ぽぉぽぉたんのお部屋

季節の移ろい、道ばたの草花、美味しい食べ物、映画や友人のこと、想いがいっぱいの毎日をお話します

「レオナール・フジタ展」

2009-05-16 | きょうのできごと
レオナール・フジタ展の宣伝をあちこちで見聞きすることが多くなった。

偉大な画家、藤田嗣治のことは子供のころから絵を見て知っていた。
それが私の中でレオナール・フジタとつながったのは
いつ頃だったのかあまり覚えていない。
でも単なる知識の一部としてもっていたのは確かだ。

高校生の頃だったろうか、
ある日、日本史の先生が何かの折に
「えーとなんだったかな?あの画家は!
子供だったおれたちに戦争の絵をたくさん描いて見せておいて、
戦争が終わった途端にフランスに逃げて行ったんだ。」
といつになく憎々しげに言った。

「誰か知らないか?!・・・」

誰も手を挙げなかったが、私はもしかしてと思って、手を上げてみた。

「え~と、レオナール・フジタだったか、
レナール・フジタだったか忘れてしまったのですが・・・」
とおそるおそる答えた。

「そうだ!その藤田だ。思い出した、藤田嗣治だ!
向こうでの名前はなんだか知らないけどな!」

彼はとてもものわかりの良い私たちの担任だった。

でも戦争のこととなると違っていた。

彼の父親が捕虜となって仲間の兵士たちに殺されてしまったようなことを
話していたような記憶がある。

そして私は一見豪快な彼の繊細で神経質な一面を最初から感じていた。

藤田嗣治が日本を去り、帰化し、
洗礼を受けてレオナール・フジタとなって
どんな思いでこれらの白い絵を描いたのだろう。

乳白色のこの幻の作品が、
フランス第一級の修復チームにより
6年の歳月をかけて本格的な修復をされて、今ここに公開されている。

いくつかの彼の絵がフランスの国宝になっていることが、
わたしには何か不思議な思いで
描かれたエンジェルの姿ばかりを観て回った。

彼が日本に残っていたらもう絵を描くことなどなかったのかもしれない・・・
などと考えることからして
強靭な芸術家の精神にはありえないことなのだろう。

没後40年にして日本で彼の作品が公開され、
わたしはあの先生のことを思い出した。

先生はきっとまだまだお元気なことだろう。




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