あけぼの

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母の姿蘇るバスの旅:「トイレは外でどうぞ!」~エクアドル他~

2013-08-09 11:02:47 | アート・文化

049 アメリカの払い下げスクールバスが中南米でよく路線バスとして使用されている海外バックパックの旅ではよくバスを使う。経費も安く土地の人々と交流してそのお国柄や文化を知ることが出来、宿泊代も浮かせるから。中南米のバスの発展には目を見張る。大都市のバスターミナルで150ヶ所ぐらい行き先があるのはざらである。トイレは外でどうぞ! エクアドルのキトーから乗車したリオバンバ行きの路線バスは4時間の予定だったが5時間以上かかった。標高2000mのアンデスを縦走するコースのバスになんとトイレがなかった。乗客は地元の人たちでのんびりムード。停車ごとに入れ替わり立ち替わり乗り込んでくる食べ物売りのおかげで飲み食いの心配はないが出す方が心配だ。中南米の多くの国のバスでは便所休憩があったが、このバスではそれが無い。男は停車を利用して外で用を済ませるが女性は大変だろう。放牧されている牛や馬のように青天井の下で行うことを当然とし、インディヘナの人たちは黙って辛抱しているのだ。バス会社は「バスを通してやっているのだ」というお上意識なのだろうか。「人権無視だね」と妻と共に憤りつつ、「途上国でバスに乗るには大人用おしめが必需品だ」と悟った。この経験により、リオバンバからグアヤキル間の5時間乗車ではバスにトイレがあることを確かめてチケットを買った。

トイレに鍵がかかっていた! 車掌に用をたしたい旨を伝えても「その先で止まるから外でどうぞ!」と言って相手にされない。壊れているのか?掃除が大変だから使わせないのか?やがて車掌が「カギを開ける」と妻に言ってきた。我々が外国人だから気を使ったのか。妻がトイレを使ったところ、「待ってました!」とばかりに女性客が並んで続いたのは言うまでもない。帰路はトイレの事を考え航空機にしたが、悠長なバスのほうがもちろん魅力がある。

路線バスは社会の指標 ニカラグァでも各都市の移動にバスを選んだ。バスは地域の人々の移動手段、日本のほぼ1世紀前の状況だが、違いは舗装道路が増えていたことだ。長距離バスや乗り継ぎも経験したが、17年前の近隣国グァテマラの状況と変っていなかった。一列に6人がけ、通路側に半分尻を載せて2人並んだが、乗客の逞しさをそこに見た。飲食物中心の物売りが入れ替わり立たち替わり乗り込んで来るし、客の乗り降りが頻繁で力仕事もあり車掌は大変だ。だが日本だって同じ過程を経て今日に至ったのだ。現今の日本ではバスを待つ人々を見ても何も感ぜず一つの風景にしか見ないだろう。だが筆者は途上国で見かける「バスを待つ人」に思いを馳せる。

我が母の時代の風景 私の母親が92年前に子ども連れで実家に帰った折りの写真を見たが、我が母の時代の暮らしをしている人たちがこの地球上にいるのだ、と感嘆した。暑い中、露天で座るところもない停留所、子ども連れ、手荷物の山、どれだけ遅れるか分からないバスを待つのは大変なことだ。それに耐えなければ目的が果たせない生活状況の国に生きているのだ。「時間ではなく日が単位」の暮らしをしている人々。生まれた国、育った生活環境でしか暮らしていけないのだ。(自悠人)