この季節、
先祖がゆかりの深い生者の元に還ってくるお盆や、
多くの人命が損なわれた戦争の記憶、
暑さを冷たい冷気で吹き飛ばそうという
お化け屋敷的感覚など、
わたしたちの日常に死がより身近に
感じられるように思えます。
今日読んだ雑誌に養老猛氏のこんな文章が載っていました。
氏の死生観がそれなりに表現されていました。
「死を想うなら生きそびれないようにすべきであろう。
現代人の一番の危うさは、生きそびれることである。
情報とはすなわち過去である。
出来事が情報化された時点がすでに過去である。
それに浸ることは、過去を生きることに他ならない。
せっかく生きているんだから、死ぬことなんか考えて、
時間を無駄にしないほうがいい。
死ぬことのすべてを意識的に明らかにして、
デジタル化し、他の人や後世に伝える。
生きているというのは、そういうことか、
そんな暇があったら、わたしは(趣味の)虫の標本を作る。
虫を見ていると思う。
まさしく神は詳細に宿る。それを実感する。」
死について祈り、考え、よい死の準備をするのは大切です。
同時に、先々のことは神さまにお委ねして、
今の自分ができること・委ねられていることを一生懸命すること…
それが本当の死の準備なのかも知れません。