<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

庭の石蕗を切って来た 茹でてアク抜きをする

2019年04月11日 12時47分55秒 | Weblog

 

石蕗料理に挑戦。石蕗は庭の四方八方に繁茂している。今春芽を出したばかりの若い、色の赤い茎を根元から包丁で切り取って、バケツ半分ほどを満たした。葉っぱは切り落とす。これを台所に運んで、じゃぶじゃぶ洗った。お鍋に入る長さに切り揃えた。水を沸騰させて、一分茹でた。春の薫りが薫った。水洗いした後で、スジ剥きをした。するするすると剥けた。感触が柔らかい。今度はそれをさらに短く切り、お鍋に湯を沸かして、塩を加え、2分茹で上げた。水に冷やす。水を数回新しくする。冷蔵庫に一晩冷やす。初日はここまで。

石蕗は天麩羅にしておいしいらしい。キンピラにもできるらしい。筍といっしょに煮てもいいらしい。それは明日。ここからは家内殿にお任せをする。

 

 

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午前中は友人が来訪 茹で筍を頂く

2019年04月11日 12時45分40秒 | Weblog

午前中は友人が道の駅から茹で筍を持って来てくれました。台所でお茶とお菓子をお出しして、しばらくお喋りをしました。彼は、台湾、中国を長期に旅して回っていて、やっと昨日帰国したのだそうです。長いこと会っていませんでした。台湾の4月はもう暑かったそうです。みなさん半袖姿だったらしい。我が家の新玉葱を少し持ち帰ってもらいました。

 

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蓬団子を食べました 直径3cmほどの

2019年04月11日 09時20分20秒 | Weblog

お昼は、少量のご飯と高菜漬けと、蓬(よもぎ)団子でした。蓬の匂いがぷんとしました。そんなにたくさん食べられません。茹で上がったら、家内殿がお仏壇に一番先に供えていました。鉦がちんと鳴っていました。 これがご先祖様への合図です、「お供えしましたよ。どうぞお食べください」の。さて、ご先祖様方のお口に合いましたやら。

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因と果は一続きをしている その9

2019年04月11日 09時13分04秒 | Weblog

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わたしは今日の朝はこんなことを考えておりました。底の浅いわたしの考えることです。邪推に過ぎません。

法蔵菩薩は因の位におられたときのお名です。果のときにおられる名は阿弥陀如来です。これは一続きをしています。久遠の時が過ぎています。わたしはその久遠の時の一瞬をいただいています。わたしはそのように受け取りました。

 

 

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因と果は一続きをしている その8

2019年04月11日 09時05分36秒 | Weblog

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誰もが因のときを過ごしています。そして同時に果のときをも過ごしています。新しい因は新しい果と結ばれています。果は消化すると消滅をします。苦しみを苦しんだ者は苦しみから解放されます。その対極の楽しみも、そこで尽きています。常時ではないのです。無常なのです。無我なのです。因位のときのわたしの姿を、芋づるを引くように、引いて見てみたくなります。

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因と果とは一続きをしている その7

2019年04月11日 08時58分24秒 | Weblog

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遠い遠い昔に、世自在王仏という方がおられました。そのときに一人の国王がおられました。王はその仏の教えをお聞きになられ、こころからのよろこびを懐かれました。そして国王の位を捨て、出家し、法蔵という名の修行者となられました。そこで自分も仏と成って世の人々の悩み苦しみを救いたいという誓願をお建てになったのです。

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因と果は一続きをしている その6

2019年04月11日 08時57分06秒 | Weblog

法蔵菩薩は世自在王仏にお尋ねになられます。「諸仏の浄土はどのようにして建設されたのか」「その浄土に集まる人たちはどのような暮らしをしているか」と。世自在王仏は、210億の諸仏の浄土の成り立ちとそこにいる人たちの歓喜のありさまを具にお示しになられます。そこで五劫思惟のご修行に入られます。

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因と果は一続きをしている その5

2019年04月11日 08時54分24秒 | Weblog

法蔵菩薩の「法蔵」は梵語ではダルマカーラ、法のあるところ、実践するところ。菩薩はボデイサットヴァー、菩提薩埵(ぼだいさった)と漢訳されています。「悟りに定まった有情」という意味が含まれています。菩薩はみな「願」と「行」を具えています。みずから悟りを完成する自利と、生きとし生きるものを救う利他が同時展開しています。

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因と果とは一続きをしている その4

2019年04月11日 07時50分23秒 | Weblog

法蔵菩薩は5劫の思惟を歴て修行をなさり48の誓願を起こされました。それが果となって阿弥陀如来となられました。阿弥陀如来と成られてから已に10劫が経過しています。初めの5劫と終わりの10劫を含めて久遠実成(くおんじつじょう)の報身仏です。まことに不可思議尊であります。

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因と果とは一続きをしている その2

2019年04月11日 07時47分42秒 | Weblog

因は原因です。因が起こればやがてして果に至ります。一直線であり、一続きの一道です。初めが終わりに直結していて切れ目がありません。何処を摘まみ上げても、両方が持ち上がってきます。

植物は、因と果を同時に併せ持っています。種から発芽した地下の根が因です。それに根ざした地上の茎や葉や花が果です。因と果とが一体となっています。果は因を含んでいますし、因は果を含んでいます。

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