<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

あきらめることにも慣れて

2015年11月27日 09時33分13秒 | Weblog

あきらめることにも慣れてほの紅い南天の実のつぶやきを聴く    伊万里市 松尾光子

今朝の佐賀新聞読者文芸欄で見つけた歌。江副選者の選の3席に選ばれていた。さぶろうには歌の優劣などは分からない。読み進んでいるうちに、ここへ来て足が止まったのだ。冬になると南天の実が赤くなる。雪達磨の目にしていいようになる。それで存在が明らかになる。だが、この南天はまだほの赤くしていて、しかもつぶやきごとをしている。ひっそりとしている。何かを頻りにあきらめようともしている。あきらめることに慣れようともしている。何をあきらめるのか。そこはつぶさになってはいない。南天とほんとの恋との取り合わせをした名歌があったのを思い起こしてしまった。人はそうそう長く、男女の相愛の霞中に止まっていられるとは限らない。足が止まったのは、さぶろうと類似する点があったからであろう。

作者の歌いたかったこととは違うと思うが、さぶろうはこの歌からそんな思いを抱いた。

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ひとり遊びが性に合っている

2015年11月27日 09時18分16秒 | Weblog

世の中に交しらぬとにはあらねどもひとり遊びぞわれはまされる     良寛禅師

この歌がちょくちょくさぶろうのところへやってきては油を売っていく。良様は油売りではない。油売りはさぶろうの方だ、むしろ。歌の立つ縁日へ来て、油を売る。良様の高尚さはさぶろうにはない。だから、歌をここへ引き入れてくるだけでもおこがましいのだが、歌を聞いて慰撫される。さぶろうを慰撫しているのはひとり遊びをされた世捨て人の孤高の様だ。世の中を憂しとされたのではない。世人を俗悪とされたわけでもない。争いがお嫌いで苦手とされたのだ。おのれのこころの庭でおのれと世人が功を争うのをよしとはされなかったのだ。キャベツを住み処としている青蛙もひとり遊びをしている。それで朗らかにしていられるようだ。

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深まって行く冬寒さ

2015年11月27日 09時01分49秒 | Weblog

今年始めての部屋暖房。炬燵の外に出ている手がかじかむ。ダブル暖房はいかにも贅沢に過ぎるが、エアコンをオンにした。障子戸を開けた。灰色の雲の隙間からは青空が覗いている。昨夜の雨で隣家の瓦屋根が濡れている。庭には侘び助が白粉を塗っている舞を舞っている。畑に風はない。すんすんすんの音がするほどにフカネギがまっすぐに伸び上がっていて緑を濃くする。これといって取り上げるところがないさぶろうがいて、深まって行く冬寒さ。

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さあて今日をいかにして暮らせばいいか

2015年11月27日 07時38分12秒 | Weblog

するべき仕事があるわけではない。勤め先があるわけではない。このまま一日寝ていてもいい。障子戸をしめたままにしておいてもいい。といっても、自堕落を決めても、ぐうぐう鼾を掻いて寝ていられるかどうか。怪しいもんだ。ひっそり畳一畳の広さを我が住み処として安住できるなら、その生き方も悪くはない。無価値の老人のさぶろうとしてはでき過ぎかもしれない。庭先に降りて誘いをして来るのはわずかに冬鳥のみである。

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外は明るいのに障子戸を閉めている

2015年11月27日 07時23分59秒 | Weblog

寒い。手指がかじかんでいる。ラジオニュースが伝えるところでは、日本海側は雪に見舞われているらしい。吹雪いているらしい。で、さぶろうは障子戸を開けない。外は明るいだけで吹雪いてなんていないのに。冬鳥がいつものように庭先に来て、いつものように鳴いているというのに。もう起きろよ、さぶろう。

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滅多に人の家には上がり込まない

2015年11月27日 07時05分35秒 | Weblog

これはさぶろうの性格。まず人の家を訪ねることをしない。人見知りをするのだ。まだ三才児なみだ。発達を見ていない。ところが昨日はこれが違った。まあ上がれよ、お茶を飲んで行けよと友人が言うのでこれに従った。茶の間で長崎名物のカステラを呼ばれた。福砂屋ので、すこぶるおいしかった。得をした気になった。もちろん食べたらすぐに立っておいとました。落ちつかない。二杯目の茶をもいただかずに。こんなふうだ。まったく可愛げがない。愛想がない。損な性格だと思う。

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弟よ ここにいたらいいじゃないか

2015年11月27日 06時43分35秒 | Weblog

ここはあなたが生まれた家、ここはあなたが育った家。ここはあなたの父がいるところ、ここはあなたの母がいるところ。あなたがやすらげる場所、あなたがかがやける場所。弟よ、ここにずっといたらいいじないか。

あなたには妻がいて子供たちや孫たちがいるから、そこに家族といっしょにいたいのなら、もちろんそうしてもいい。きっとそうしているだろう。でもときどきはぶらりと外へも出てみたいだろう。そしてそのときの行く先にはあなたが生まれ育った家があるだろう。

仏壇の前にあなたの遺影写真がある。あなたはにこにこしている。

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願掛け参りは真冬の丑三つ時から

2015年11月27日 02時34分16秒 | Weblog

始まる。恋さんがあてのためを思うてひとりお不動さんに行て水垢離をしてはる。寒うて凍え死にはらしまへんやろか思うて眠られしまへん。昔昔に聞いた「法善寺横丁」の歌が思い出されて来る。恋さんがいてくれる人はよかろ。恋の成就を願って願掛けるほどの一途な恋さん。そやけどわての恋さんはいてくれしまへん。

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真夜中2時半は丑三つ時

2015年11月27日 02時17分08秒 | Weblog

草木が眠る。

へええ。そうなのか。草も木も寝てしまうのか。すやすやすやの音ばかりしている野山。

草木ばかりではあるまい。鳥が眠る魚が眠る虫が眠る獣が眠る蛇が眠る蝶が眠る。

眠っちゃいないのはないか。川が眠らない海が眠らない。月が眠らない。さぶろうが目を覚まして眠られない。

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それほどでもない

2015年11月27日 02時00分03秒 | Weblog

それほどでもない寒さ。覚悟して寝たけれど。布団を一枚脱いでしまった。雨垂れの音。でも間隔が長い。ともかく寒さは緩んでいるようだ。干し柿作りには寒さが欠かせない。寒いほどいい。北風が吹き荒ぶ方がいい。そうでないと黴が生えて腐ってしまう。竹竿にずらりと干しあげた吊し柿が心配になってきた。

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