山蓬だけの荒地を走ること3時間、死の谷に着いた。谷底を走る一本の道を挟んで白っぽい荒地が広がっている。奇妙な形の山肌あり、砂丘あり、乾いた塩の河や渓谷あり、涌き水あり。最北端のスコッティ・キャッスルとバッド・ウオーター間の75キロに見どころが点在、死の谷といえども小の民家もある。中心部ファーナス・クリークから12マイル地点のストーン・ブリッジを見ての帰りだった。下りのジャリ道で突然ブレーキが効かなくなった。加速して車が滑って行くではないか。どうしよう!どうして?どうしてブレーキが効かないの?右足に力が入るが車はさらに加速するのみ。ああ、横転するぞ。もうだめだ!ああ……
ハンドルにしがみついた刹那、轟音とともに車がストップした。一瞬意識を失っていた。気がつくと、沸き立つ埃で周りが真っ白で何も見えない。ああ、だが何と車が止まったではないか。窓が閉まっていた車の中も埃でもうもうとしている。何が起こったのか?ここは何処?車はどちらを向いているのか、何もわからない。ワイフも「死ぬんだ!」と思ったのち意識が失せていた、と言う。
動くかな?キーを回すとエンジンはかかり、アクセルを踏んだら前進した。その時フロント・グラスの埃が取れた。何と車は逆に坂を上がる方向を向いているではないか。方向転換を試みたら車の前面から埃がドーッと内部に入ってきた。ワイフが「車が壊れたのでしょう!」と叫んだ。調べたら前輪左側タイヤのホイールとゴム部がはずれ、潰れてジャリの中に沈んでいる。同じ側の後輪もホイールとタイヤ間にジャリが数個食い込みパンクしそうな状態だ。ブレーキが効かなかったのは、スピードと共にタイヤの表面のジャリが一緒に回転し、更にタイヤもジャリ道に嵌り、かなりのジャリがタイヤ内に食い入りパンクさせたのだろう。下り坂ゆえ加速も手伝ってハンドルを取られ、スピン(回転)し、それで止まったのだろう。「これまでか!」と刹那に去来した恐怖を思いだしゾーとした。場合によっては横転を繰り返して車はつぶれ、「死の谷」の名のごとく死への旅立ちとなったに違いない。
さてパンクだけの被害と分かったものの、それからが大変。スペア・タイヤを取り出したが、レンタカーゆえジャッキの固定さえ不慣れで思案していたところ、通りかかったおじさんたちがさっさとやってくれてタイヤ交換ほどなく終了。咄嗟にワイフが日本のスナック数袋を差し上げた。アメリカにいるワイフのために日本から持参して車につんでいたものだ。おじさんたちはニコニコと手を振って走り去った。この出来事はわが運転史上初体験であった。あのような恐怖の一瞬では理性も判断も効かないということを知った。神のご加護で生をいただいたと感謝した。
ショックから覚めやらなかったが、途中、死の谷きっての景観地、ダンテス・ヴューを抜かすわけにはいかず、主道路から外れること13マイル、標高1665mの高地に向かった。夕暮れ時に上る車は我々一台のみ、すれ違う車はなく、二人とも心細さはひとしおながら口に出さず、時間を気にしながらなんとか頂上の見晴らし場に着いた。日が落ちた直後で山陰からの残照に映える紅色の雲の美しいこと。見晴るかす裾野には谷を埋め尽くす塩の河があった。白く浮き立つ山襞と調和し、表現しきれぬ雄大な光景。死のスピンからの生還と、静寂の中のスペクタキュラーな大自然を短時間のうちに経験し、言葉にならない感動で立ち尽くした。立ち去りがたい余韻に後ろ髪をひかれつつそこを出発し一路帰路へ。あとはカー・ジャックに怯えながら左右にくねった道を暗闇の中一気に下山するのみ。二人とも心中の複雑な興奮と緊張で身を固くし言葉少なであった。
その日モーテルに落着いたのは8時過ぎ、田舎のカジノを兼ねたレストランで、無事であったことに乾杯した。人間の生命とは宿命づけられたものがあるのだろうか。
(自悠人)