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大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

〈リバイバル・アーカイブス〉復旧 九州新幹線-熊本地震

2016年04月30日 | 鉄道・バス

〈リバイバル・アーカイブス〉2022.11.7~11.21

原本:2016年4月30日

2016.4.29.7:31 新大阪駅 20番ホーム

案内板に「さくら547 8:04」発の掲示。

 

先日、4月28日に九州新幹線が13日ぶりに全線で復旧しました。

 

2016.4.29.8:00 さくら547 新大阪駅始発 入線。

 

「熊本行」の掲示があると、なんかほっとします。

 

熊本の被災された皆さんが、一刻も早く日常の生活に戻れることを、願って止みません。

 

もう20年になりますが、私は1995.1.17.の阪神淡路大震災の時、宝塚市で被災しました。(当時の写真)

震度6強 団地の4階でしたので、ほんとうに揺れがひどく、60cm幅の揺れが45秒間に100回以上繰り返すような感じでした。そして、5階建ての鉄筋住宅が倒れる恐怖感を感じました。

 

1995.1.17.被災した当日の写真

3秒で電気が切れ、家財道具は倒れるか根っこからちぎれ、50cmくらいの高さに混ぜられたような状態でした。茶碗類は、3個だけ壊れずに済みましたが、ほかは全部割れました。もちろん、電気・水道・ガス・電話、すべて止まりました。

近所の方は、布団を持ち出し、余震の恐怖と寒さに耐えながら、野外で夜を過ごしていました。余震は1週間くらいつづきましたか...忘れたころに、おさまりました。ガスの本管が壊れ、1か月も野外はいつもガス臭かったです。阪急 今津線では、宝塚歌劇場のところで、電車がひっくり返っていました。1週間後から、往復30kmを自転車で通いました。

地震が起きて1週間後くらい 玄関のドアは閉じ込められないように開けたまま、すぐ逃げれるようにコートを着て靴を履いたまま、暖房器具はなにもなしで寝ていました。この時一番必要なものは、懐中電灯でした。

 

宝塚市では117人の方が亡くなりました。おとなりの西宮市は、1126人。神戸市に至っては4564人の命が奪われました。宝塚市の私の団地は幸い亡くなられた方はいませんでしたが、山のような廃材置場には血の付いた壊れた食器棚などが放置してありました。

阪急西宮北口駅北の住宅地はすべて壊滅状態でした。1か月もなるのに、押しつぶされた乗用車が道路の脇に放置されていました。2階建てのスーパーの1階部分がなくなっていたり、10階建の建物は隣の建物に寄りかかってきたり、高層マンションの1階の駐車場が押しつぶされ、車がぺしゃんこになっていたりと、ありえない光景がいくつも現れました。

きょう私の乗った新幹線が六甲山のトンネルの手前、甲東園あたり通過したとき、ここがあの新幹線の高架が落下した所だと思うと、また地震の恐ろしさが込みあげてきました。

地震は必ず起こります。五百年に一度か千年に一度かはわかりませんが、常にそのエネルギーが蓄えられているのは科学的にも間違いのないところです。富田林市にも何本も活断層や活断層とおもわれるものが走っています。私たちの一生の中でそれに遭遇しないことを祈りながら、防災バッグの飲料水や缶詰を毎年入れ替えています。

今回の地震で亡くなられた皆様に心から哀悼の意を表します。また、被災された皆様には、心よりお見舞いを申し上げ ます。

撮影日:2016年4月29日

2016.4月30日 ( HN:アブラコウモリH )

 


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