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おはようございます。5時半起床。晴れています。炬燵に入って、YouTubeで朝のクラシック音楽集を聴きながら、過ごしています。まだ寒いので、チャンチャンコも着ています。
日記を書いて、昨日一日の日記なのに思い出せなくて、もたもたして、小一時間が経過してしまいました。記憶喪失のスピードが速まっているのかも知れません。それだけ確実に年を取っていると言うことですね。
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おはようございます。5時半起床。晴れています。炬燵に入って、YouTubeで朝のクラシック音楽集を聴きながら、過ごしています。まだ寒いので、チャンチャンコも着ています。
日記を書いて、昨日一日の日記なのに思い出せなくて、もたもたして、小一時間が経過してしまいました。記憶喪失のスピードが速まっているのかも知れません。それだけ確実に年を取っていると言うことですね。
午後からお客人。昔の同僚。ふらりとやって来られた、昔風のスクーターに乗って。ゆっくりお喋りをした。朝方出来上がったばかりの薩摩芋の焼き芋を食べてもらった。彼は元気だ。毎週水曜日には近くの山に登っているという。この山は標高500mほど。山登り仲間100人近くの人とご一緒に登られるらしい。わたしより年上だが、道理で、矍鑠としておられた。病気一つしないのだそうな。
プログを書くのは此処まで。外は春の光。外へ出よう。今日は軽量新型電動耕耘機で畑を耕してみる。老爺に務まるかどうか。怪しい。畑まで長々と電源コードを繋ぐのが面倒だが。
女房殿が電気掃除機を引いて入室して来る。部屋の掃除をしてくださる。掃除機の音がうるさい。早く終わって向こうへ行ってほしい。
女房殿が部屋の掃除をしてくださる。散らかしっぱなしにして汚くしている部屋を無言で片付けて。頼んでいないけど、そうしてくださる。わたしは平然としている。お礼の一言も発しない。こちらも無言。
そういう己でいる。それがふっと、後になってあいすまんのであります。
女房殿が電気掃除機を引いて入室して来る。部屋の掃除をしてくださる。掃除機の音がうるさい。早く終わって向こうへ行ってほしい。
女房殿が部屋の掃除をしてくださる。散らかしっぱなしにして汚くしている部屋を無言で片付けて。頼んでいないけど、そうしてくださる。わたしは平然としている。お礼の一言も発しない。こちらも無言。
そういう己でいる。それがふっと、後になってあいすまんのであります。
10
歓喜と慚愧。慚愧と懺悔。懺悔の干潟に歓喜の潮が満ちて来る。
おれはそういう男なのか。阿弥陀仏のダンマを一身に受けるに足るだけの人間なのか。つらつら考えてみれば、つらつらではなくても、そういう値引きを強要はできませんねえ。穴があったら入りたいほどの暗い悪心の人間です。それがまばゆい光を存分に浴びているのです。浴びたいだけ浴びてもいられるのです。
証歓喜地生安楽 しょうかんぎじしょうあんらく 歓喜地を証して安楽を生じせしめらるなり。この己。生しせしめられている己。
まことに慚愧にたえないのです。
9
わたしは此処に暮らして来ました。身に受けた歓喜光の量は優に1億兆トンを超えています。わたしの目には見えないのですが、受けた分の光でわたしはまぶしく輝いているはずです。
もう死んでもいけるのです。輝いて死んで行けるのです。
これはわたしがわたしの力量でそういう実績を残したからではありません。そういうところにわたしが暮らしてきたからです。おのずからなのです。
8
わたしが此処に誕生をしました。此処は歓喜を受け継ぐところです。仏陀の仏法は歓喜地です。三界は苦界であるけれども、同時に、処も移さずに、歓喜界でもあるのです。苦界から歓喜界を仰ぎ見ることができるようになっています。暗い部屋の窓に明るい世界の光が射し込めるようにしてあります。すべての歓喜の光を一度にどっと受け取るには明るすぎているのです。受け取れる分の僅かでも十分です。
苦界が嫌なら、どどどどっと歓喜界に突入を図ることも可能です。
7
はい、花鳥風月みながこれを証明して見せています。此処には様々な花が咲き乱れています。これは歓喜の花々です。此処にはまた鳥が鳴いています。美しい声を放って歌を歌って慰めてくれています。これは歓喜の歌声です。此処にはまた涼しい風が吹き渡ってもいます。春のなれば春風が、夏になれば夏風が吹いて渡ります。これは歓喜の風の流れです。此処からは月が見えます。夜を照らして明るくしています。これは歓喜の光陰です。
6
(これはわたしの邪心の解釈です。正しくはありません)
阿弥陀仏は極楽浄土を建立されましたが、浄土往生したその先にあるのではありません。陸続きなのです。繋がっているのです。ここから先という境界線はないのです。ですから、此処も阿弥陀仏の法門の領土内なのです。歓喜を先取りしていいのです。そうしたいのであれば、安楽の法門を実地に享受していてもいいのです。ずっと後にしてもいいのです。楽しみにして残していてもいいのです。自由裁量になっています。
ここから先というように区切られているのではありません。広大なのです。歓喜地は無限大なのです。