ぽぉぽぉたんのお部屋

季節の移ろい、道ばたの草花、美味しい食べ物、映画や友人のこと、想いがいっぱいの毎日をお話します

モガディシュ 脱出までの14日間

2022-07-15 | 映画のお話
ソマリア内戦に巻き込まれた韓国と北朝鮮の大使館員たちのお話
予告編で観た、ボロボロの車が印象的で面白そうだと思った。

何でも、コロナ禍にもかかわらず、昨年の韓国映画No.1大ヒットで
今 勢いづいている韓国映画の中でもかなりの話題作らしい

1990年、ソウルオリンピック後、国連への加盟を目指していた韓国が
多数の投票権を持つアフリカ諸国へのロビー活動に励んでいたのだという。
北朝鮮も同様、韓国より20年も早くアフリカ諸国との外交を始めていたらしい。
初めて知ることばかり、その頃私はどうしていたのだろう・・・

だが、反乱軍による内戦が激化。
暴徒に大使館を追われた北朝鮮大使は、本当ならありえない韓国大使館に子どもたちを連れ全員の助けを求める。
信じられないような状況の中、生き残るために必死に逃げ惑う姿が平和ボケには辛辣だった。

時代が違うのだろうか。
化学兵器やミサイルの飛び交う現在のウクライナとは随分印象が違う。

銃を構えた少年兵たちの遊びとも本気ともつかない
狂気じみた姿が頭から離れなかった。
だから今も混乱はずっと続いているのかもしれない・・・

ソマリアと言うよく知らないアフリカの国が舞台
いや、難民問題や栄養失調で
おなかのふくらんだ大きな目の子どもの姿はソマリアだったはずだ・・・

最初からアフリカの大地を思わせるリズミカルな打楽器が鳴り響き
つい韓国映画だと言う事を忘れてしまう
首都モガデシュの乾いた砂ぼこりとただ白い明るさのもとで
タクシー運転手と韓国から着いたばかりの参事官のやり取りが面白い
しょっぱなから北朝鮮の画策で暴漢に車を襲われるシーン
打ち抜かれた車と怪我した運転手を置いて大統領との面談に走る姿は滑稽だったが・・・

当時のモガディシュの状況を再現するのは相当な資料を研究したことだろう
渡航不可能なソマリアにかわり
西アフリカ、モロッコで行われたオールロケでの撮影だという。
アフリカの白く広い大地の風景と躍動感が素晴らしい。
乾いた土の路に砂埃がもうもうと舞う。
アフリカの太陽独特の強い日差しを体感できたのも
繊細なリアリティにこだわったからだろう。
俳優とスタッフが半年もの間、現地で撮影したからこその臨場感

銃弾で打ち抜かれ火のついたボロボロの車
銃弾よけの本を貼付け、土のうをぶら下げた車、
今まで見たこともない、想像もできない状態での
カーアクションがただただすさまじいばかりだ。

韓国人の芸達者な役者たちの演技もさながら
アフリカ現地の人達の演技も動きも素晴らしくて
どうやってこんなスケールの大きい映画を作れるのだろうと思うばかり
長い期間をかけて、瞬間瞬間を積み重ねての作品に
ただ圧倒されるばかりだ。

作りすぎのきらいはあるが
子ども連れで赴任していた北朝鮮の大使たちが
人質に子どもを一人ずつおいてきていて
帰れなければ孤児になってしまうと漏らしていた。
元は一つの国だったはずの韓国と北朝鮮の違いに気づかせられながら
南北問題を思う。

韓国側が交渉したイタリアが植民地時代の統治国だったから助かったのかもしれない。

北朝鮮参事官役の演技も光った。
最後の最後での死にざまは北朝鮮らしく壮絶だった。
撃たれ殴られ一人大変な傷を負いながらも最後の最後までやり通した。
たった一人、国に帰れなかったがこんなことは普通なのかもしれない。

ケニアに着いて飛行機をおりてからの
後ろを振り返らない二人の大使のそれからはどうだったのだろう。

北朝鮮側のその後は粛清などあったのだろうか・・

だが、ユーモアに救われた面白い映画だった。

ふと日本の大使館もあったはずだと思った。
いち早く去ったアメリカと行動を共にしたのかもしれない。

1982年10月1日駐日ソマリア大使館開設、但し、1990年7月1日閉鎖。
(現在はケニア大使館が兼轄)となっているようだ。







 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする