あけぼの

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感動しつつ学ぶ書、「ユネスコと歩いた50年:平和の文化を求めて」(野口昇著)紹介

2019-06-09 12:49:31 | 講演・アート・音楽・スピーチ

 昨日と一転、お堅い話題です。献身的偉業に感動しつつ読み進む、野口昇さまの素晴らしい著書を紹介しよう。元ユネスコ事務局長の松浦晃一郎氏が、「血の通ったユネスコ論」と題する序文で「職業人のほとんどをユネスコと関わって過ごし、しかも多重構造を持つユネスコのすべての側面で働くという希有の経験の持ち主である」と紹介し、且つ、「パリのユネスコ本部での2度にわたる国際公務員としての勤務…、ユネスコ北京事務所長として中国をはじめ、モンゴル、北朝鮮を担当し、この地域で多様なユネスコ事業に携わっていた……その誠実な人柄と着実な仕事ぶりで信頼されていた。」と最高の推薦文を寄稿しているが、まず世界遺産の定義を学び得ることだけでも大きな収穫である。また、平山郁夫氏につきそってのお手伝い、文化財難民の保護、ピョンヤン国際映画祭参加、カザフスタンの核実験場閉鎖、21世紀へのメッセージ“平和の文化”等々、最後まで学び続け、感動し続ける傑出した著作である。我々夫婦の旅、地球千鳥足の合言葉は長い間、「世界遺産より人間遺産を!」で、現地の人々との出会いを重視し楽しんできた。が、野口氏のこの貴重な著書から、世界遺産実現の陰に数々の人間ドラマと心ある人々の限りない努力があったことを学び、次の旅から「人間遺産も世界遺産も!」と関心が同じ比重になるだろうと確信している。(彩の渦輪)


「いつでも夢を」や「メキシカン・ロック」を聞きに、橋幸夫と歌の仲間ショーへ

2019-06-06 15:55:00 | 講演・アート・音楽・スピーチ

夢グループ主催、橋幸夫と歌の仲間たちの歌を聞きに中野ZEROホールへ。大ホールは全席埋め尽くされていた。橋さん曰く、「デヴュー59年前からのファンの方ばかり、つまりお年寄り様ばかりですね!」で大受けだったが、ホント、客はシニアばかりに見えた。共演歌手は金沢明子さん(津軽ジョンガラ節Etc.)、伊藤ゆかりさん、(小指の思い出、恋のしずくEtc.)三田明さん、等。筆者がよく歌った「メキシカン・ロック」で始まり、「いつでも夢を」は客席が一緒に歌えて楽しかった。デヴュー当時の曲をもっと歌ってほしかったが上記タイトルの2曲以外は筆者の知らない新曲ばかりで面白くなかった。「美しい十代」から「美しい七十代」へと成長を遂げた三田明さんが大トリを務め、彼が25歳ごろ歌った歌、並びに、当時流行した歌を彼の歌唱指導で結構長時間全員合唱、大変楽しいひと時だった。終わったら、橋幸夫さんが「いつでも飴を」、「いつでも梅を」と、顔写真の入った菓子類の販売でロビーに立ったので、筆者は1300円のお煎餅を買って握手してもらった。帰宅したら自悠人が「アホだね!」と筆者をくさしつつ、橋幸夫煎餅は美味そうにポリポリお食べくださった。(彩の渦輪)



無いと思うな運と災難!:体調回復したのかな?

2019-06-05 16:35:56 | 講演・アート・音楽・スピーチ

  1日、土曜日のことだった。庭で4、5歩歩いたら突然眩暈がして意識を失い、何ものかに摑まったのに、引きちぎられたように仰向けに倒れた。直ぐ起き上がったが掌に激痛を感じた。黒っぽい血がどくどくと流れ落ちるのが目に入った。タクシーで病院2つを経てT総合医療センターへ。掌7針を縫ってもらい家に落ち着いたのは午後10時20分だった。救急の若いウッカリ医者さんのおかげで「痛み止めや破傷風の注射を忘れた!」と深夜の12時半に電話があり、呼び出され、翌朝に処置があったが、ここまでは前回書いた。

 5日。ジッーとわが手を見る。腫れが引いて皺が寄って来た。痛みも少ない。怪我の回復が見えてきた。この5日間の苦しみって一体何だったのだろう。老いて生きることの必須体験か。「無いと思うな運と災難」の1つか。思わずこの1年6ケ月間の、右足の腓骨骨折以来の肉体不調継続を振り返った。歩行時、腰から下の足腰の重かったこと!ひどい便秘、Etc。だが歩行を続けることで足に筋肉がついたのか、今朝は足取りが軽かった。棒状のDroppingsも出るようになった。78歳(?桁数値入れ替え)、元気を取り戻した。継続こそ力なりだろう。(自悠人)

写真は腓骨骨折時


老いて生きることの難しさを悟った週末

2019-06-03 10:56:39 | 講演・アート・音楽・スピーチ

午前から夕方まで約1日の幸せタイムがまさか夕方のこの不幸な出来事に一変しようとは、人間には予測不能だ。若いKei君に会い、★先生訪問、緑の公園散歩と楽しく過ごした土曜日の夕方5時、事件発生!1寸先は闇、とはこのことか。わからない!?要因があったのかも知れないが、怪我に呻く夜になるとは!庭に葱の仮植を1本採りに行き、玄関前のタイル張り石段で躓いたようだバランスを失いグラッと身体が揺れて精神異常状態になった。左手で身体を支えようと何かに摑まった。が、倒れる勢いが強く後ろ向きに投げ出され、直ぐに起き上ったが掌が切れていて、黒味を帯びた血がドクドクと吹き出し、大量に流れ落ち、タイルが血で染まった。「これは深い!」とワイフに脱脂綿を持ってこさせ、右手で出血を押さえた。追加したガーゼも直に赤い血でベトベト。家から4分の泌尿器科病院へ。裏から応急処置依頼に飛び込んだが、帰宅寸前の看護師さんが、「医師は手術中だ」と。が、急を察してさくら救急病院までタクシー会社に電話してくれた。待てどタクシーは来ない。時は土曜日の5時過ぎだ。道路は混んで動かない。目の前の矢川駅前の信号機が渋滞を促進している。そこにパートカーも通りかかったが何のHelpにもならない。助手が降りて踏切向こうのタクシーを発見してくれた。暫く待ってタクシーをU-Turnさせ、乗ることが出来、救急病院であるさくら病院へ。看護師が傷口を覗き、血が吹き出して驚愕、ここで処置出来ないからとタクシーを呼んでくれ、多摩総合医療センターへ。ここでは医者が出血を強い力で抑え続けた。女医さんが1時間、手が疲れたらしく男性の医者に変わりまた1時間、出血が止まらないと手術できないと、体重をかけて2時間半傷を押さえてくれ、それから縫合手術。動脈が2か所切れており、7針縫った。この病院に3時間居た。帰路はKeiくんのお世話になり、帰宅は10:20pm。それから夕食し、深夜の12時布団へ。ところが12時半に3回電話!!!!!夜中の電話は恐怖で起きづらい。親族の訃報を想像するでしょ?ところが手術した若い医者からだった!「破傷風の注射を忘れたから明朝8時までに病院へ来て!」と。で、日曜日も早朝5:50発、電車で病院へ。手の怪我なので運転出来ないからネ。本日もまた病院で、今帰ってこれを書いている。(自悠人)