog

いつ死んでもいいようにしておかなくちゃならない。そう思って、そう言い聞かせます。この頃特に何度も。なあに、覚悟をしていようがいまいが、その時は来るのです。来てくれないと困りますが、来ます。わたしはさようならを言うだけでいいのです。「有り難うございました」をできたらここに一言加えるべきでしょうね。苦しいこと悲しいこと寂しいこと辛いこと、あれこれありましたがこれでお終いに出来ました、と。それがことごとくみんな「楽しかった」で締め括られました、と。

庭に躑躅の花が真っ赤に咲いています。

 

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決してお殿様ではありませんが お殿様を演じていられます

2019年04月23日 07時06分37秒 | Weblog

7時になりました。そろそろ朝ご飯の呼び声が掛かるかなあ。早起きの女房殿の「出来ました。どうぞ」の声はまだ聞こえて来ません。お殿様ではりませんが、お殿様を演じていられます。

次々に近所様から掘れたての筍がどっさり届きます。筍ご飯を作ってもらいました。もうこれで今春は2度目です。筍入りの炊き込み混ぜご飯は。味噌汁にも筍が入ります。今朝もそうかもしれません。おいしいので、おいしいと言います。するとまた作ってあります。でも、筍料理のオンパレードでは飽きが来ますよね。女房殿には、やっぱり「おいしい」を言い続けますが。

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わたしは 贅沢 花のある世界に暮らしています

2019年04月23日 06時53分07秒 | Weblog

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 わたしは花のあるところで暮らしています。昨日は芍薬が蕾を開きました、数輪だけですが。荘厳な、いい色合いです。今日明日明後日と順に楽しんで、蕾を開いていくのでしょう。茎が、花房の重さで垂れてしまうほどの大咲きではありません。これで十分です。仏檀の小さな花器にも供えられます。花はわたしを慰めてくれます。癒してくれます。わたしをそうするために咲いたのではないのでしょうが、わたしが慰められ癒されているのは事実です。間違いありません。花のある世界に暮らせていることを有り難く思います。もっと楽しくしていなくちゃなりません。

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