メール送信すると、iモードにつながるのに遅いような?
音声通話は問題ないが、iモード使えないなんて小笠原みたい。
青ヶ島はどこに行ってもスムーズにつながったのに、はてな?
このブログも何度か送信を試みての投稿です(*_*)
13時28分定刻、スーパー宗谷1号は稚内駅ホームに滑り込むように到着。
私の乗った車両はちょうど改札口の前に位置しており、すたこら・・・と改札口へ。
「ちょっと待った!!」
「最北端の駅」標識に乗客が群がっていた。
つまり、ほとんどの乗客は地元ではなく、遠いところからの記念撮影ということらしい。
飛行機であっという間に稚内に来るよりも鉄道ではるか北を目指したほうが、「やっと最北端にやってきた」という実感がある。
スーパー宗谷号はディーゼルのわりに駅を通過するスピードはすさまじく、流れ過ぎる駅を確認できたのは塩狩駅、糠南駅、抜海駅のわずか3駅。
塩狩駅は三浦綾子さんの小説で有名な「塩狩峠」の舞台。
1909(明治42)年2月28日の夜、急勾配の塩狩駅付近で突然客車の連結器が分離、逆暴走。
乗客の1人だった、若き30歳の鉄道員が「多くの乗客を救いたい」と自分の体を張って客車をせき止めたそうです。客車の下敷きになり、犠牲になられました。
その実話を基に小説化されています。
急勾配なので、特急もスピードを落とすかなと思いましたが、エンジンの響く音もなく、軽々と通過。山の峠に差し掛かっているなという感じもありませんでした。
次に見えたのは糠南(ぬかなん)駅。朝礼台のようなホームに物置小屋が置かれているだけでした。
ビデオでも撮るつもりでしたが、今どこを走っているか把握できず。わずか1,2秒くらいでしたが、しっかり目に焼きついておきました。
抜海駅は、南稚内から10キロ、通過予定時刻を割り出し、ビデオにおさめることができました。日ごろは計算もせず、とんぶり勘定で済ませるのにこういうときだけ細かいかも・・・。(笑) 念願だった、「日本最北端の駅」の標識。
この先に見える車両止めは、今はなき天北線(1989年廃止)のレールが使われているとのこと。
2本の鉄路はここから鹿児島県の枕崎まで途切れることなく、繋がっているのですねぇ・・・。(JRから経営移管された青い森鉄道、いわて銀河鉄道、肥薩おれんじ鉄道もJRのレールと繋がっています)
「稚内→枕崎 経由:宗谷・函館線・津軽海峡線・東北・八戸・新幹線・博多・鹿児島線・八代・新幹線・鹿児島中央・指宿枕崎線」の切符を買うとしたら、3154.9キロ、運賃は28,980円なり。 行き先表示は「回送」に変わってしまいましたが、16時51分発の「スーパー宗谷4号」として札幌に帰ってしまいます。
朝8時半出発、稚内で3時間程度の休憩、札幌に戻るのは夜21時50分。
1日の勤務時間は12時間超えているみたいですが、毎日お疲れ様です。
素晴らしい景観のドラマを見せてくれて、ありがとう。 ハン尚宮(母)がカメラを持ってせわしく動き回る私を見て、ちょっとつまらなさそうな顔をしていた。
去年は最南端の赤嶺駅(沖縄県)、今回は最北端の駅。
喜びをかみしめなさいよ・・・。
改札口で駅員さんに切符を渡す前に「記念として持ち帰りたいですが・・・」
切符を見ないで「はい、いいですよ、どうぞ!」
えええーっ!このまま持ち帰ったとしても、スタンプなどで乗った証拠がないとただの買い置きしているかように見える。
「何か押すものはないですか?」と申し出ると、「無効 稚内駅」のゴム印でした。
稚内駅の改札口。
13時45分発 特急「サロベツ」号の改札中。 改札横のみどりの窓口。
1ケ月先までの全国のJR全線・指定席券発売中。
稚内駅発行の何かの乗車券・・・?当分は乗る予定なし。
駅出口あたりにありました。
最北端の駅にしては都会的ですな・・・。
2階部分は待合室を兼ねた仮眠室らしい。
駅を出て右側に小さな通路があります。
そこを通ると、記念撮影スポット。
「最北端の線路 指宿枕先線・西大山駅 最南端から北へ伸びる線路はここが終点です。 宗谷本線・稚内駅 昭和3年12月26日開業」と書かれています。
昭和3年といえば、樺太(現ロシアのサハリン)も日本の鉄道が走っていました。
韓国は祖国統一を願って、もう少しで北朝鮮に届きそうな最北端に「鉄馬は走りたい」の看板ですが、ここは潔く「日本最北端」。
旭川9時53分発、稚内着13時28分、259.4キロをおよそ3時間半の旅。
この新型特急がデビューする2000年以前は普通のディーゼルカーを急行に改造した、キハ40。(改造後はキハ400)
キハ40といえば、山陰本線や山口線などでトコトコのんびり活躍しているヤツと同じもの。
無理やりエンジンパワー全開の「急行」にしても、4時間半はかかったので、およそ1時間の短縮ですね。
当時は夜出発して翌朝に着く夜行急行も設定されており、両端はキハ40、中間車はブルートレインの寝台車も連結ということもありました。 これから北の最果てに旅するのに、パンチの穴が開くだけの自動改札機なんてそっけない・・・。
JR北海道の駅名票。
韓国と東京の地下鉄にちなんで、駅ナンバーを導入。
駅ナンバーは地理に不慣れな外国人向けのサービス。
「T23(西船橋)の東西線、T09(大手町)。同じ駅のM18に乗り換え、M25(池袋)で降りる」
このように路線図に載っている番号を頼りにしてスムーズに乗り換えや目的地に行けるメリットあり。
旭川はA28、札幌から28番目の駅。稚内はW80、札幌駅から80番目。 普通のキハ40。
故郷の山陰線と同じものですが、こちらは寒地向け。
窓が二重になっています。
9時53分、特急スーパー宗谷1号がホームに入りました。
稚内駅の「最北端」の標識に1番近い、先頭車の左側にしたので、
増21号車1番D席。
乗り心地はローカル線とは思えないほどの超高速、まるで電車のようでした。
名寄までは130km/hだそうです。
先頭車はグリーンと一般席が半室。
一般でもグリーンとあまり変わらないほどの快適さになっていました。
あこがれのグリーン。
検札は切符をよく見ずに「ありがとうございます」だけでした。
片手にチケッターを持っていても、省略されてしまいました。
どんな印影になるか楽しみにしていたのに・・・。
ここは旭川車掌所の管轄かな?
天塩中川駅を過ぎたあたりに昼食の旭川駅弁。
車窓を眺めながらの駅弁は実に何十年ぶり。
この絶景パノラマは、宗谷本線を全部乗り通した特権のプレゼント。
抜海~南稚内の間に利尻島が見えるのですが、今日は霞んでいてあまり見えませんでした。
ハン尚宮(母)いわく「もうすぐ稚内だというのに、こんな風景が続くなんて、終着駅はとんでもないところなのかい?」
南稚内駅停車。「なーんだ、さっきまではすごい景色ばかりだけど、このあたりは街になったのね」
やっと、稚内駅到着!!
それでは、旭川~稚内の動画をお楽しみください。
聞こえる方も楽しめるように車内の音は消していませんので、ボリュームを調整してください。
この動画の中に私の大好き(?)な駅も入っています。(笑)
今日(8月26日)は旭川から特急スーパー宗谷1号で最北端の稚内へ移動。
何も知らずに宗谷本線に乗っても楽しくないので、事前にリサーチ。 国鉄監修・交通公社の時刻表 1977(昭和52)年12月号に載っていた北海道の鉄道地図。
今の時刻表を開いて見ると、道内主要都市を結ぶ路線のみになってしまいました。
辛うじて宗谷本線だけ残して、枝分かれした網の目のような路線は廃止。
1987(昭和62)年4月、JR北海道発足時の路線図はいくつかの路線があったような気がする・・・と、調べてみました。
<JR北海道としての廃止路線>
天北線、名寄本線 1989(平成元年)5月1日廃止
深名線 1995(平成7年)9月4日廃止
<JRに引き継がれることなく国鉄時代に廃止してしまった路線>
羽幌(はぼろ)線 1987(昭和62)年3月30日廃止
興浜南(こうひんなん)線 1985年(昭和60)年7月15日廃止
興浜北(こうひんほく)線 1985年(昭和60)年7月1日廃止
美幸線(びこう)線 1985年(昭和60)年9月17日廃止
渚滑(しょこつ)線 1985年(昭和60)年4月1日廃止
他にも数え切れないほどの廃止線がたくさんありますが、今回は道北エリアなので、宗谷本線を取り巻く範囲内にしました。
宗谷本線は旭川から稚内まで259.4キロ、明治時代日露戦争の輸送目的で敷設。
樺太(現在ロシアのサハリン)を日本の施政下に置いたあとは、宗谷本線を稚泊(ちはく)連絡船に直接乗り換えができるようにしてあったそうです。
樺太庁大泊町(現在はコルサコフ)の「泊」の字を取って、稚泊連絡船。
現在も就航中だが、昔と違ってパスポートとビザが必要になります。
(注:樺太庁は1949(昭和24)6月1日消滅)
当時、北緯50度以南は日本領土なので、JRの在来線と同じ軌間1067ミリで樺太鉄道を敷設したため、1993年(平成5)年頃、JR東日本が古くて使われなくなったディーゼルカー(キハ58)を何両かサハリンに譲渡したことがあるそうです。
今でも使われているかどうかは実際に行ってみないとわかりません。 韓国最北端の駅は・・・日本人が敷設した、京元(キョンウォン)線の新炭里(しんたんり)駅。
何枚かデジカメで撮ったのに、ハードディクスが突然故障してしまい、再起不能。
デジカメのデータはC:トライブに入れるのではなく、外付けのハードディクスにして、万が一故障してもデータを残せるようにしています。
日本製の信頼できるブランドのDVDに移し替えたほうが安心ですけど・・・。
護政府(ウィジョンプ)からおよそ1時間くらい。38度線(サンパルソン)を超えるのはこの路線しかない。
代わりに京義(キョンウィ)線の最北端、都羅山(トラサン)駅を載せました。
都羅山で鉄路は途切れているのではなく、国境を越えて北朝鮮の板門(バンムン)駅までは直結されているはずだが、去年(2007)年5月の試験運転で1度だけ両国を往来しただけ。
韓国では「ここは最北端です」とかの宣伝するような看板はなく、「??? ?????」(鉄馬は走りたい)。
今度は、日本人として「最北端の駅」に立ちます。
(と言いつつも、今まで飛行機や東京からのクルマで稚内駅に立ち寄っても、鉄道としての最北端の実感がなかったため、今回は改めて・・・)
次回は「スーパー宗谷号」をリポーターします。
今日は9月2日。
先月下旬あたりからもうそろそろ秋になるかなと思わせるほどの気温が続いていたのに、今日から猛暑にぶり返したらしいです。
暑苦しい熱帯夜ではなく、窓を開けていれば涼しいよそ風が入って来るので、先月よりはマシになったかな。
さて、北海道の続きです。(ほぼ毎日北海道の話題なんですが・・・) 宿泊先付近のスーパーに行ってみました。
わが家の台所を支えてくれる、熟手(スクス)のドックおじさん(父)が物価調査。
熟手(スクス)とは、韓国ドラマ「チャングムの誓い」に出ていた宮廷出張料理人なので、食材選びもやってくれます。
私の買ってきた野菜をドックおじさん(父)が丹念にチェックし、「ちゃんと裏まで見ないと・・・。見えないところで多少腐っている部分がある」と注意するほど細かいんです。(笑) 北海道産のブロッコリー100円。
地元で採れたものなので、安いですね。
千葉だと、北海道からの輸送費も上乗せされているのか、ちょっと高めになっていました。 同じ北海道といっても、海に近い函館、 小樽、稚内、根室あたりなら獲れたての魚介類をよく見かけるのですが、ここは北海道の真ん中、旭川。
それでも新しいのは産地直送なのかも。
近所のスーパーだと、このくらいの刺身は1,000円程度。
新しくて680円から780円とは安いです。
近所の電器屋さんに行っても、ストーブの展示はなかったのに、北海道では早くも展示されていました。
去年沖縄に行ったときは、ストーブを売っているところを1軒も見かけなかった。
数年前の12月に行ったときも日中気温27度、エアコン(冷房)が入ったくらいなので、もしかしたら、沖縄県はストーブとは無縁なところかな。でも、2、3年位前の大寒波の影響でストーブの需要が上がったとか、そのようなニュースを聞いたような気がします。
今年から灯油代が非常に高くなっているので、寒くなる前に値下げして欲しいものです。 みどりの窓口を通して予約した駅レンタカーを構内に返却し、ちょっと構内を探検してみました。
ここは最北端の自動改札機。
10月からsuicaと同じ仕様のkitaca(キタカ)を札幌都市圏に導入予定。(旭川駅はエリア外になっていました)
来年の春から首都圏でいつも使っているsuicaを北海道でも相互利用ができるようになるらしいです。JRもついにチケットレスの電子マネー時代!? 近距離自動きっぷ売場コーナー。
左側に自分で指定席券を操作し、発券できる機械がありました。
ちょっとメニューが寂しい。
JR東日本は色んなメニューがついていて、全国のとんでもない秘境駅から秘境駅行きの乗車券や、指定席の位置も自分の好みで選べるのですが、ここは北海道のみかな? 今夜の夕食。
昼食の層雲峡イタリアンに続き、また洋食!?
旭川といえば、ラーメンやジンギスカンが名物なので、鮮魚が食べられるお店を見つけるのは大変・・・。 期間限定の夏メニュー、冷たいパスタ。
クリームパスタ。
今日は1日じゅう動き回ったせいか、とても美味しかったでした。
ごちそうさま~
層雲峡から旭川駅に向かう途中の道。
北海道の道路は明治時代、屯田兵による道路整備が行われたので、碁盤のように一直線というところが多い。
網走刑務所の囚人も道路開墾に従事、人権を無視した過酷な重労働をさせられたこともあったそうです。
石北本線の金華駅から生田原駅の間にある常紋トンネルも有名です。
今は閉鎖されていますが、今から10年位前のJR北海道旭川支社の公式ホームページでも「十勝沖地震で損傷した補修工事で壁から立ったままの人柱が数体出たため、金華駅付近に殉難者供養塔が建てられた」という内容でした。
「常紋トンネル」で検索すると、たくさん出てきます。
ここに来て信号機の変わるタイミングが本州と異なるのに気付きました。
碁盤の目のようにきれいに整備された市街地の信号機はほぼ同じタイミングで変わります。
そろそろ赤信号に変わるかな、とブレーキをかけると、2つ目、3つ目先も赤。
青に変わるときもほぼ同じタイミングなので、ストップ、ゴー、を繰り返さない、地球環境に優しい道路になっていました。
そもそも真っ先に気付いたのはドックおじさん(父)。
旭川空港から駅に向かう途中のバスで「信号の変わり方がきれいにそろえている」と。
本州も北海道に見習い、信号の変わるタイミングを統一して欲しいな・・・。
「ムーンライトながら」とは、東京~大垣(岐阜県)の東海道本線を深夜帯に走行する快速電車。
去年(2007年)3月ダイヤ改正以前までは、東京を23時43分に出発、日付が変わり、最初に停車するのは横浜。
横浜までの乗車券とJR全線の普通列車を1日乗り放題になる、「青春18きっぷ」を持っていれば、車掌さんに翌日の日付を入れてもらい、新幹線に乗らず普通電車だけで下関に帰れます。
昔、貧乏だった頃は東京から普通電車で山口に帰ったりしていましたが・・・。
「ムーンライトながら」で名古屋に着くのは朝6時、始発の「のぞみ」に乗り継げば、新下関には朝9時前。
東京から1000キロ離れても、朝からまるごと時間が使える、非常に便利な電車でした。
(当時の指定席は東京~小田原と東京~名古屋の2種類あり、名古屋までが満席なら小田原に変更すると、発券してもらえました。小田原から先は自由席になりますが、東京から指定席で座っていれば、大丈夫です)
ここまでは2007年ダイヤ改正までの乗り方ですが、ダイヤ改正後はちょっと使い勝手が悪くなったみたいです。
東京を23時10分に出発、日付が変わって最初に停車するのは小田原の0時30分。
東京から小田原までかなり距離があり、青春18切符を2日分消化するか、JRより格安な小田急線で小田原まで出るかの選択になります。
過去、何度かお世話になった「ムーンライトながら」が来年のダイヤ改正でお盆や年末年始のみ運用する臨時電車に変更すると協議が入ったみたいです。
・朝日新聞社 「夜行ムーンライトながら 臨時化へ」
七合目リフト乗り場横の風景。
ここから先は本格的な登山になり、山小屋で登山の申告をしなければならないそうです。
空を見上げると、山頂付近では雲がかぶっていました。
夏服で登山とは無茶なことなので、そのまま降りてしまいました。
ここではもう「秋」ですね。 これは高山地でしか見られない、蝦夷(えぞ)りんどう。
紫色に近い、濃い青色で群生していました。 五合目ロープウェイ乗り場付近の風景。
冷たい風に当たりながら降りたので、暖房が恋しいな・・・と思ったら、ロープウェイ乗り場の待合室では、なんと、暖房中。
まだ8月なのに、暖をとるのは生まれ初めて。
麓におりると、暑くも寒くもなく、ちょうどよい気温でした。
層雲峡温泉街からクルマでおよそ5分のところの、「流星の滝」というところです。
この風景を見て、真っ先に思い出すのは、やはり御蔵島。
御蔵島も海に注ぐ似たような滝もあるんでしたっけ・・・?
そこへはまだ行ったことはないのですが、情報を集めているうちにサイトを見つけました。
「御蔵島」で検索すると必ず出てくる、詳しい観光案内の「御蔵島の旅人」サイト内の「御蔵島の見どころ(滝)」にクリックすると、見られます。
そうしているうちにもう夕方の4時半頃になってしまいました。
旭川市までおよそ60キロくらいなので、到着予定は6時から6時半頃。
かっ飛ばすわけではなく、帰りもゆっくりドライブ。今回は珍しく自動車道80キロ、一般道路60キロでした。飛ばしてみたくても、これ以上アクセルを踏み込むようなことはしなかった。人間は歳を取るつれに考え方が変わってくるはず、歳のせいかな?
(過去に速度違反で多額の罰金を科せられたことあり)
おっかなびっくりをしながらドライブをするよりも、法定速度のほうがすっきりしませんか?
人によっては多少イライラすることもありますが、排気ガス減少のためなら・・・。
まあ、回りから見れば煙だかられているのは確か、後ろにクルマがいると道を譲ったりしています。
では、黒岳登山(といいつつも、ロープウェイとリフト)の動画をご覧になってください。