アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

グラナダの夜

2013年11月01日 | Weblog
 「グレナダ侵攻(1983年)」を記憶しておられる方は多いでしょう。
 あの頃は、フォークランド紛争(1982年)→グレナダ侵攻→パナマ侵攻(1989年)→湾岸戦争(1991年)と、続きましたから。きな臭い時期でした。
 カリブ海に浮かぶ島国グレナダへ、米軍とカリブ平和軍が侵攻しました。この時、某国が、「グラナダを攻める」と、聞き間違えて、カリブ海の国「グレナダ」ではなく、スペインの都市「グラナダ」を攻めると…ホントホント!あまり知られていませんが、本当の話ですよ。
 スペインのグラナダを攻めようとした司令官は処分されました。未遂に終わったからいいようなもので、実際にグラナダを攻めていたら、アルハンブラ宮殿はなくなっていましたね。

 と、いうわけで、スペインに現存する町、グラナダへも行きました。
 グラナダといえばアルハンブラ宮殿です。宮殿見学の前夜、フラメンコショーを観にいきました。グラナダのフラメンコは、「洞窟フラメンコ」といって、洞窟仕立てにした会場でフラメンコを観せてくれる。なんでも、フラメンコ発祥の地がグラナダなのだそう。
 予約をすると、夜9時にホテルまで迎えに来てくれます。マイクロバスで。価格は、飲み物が一品ついて、ショーを観て、およそ20~30ユーロ(2,400~4,200円)。日本の旅行代理店のオプショナルツァーでは、1万円以上取られます。
 ショーを観せてくれる洞窟は、グラナダ市内のサクロモンテの丘に数カ所あり、踊り子さん一座(踊り子が3~4人。歌い手が1人、ギターが1人、かけ声係が1~2人)があちこちの洞窟を掛け持ちしている様子。
 洞窟は、普通の家屋の内部をコンクリートで洞窟風に改造したもの。白ペンキで塗られていました。客席はコの字型に椅子が並べられており20~30席ほど。踊り子さんとの距離は1メートルあるかないか。文字通り、間近でショーを楽しめるという寸法。

 感想ですかぁ?…踊り子さんが、気持ちを集中させるというか昂ぶらせることを大事にしているので、観客の物音(話し声、拍手)を極端に嫌っていました。ただ、その割りには、踊りと踊りの数分の合間に、踊り子、伴奏者、歌い手が雑談するんです。観客をナメています。なんと、携帯電話の着信音をマナーモードにしておらず、演奏中に、電話が鳴り、それに出たり…!その時の経緯として、踊り子が自分の携帯電話を上着のポケットへ入れていたのですが、その上着を脱いで私の後ろに置いたのです。電話が鳴ったとき、一座も観客も一斉に私を観たのです。
 そのおよそ80個の目玉は、…
 「こら!貧相な日本人!フラメンコ発祥の地のフラメンコショーを観に来ていながら、携帯電話をマナーモードにしておかないとは何事だ!この恥知らず!」
 と、言っていました。そのあと、踊り子の一人が自分の携帯電話と気づいたので、私の潔白が証明されたわけですがね。
 踊りに対して、感動はなかったです。あの程度なら私でも踊れます。男の踊りなど、単に床を踏みならして疲れたら終わる…。事前にかなり激しく腿(もも)を叩く情熱的な踊りと聞いていましたが、この日は腿が痛かったのか全く叩かなかったです。なんなんだ!
 女の踊り子は20歳代~70歳代まで…年齢幅が広いラインナップ。踊りが上手かどうかは…分かりませんでした…。真剣さは伝わってきましたがね。高齢者を踊らせるのには多少の抵抗がありました。虐待じゃないか?

 夜、9時半からショーが始まり、およそ1時間半。11時ころショーが終わり、またマイクロバスでホテルまで送ってくれました。
 このフラメンコショーからの帰り道、対岸の丘にライトアップされたアルハンブラ宮殿を見ることが出来ました。マイクロバスを停めてもらって写真を撮る。これ、常識。