小生のウオーキングスタイル上の大きな欠点として、歩くことに集中するあまり、周りを見回すほどの心のゆとりが如何に欠如しているかを痛感した。
ウオーキングコースにあたる、岡山市中区祇園に昔からあるエノキの大木脇を通り過ぎた所で、家内が「(枯れて)エノキがなくなっている事に気付いとる?」と呼びかけるので、思わず足を止めて振り返った。あれほど茂っていた大木が朽ち果てて、今や無残な姿をさらしているではないか。
この大エノキは、小欄「2006/8/26 蘇れ大エノキ」で書いたように、昔から地域の人々に愛され親しまれているシンボル的存在で、「よみがえれ大エノキの会」まで結成し、エノキを蘇らせる運動が続いていたもの。
早速にエノキのすぐ傍に住まわれるS村さんにいきさつをお尋ねした。
1998年8月、この老木の枝の一部が落下したことから伐採され、それを機に大エノキ保存の声が高まったのだが、時の町内会長がS村さんである。
みんなの熱意が通じエノキの古木に新芽がつき一時は復活するかに見えた。しかし、(老木が故に)土台が痛んでいたため、いくら新芽が出ても持ち堪えられなくなっていた。そこへ先の(5月29日)時ならぬ台風2号に襲われ、大木の上部が折れ、ついに大往生を遂げた。
S村さんは「物心ついた頃からずっとエノキの姿は変わらず、後楽園から丁度4㎞の所に立つので、まさしく“一里塚”だった。」と懐古の念で振り返る。
有為転変は世の習いとはいうものの、一世紀以上の永きにわたる世の変遷を見守ってきた町のシンボルがまた一つ消えた。

ここまで蘇っていた(2006/8/26撮影)
↓↓

見るも無残に枯れ果てた姿(2011/6/13撮影)

ウオーキングコースにあたる、岡山市中区祇園に昔からあるエノキの大木脇を通り過ぎた所で、家内が「(枯れて)エノキがなくなっている事に気付いとる?」と呼びかけるので、思わず足を止めて振り返った。あれほど茂っていた大木が朽ち果てて、今や無残な姿をさらしているではないか。
この大エノキは、小欄「2006/8/26 蘇れ大エノキ」で書いたように、昔から地域の人々に愛され親しまれているシンボル的存在で、「よみがえれ大エノキの会」まで結成し、エノキを蘇らせる運動が続いていたもの。
早速にエノキのすぐ傍に住まわれるS村さんにいきさつをお尋ねした。
1998年8月、この老木の枝の一部が落下したことから伐採され、それを機に大エノキ保存の声が高まったのだが、時の町内会長がS村さんである。
みんなの熱意が通じエノキの古木に新芽がつき一時は復活するかに見えた。しかし、(老木が故に)土台が痛んでいたため、いくら新芽が出ても持ち堪えられなくなっていた。そこへ先の(5月29日)時ならぬ台風2号に襲われ、大木の上部が折れ、ついに大往生を遂げた。
S村さんは「物心ついた頃からずっとエノキの姿は変わらず、後楽園から丁度4㎞の所に立つので、まさしく“一里塚”だった。」と懐古の念で振り返る。
有為転変は世の習いとはいうものの、一世紀以上の永きにわたる世の変遷を見守ってきた町のシンボルがまた一つ消えた。

ここまで蘇っていた(2006/8/26撮影)
↓↓

見るも無残に枯れ果てた姿(2011/6/13撮影)
