いい天気になった。天気に煽られて外出した。
夕方になった。炬燵に足を投げているうちに、少しばかりうとうとした。しかし、浅い眠りに留まって、いかにも生半可だった。疲れるようなことはしていないが、疲れている。何処かの臓器が変調を来したのだろうか。体に気力の張りが生まれない。どうもヘンだ。
外は寒そうだ。出て行かない。出て行けば、気が紛れるかも知れないのだが。
いい天気になった。天気に煽られて外出した。
夕方になった。炬燵に足を投げているうちに、少しばかりうとうとした。しかし、浅い眠りに留まって、いかにも生半可だった。疲れるようなことはしていないが、疲れている。何処かの臓器が変調を来したのだろうか。体に気力の張りが生まれない。どうもヘンだ。
外は寒そうだ。出て行かない。出て行けば、気が紛れるかも知れないのだが。
4
この男は、不遜だ。ふしだらだ。じつにだらしがない。怠け者だ。勉強もしない。働きもしない。のほほんとしている。今日もただ青い空をぼんやり眺めているきりだ。
しかしこの男はまったく幸運で、この一生涯でとうとう法華経に出遭っているのだ。この男にしては不相応だ。法華経とだらしないこの男とは釣り合いがまったくとれない。この男は、ラッキーもラッキーで法華経の中の薬王菩薩・薬上菩薩と目を合わせている。二人の菩薩が教えを垂れる。そんなことがこのていたらくな男にあっていいのか。
案の定、この男は、不誠実のままで、教えを聞いた風を装いながら、信者にすらならない。屁の河童をして通している。
3
よくぞ数々の難所を乗り越えて来た。これはどうしてなのだ? ふっとそう思う。オレがオレの力で乗り越えて来たのか? どうもそうじゃないようだ。明らかにそうじゃない。誰かがいる。守っていてくれている。助けていてくれている、手を取って導いてくれている。科学的、法的根拠はないが、そうだ。では、それはなぜなんだ? なぜそこまで守護しているのだ? この男がそれほどに重大重要な男なのか? 頭を傾げてしまう。解せぬ。
解せぬが、この男の前には、春の大空が広がっている。そして、この男を拒んでいるふうでもない。むしろ歓迎して掛かっている。
2
よくぞ難所を乗り越えて来たものだと思う。あれこれあれこれの難所関所が待ち構えていた。手形にものを言わせて、そこを乗り切った。手形には「この男は信用に足ります」と書いてある。何やら分からぬ不思議な押印がある。誰が造ってくれたものか、当人にも分かっていない。「信用に足りる男」だとは、当人にはとんと思えないのだが、そうお墨付きが下してある。水に映した己の顔を見てみても、とても信用が得られるような正義の顔はしていない。
1
しかしまあ、よくこの年齢まで生きたなあ。生き延びたなあ。この間一度も心臓が止まったことがない。ときには休憩を入れたかろうに。いつもせっせせっせだ。すこぶる勤勉。決して怠けない。主人様は数ある怠け者の中の、その第一等の怠け者なのに。それを思うと頭が下がる。深々と頭が下がる。心臓様だけではなく、諸器官さまにも。
3
歌詞にある「袷(あわせ)」は、漕ぎ手のユニフォームの下に着る厚着。なにしろ寒いのだ。だから足袋ももう一枚添えてやらねばならない。おまけに水飛沫がかかる。かかって濡れて寒いのだ。御嶽山は霊峰。信仰の山。年中ほとんど美しく神々しい雪を被っている。一度長野まで出掛けて行って、この足で登ってみたいものだが、麻痺の足では無理だろう。ま、寂しいときに歌を一人で歌っているくらいが、関の山か。
2
「中乗りさんは」筏の漕ぎ手。先頭は「舳(へ)乗りさん」、後方は「艫(とも)乗りさん」ナンジャラホイの掛け声、囃子詞は、梵語の「ナムジャラホイ」が起源だという説もある。「盆踊り」の意味があるらしい。平安時代の木曽義仲の戦勝祝い「武者踊り」が原曲とも。歌詞にあるとおり、夏でも寒いところ。ここの木曽川を勇壮に筏を組んで、男たちが歌を歌いながら木材を運搬して下る。
1
木曽節も好きだ。「木曽のなあ、中乗りさん、木曽の御岳さんは、なんじゃらほい、夏でも寒い、よいよいよい」「袷しょなあ、中乗りさん、袷しょやりたや、なんじゃらほい、足袋を添えて、よいよいよい」長野県木曽福島地域に伝わる民謡。夏の盆踊りに歌われる。わたしもよく歌う。自己流に編曲歪曲して。三橋美智也が歌うと軽快だ。地元の人の盆踊りも地味だ。
4
最後に「日向(ひゅうが)木挽き歌」を歌って終わりにする。「山で子が泣く 山師の子じゃろ、ほかに泣く子があるじゃなし」「大工さんより木挽きが憎い。好いた二木を切り分ける」2番までにする。深い山の中。樵夫さんたちが歌っている風景を思い浮かべてみる。晩酌の効き目はここまでだった。力尽きた。
昨日のわたしのお風呂コンサートは楽しかった。張り上げた声で、狭いお風呂の、薄い窓ガラスが割れてしまうんじゃないかと心配した。
3
それで次は佐賀の「箪笥長持唄」を歌ってみる。久しく歌っていなかったので、なかなか思い出せない。ううううー、ライオンのように唸る。箪笥長持唄は日本の全国各地で歌われている。それぞれに特長がありそうだ。随分前に、卒業生の結婚式で請われて歌ったことがあった。結婚式場ではなくて、田舎に住んでいる花嫁の家の、玄関先で。居並ぶ地元の人たちの前で。若い頃は今にも増して厚顔だった。