<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

目が潰れてしまう 起きていられない

2019年04月14日 16時15分49秒 | Weblog

さ、も、寝る。夕ご飯も食べた。お風呂にも入った。晩酌の焼酎が効いている。目が潰れてしまう。起きていられない。

早く寝たら早く目が覚める。長くは寝ていられない。老爺の夜はかくて長い。長々と長い。如何することも出来ない。

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我が家の濡れ縁の下に 狸の白骨が

2019年04月14日 16時13分03秒 | Weblog

旅に出ていた間に我が家で異変がありました。濡れ縁の下は、農事をするときの用具をしまっていますが、そこへ狸が迷い込んで、巣としていたようです。そして、飢え死にをしたのでしょうか、ミイラになっていたのを昨日周辺の掃除をしていたときに家内が発見して、肝を潰したようです。白骨化していたらしい。この濡れ縁はわたしの書斎の窓から突きだしています。だから距離が近いのです。腐臭はしませんでした。狸は珍しくありません。昼までもよくこの辺りをうろついています。山には食べ物がないのでしょうね。犬を放し飼いで飼ってあるところがないので、敵無しなのかもしれません。

 

 

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そろそろ午後4時 雨は止んでいます

2019年04月14日 15時19分32秒 | Weblog

そろそろ午後4時。雨は止んでいます。また降り出すのかも知れません。わたしは炬燵に入ってあたたまって、クラシックの音楽を聴いています。次第にうとうとしてきました。 気温が上がりませんから、外へは出て行きたくありません。小鳥が庭先に来て啼いています。鳴き声で何の鳥か判断が出来ません。たぶん春先になって渡って来た鳥でしょう。美しい鳴き声です。

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ここがわたしの古巣です 足を投げ出しています

2019年04月14日 15時05分15秒 | Weblog

夕方を待たずして雨になりました。大降りではありませんが。気温も低めです。蒔いた夏野菜類の種の発芽温度は20℃から。達していません。

旅から戻って来ました。寂しいとどうしようもありません。わたしは勇者ではありません。こんなのを俗に「ひいたれ」と言うのかもしれません。

いつもの炬燵に足を投げ出しています。此処がわたしの古巣です。寒いから冬のジャンパーを着込みました。溜まっている新聞を読んでいます。わたしの短歌投稿は落選でした。落選が続きます。もう投稿を止めようかなあ。

 

 

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寒くて震えるように、寂しくて震える

2019年04月14日 10時17分10秒 | Weblog

曇り☁。空が重たそうにしている。曇っていると寂しい。行動意欲が減退する。寒くて震えるように、寂しくて震える。老いたる者はかくのごとしか。夫婦仲良いところは、夫婦二人での行動だが、この老爺はいつも一人。家内はついてこない。家内は家内のスケジュール。合同はない。いつもひとり。ふらりぶらぶら。そして寂しがる。愚か者なのだ。

此処は由布岳の休憩所。駐車しているところの真ん前に桜🌸。散らずに咲いている。

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老爺は何処にいても、独り遊び

2019年04月14日 05時45分37秒 | Weblog

ふふふう。帰心がついた。今日は帰ろう。帰ってまた野良に出よう。土弄りをしよう。今のこの老爺にはそれが一番相応しいわい。蒔いておいた夏野菜の種も発芽したやもしれぬ。老爺は何処にいても独り遊び。これには変わらぬが。

まもなく午前6時。朝風呂は6時から入れる。外はまだ暗そうだ。海の波の音も聞こえない。松林と砂浜との間に小径がある。昨日確かめておいた。朝ご飯の後には、そこをサイクリングしてもいいなあ。寒くなければだが。

老爺に闘争心なし。勇猛心なし。利他献身の心なし。

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体が心を代弁したのかもしれない

2019年04月14日 04時37分54秒 | Weblog

まもなく午前5時。目が覚めてしまった。静かだ。夢を見ていた。若い頃の。仕事の。己の中に熱い心をどうやって持ち続けていけるかということを。そしてチームを組んでる同僚の中に熱い心を。そして生徒たちの中に熱い心を見出していく。そういう現場の夢を見ていた。

断念との戦いをどうやって乗り越えて行くか。希望へ駆り立てていくか。蒸気機関車の機関士が石炭をスコップで次々と投げ入れて、火力を強くしていく。顔が墨で汚れている。汗が其処を流れ下る。汽車はスピードを上げていく。トンネルを過ぎる。鉄橋を渡る。スピードが落ちて来た。機関士が慌てているが、ドンドン落ちていく。

人に熱いエネルギーを送り続けるには、まず己がその何倍も熱くしていなければならない。それが難しくなる。失速する。するともう先頭は走れない。走っては行けない。乗っている乗客は、目的地に着けなくなる。それでもいいのか。目的地に着けるというから、乗客は乗り込んで来たはずだ。

.........そんな苦しい夢を見ていた。目が覚めてよかった。先生たちや生徒たちの顔が次々現れて来た。

今の自分に熱い心はあるか。何処にもない。老いている。一人で旅に来ている。もう誰もついてくる者はいない。頼りにしているのは杖だけだ。

いい学校を造り上げたかった。先生も生徒も保護者も応援者も、熱い心で噎せ返るような学問の場を。それを完成させたかった。私立小学校の構想も描いていた。

わたしは病んだ。下半身麻痺の体になった。そして身を引くことになった。あれから20年が経過している。体は心を代弁したのかもしれない。何が何でもという熱い心が維持できなくなっていたのかもしれない。

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