こんばんは。まだ8時半だというのに、わたしはもうベッドに入ってゴロンと横になっています。夕食も済みました。晩酌もしました。お風呂にも浸かりました。酔っています。いい気分です。
今日は外に出て過ごしました。多くの時間を。いろんなことをやりました。どれもどれもどれも野良仕事の土遊びです。夕暮れの6時45分に仕事をやめました。よく働きました。満足を覚えています。なひ、自慢できるようなことは一切やってはいないのです。
もうそろそろ眠くなってきました。目が閉じます。
こんばんは。まだ8時半だというのに、わたしはもうベッドに入ってゴロンと横になっています。夕食も済みました。晩酌もしました。お風呂にも浸かりました。酔っています。いい気分です。
今日は外に出て過ごしました。多くの時間を。いろんなことをやりました。どれもどれもどれも野良仕事の土遊びです。夕暮れの6時45分に仕事をやめました。よく働きました。満足を覚えています。なひ、自慢できるようなことは一切やってはいないのです。
もうそろそろ眠くなってきました。目が閉じます。
客人あり。応対した。ブログを書くのはしばし中断した。お帰りになった。僕は親切に応対するのが苦手である。客人にはあいすまないが、面倒がるのである。つまり我が儘が過ぎているのである。お茶とお菓子を差し上げて、お喋りをしました。うんうんと聞いているだけで、籾殻に釘を打つようなもどかしさを感じて行かれただろうと思う。わたしは蛻の空の籾殻なのである。打っても響かない。
阿弥陀経には興味を示していながら、ずるいずるい。世間話には興味がない。ひとがどうしたこうしたああしたにも興味が湧かない。こんな生き方は褒められた生き方ではない。もっと社交的であるべきだ。人様のお世話になって生きていながら、人様をお世話しようとしない。虫がよすぎている。
5
現代人はとてもこういう話には乗らないでしょう。非科学的なんですから。宗教的過ぎるのですから。阿弥陀仏などがいるとはとても思えないでしょう。西方十万億土の彼方に極楽浄土があるなどとは思えないでしょう。あほくさくて一瞥してしまうでしょう。でもね、科学が万能でもないのです。科学こそが正解ということもないのです。科学は物理世界の科学です。わたしたちは物理世界の人間で有りながら、それを越えた無限不可思議世界、真如界の住人でもあるのです。
6
わたしは、一足先に、というよりは大股に歩いて、わたしの迷妄の屁理屈を飛び越えて、仏陀釈尊の説きたまふ阿弥陀経に、安心をもらっています。わたしの迷妄の屁理屈に付き合うのに飽いて来てしまっていもいるのです。仏陀世尊が説きたまふのですから、それを喜んで拝受することに致します。
3
人は命が終わる時が来る。その時に心が顛倒するであろうが、その時に即座に、阿弥陀仏の極楽国土に往生をしてしまうのであるから、心が顛倒する暇もないだろう。仏陀であるわたしは、この事実の偉大さを見ているので、だから、この阿弥陀経を説いているのである。わたしが阿弥陀仏の救いを説いているのを、聞いている人は、だから今すぐに仏の願いに応当して安心してほしいのである。わたしたちは一人残らず無条件で阿弥陀仏の極楽国土に往生できるのだから。
(これはわたしの解釈であるから、大いに疑義あり)
4
「応当発願」をわたしは「(阿弥陀仏の)発願に応当して」と読んでみました。わたしは煩悩の迷路にある者です。とても発願などはできそうにありません。乗託することしかできませんから。そういうダンマの枠組みの中で安心を覚えることしかできません。
1
其人 臨命終時 心不顛倒 即得往生 阿弥陀仏 極樂国土 我見是利 故説此言 若有衆生 聞是説者 応当発願 生彼国土 「仏説阿弥陀経」より抽出
ごにん りんみょうしゅうじ しんぷてんどう そくとくおうじょう あみだぶつ ごくらくこくど がけんぜり こせつしごん にゃくうしゅじょう もんぜせっしゃ おうとうほつがん しょうひこくど
2
其の人 命終わる時に臨んで 心顛倒せず 即ち 阿弥陀仏の極楽国土に 往生を得たりき 我は是の利を見たりき 故に此の言を説けり 若し衆生の 是の説を聞く者有らば、応当して 彼の国土に生まれんと願うべし