上州名物空っ風だろうか?
春一番だろうか?
松井田妙義を過ぎた辺りから強風に舞い上がる土埃に視界を遮られ
車も風にあおられた
富岡製糸場の主要な建物が完成したのは明治5年だそうだ
もっと後年だと思っていたのでちょいと意外な早さだった
フランス工法で積まれたレンガの重厚な建物群はなるほど
世界遺産に相応しい
見学は主に外観で内部見学は一部に限られる
耐震工事のため見学できない部分もあったのがちょっと残念だった
この大きな製糸場から稼ぎ出された外貨の一部は
戦艦三笠や戦艦大和の建造費にもなっていたのだろう
まぁ、そんなこととは関係なく
貧しい農村の女子にとって現金収入を得ることができる職場があったことは
ありがたいことであったに違いない
車載してきた自転車で昭和テイストな近隣をブラブラ散策し
その女工さん達も愛したカレーライスと言ううたい文句に誘われて
入ったお店のカレーは懐かしい味だった

春一番だろうか?
松井田妙義を過ぎた辺りから強風に舞い上がる土埃に視界を遮られ
車も風にあおられた
富岡製糸場の主要な建物が完成したのは明治5年だそうだ
もっと後年だと思っていたのでちょいと意外な早さだった
フランス工法で積まれたレンガの重厚な建物群はなるほど
世界遺産に相応しい
見学は主に外観で内部見学は一部に限られる
耐震工事のため見学できない部分もあったのがちょっと残念だった
この大きな製糸場から稼ぎ出された外貨の一部は
戦艦三笠や戦艦大和の建造費にもなっていたのだろう
まぁ、そんなこととは関係なく
貧しい農村の女子にとって現金収入を得ることができる職場があったことは
ありがたいことであったに違いない
車載してきた自転車で昭和テイストな近隣をブラブラ散策し
その女工さん達も愛したカレーライスと言ううたい文句に誘われて
入ったお店のカレーは懐かしい味だった

木曽川沿いの上松辺りから
右岸にチラホラと発電所が現れる
寝覚発電所、桃山発電所、須原発電所、大桑発電所、、、
その水力発電所群のトリを務める読書発電所
大正期に建設され近代化産業遺産に指定されている
上流の読書ダムから取水された水は
柿其(かきぞれ)水路橋を渡り読書発電所へ供給され
3本の水圧鉄管から約12万キロワットを発電する
およそ100歳の水力発電所
原発より長生きで優しい
右岸にチラホラと発電所が現れる
寝覚発電所、桃山発電所、須原発電所、大桑発電所、、、
その水力発電所群のトリを務める読書発電所
大正期に建設され近代化産業遺産に指定されている
上流の読書ダムから取水された水は
柿其(かきぞれ)水路橋を渡り読書発電所へ供給され
3本の水圧鉄管から約12万キロワットを発電する
およそ100歳の水力発電所
原発より長生きで優しい

先週走った用水路の取り入れ口を見に岡谷の川岸へ
ここで取水されて辰野あたりでサイホンにより天竜川の下をくぐって右岸に出る
そして延々25キロ伊那谷の一角を潤しているのだ
お昼はちょいと奢って岡谷のウナギ
実はこっちが目的だったりして(^^)
ここで取水されて辰野あたりでサイホンにより天竜川の下をくぐって右岸に出る
そして延々25キロ伊那谷の一角を潤しているのだ
お昼はちょいと奢って岡谷のウナギ
実はこっちが目的だったりして(^^)

西天竜幹線水路は天竜川の右岸段丘を潤す
大正から昭和初期に開削された25キロ余りの用水路で
日本で一番多く円筒分水槽があり、円筒分水群の別名を持っているそうだ
円筒分水槽とは
農業用水を公平に分配するために円筒の真ん中から湧き出た水を
周囲に開けられた穴の数により各枝用水路に流れる水量を決めるもので
よく考えられている
これが用水路沿いに何か所もあるので楽しい
用水路沿いの道は勾配が緩やかなので
のんびり走るにはもってこいだ
大正から昭和初期に開削された25キロ余りの用水路で
日本で一番多く円筒分水槽があり、円筒分水群の別名を持っているそうだ
円筒分水槽とは
農業用水を公平に分配するために円筒の真ん中から湧き出た水を
周囲に開けられた穴の数により各枝用水路に流れる水量を決めるもので
よく考えられている
これが用水路沿いに何か所もあるので楽しい
用水路沿いの道は勾配が緩やかなので
のんびり走るにはもってこいだ

昭和19年から稼働しているという梓水力発電所
補修跡のある年季の入ったタンクがその歴史を物語る
二十メートル弱しか落差がない段丘に造られているので
水量でエネルギーを稼ぐのだろう水路管がとても太い
これも年間通して豊富な水が流れる梓川だからこそだ
補修跡のある年季の入ったタンクがその歴史を物語る
二十メートル弱しか落差がない段丘に造られているので
水量でエネルギーを稼ぐのだろう水路管がとても太い
これも年間通して豊富な水が流れる梓川だからこそだ
岡谷市の街中に残るかつての給水タンク
駅前通りからちょいと入ったところにあるのだ
こんなように
蚕糸業の産業遺産があちこちに残った街なので散策していて面白い
年配のご夫婦がやっていたレトロな喫茶店が閉店していたのは残念だった
駅前通りからちょいと入ったところにあるのだ
こんなように
蚕糸業の産業遺産があちこちに残った街なので散策していて面白い
年配のご夫婦がやっていたレトロな喫茶店が閉店していたのは残念だった

昨年暮れに足を捻挫して正月三が日まで引きこもり生活
今日は90%程度まで回復したので最後の仕上げに
竜島温泉「せせらぎの湯」へ湯治に
のんびりと温泉につかり食堂で蕎麦を食べ昼寝して起きたら
ふと、この近くで以前マンガンの採掘をしていたのを思い出した
何年か前のポタリング中、近くに住んでたFさんにそんな話を聞きながらこの辺りを通ったのだが
その時は痕跡を見つけることができなくて気にはなっていた所だ
早速ネット情報を見て雑炊橋に移動して探してみるがよくわからない
諦めかけて帰ろうとした時ちょうどゴミステーションの掃除をしているおじさんがいたので聞いてみた
「あの崖の向こうに跡があるよ、ここはわしの散歩コースだよ」
と言いながらうっすらと雪の積もる川沿いの道を案内してくれた
「ここには鉱石を選別する建物があったんだよ」
なるほどちょっと広くなったその場所には礎石と思われるものがあった
「坑道は川の下を通って対岸の山までいっていたらしい」
とも言っていたがこれは定かではない
坑口はコンクリートで塞がれていたが
これがマンガン鉱の採掘跡だとは予備知識なしには気付くまい
第二次世界大戦中には乾電池用としてマンガン鉱山が多数開発されたそうだ
竜島鉱山では1933年から1944年にかけて1203トン採掘されたとある
これも戦争遺跡なのだろう



今日は90%程度まで回復したので最後の仕上げに
竜島温泉「せせらぎの湯」へ湯治に
のんびりと温泉につかり食堂で蕎麦を食べ昼寝して起きたら
ふと、この近くで以前マンガンの採掘をしていたのを思い出した
何年か前のポタリング中、近くに住んでたFさんにそんな話を聞きながらこの辺りを通ったのだが
その時は痕跡を見つけることができなくて気にはなっていた所だ
早速ネット情報を見て雑炊橋に移動して探してみるがよくわからない
諦めかけて帰ろうとした時ちょうどゴミステーションの掃除をしているおじさんがいたので聞いてみた
「あの崖の向こうに跡があるよ、ここはわしの散歩コースだよ」
と言いながらうっすらと雪の積もる川沿いの道を案内してくれた
「ここには鉱石を選別する建物があったんだよ」
なるほどちょっと広くなったその場所には礎石と思われるものがあった
「坑道は川の下を通って対岸の山までいっていたらしい」
とも言っていたがこれは定かではない
坑口はコンクリートで塞がれていたが
これがマンガン鉱の採掘跡だとは予備知識なしには気付くまい
第二次世界大戦中には乾電池用としてマンガン鉱山が多数開発されたそうだ
竜島鉱山では1933年から1944年にかけて1203トン採掘されたとある
これも戦争遺跡なのだろう



温暖化で暖かな暮れ
恒例の越中屋での甘栗買いついでにぶらぶらとウォーキング
へぇ、街中にこんな所あったんだ
車では見えないものが自転車だと見えてくる
自転車では見えないものが歩くと見えてくる
人工物が植物に食べられているようだ
恒例の越中屋での甘栗買いついでにぶらぶらとウォーキング
へぇ、街中にこんな所あったんだ
車では見えないものが自転車だと見えてくる
自転車では見えないものが歩くと見えてくる
人工物が植物に食べられているようだ
少々風が強いが暖かな午後
自転車での所用ついでに
久々に白板の「アルカリ」跡を訪れてみた
ああっ~
数年前まであった遺構は
いつの間にか取り壊されてパチンコ屋の駐車場になっている
かろうじて傍にあるレンガ造りの白板南公民館と
その裏にある一階がやはりレンガ造りのレトロなアパートが
往時の雰囲気を偲ばせるだけだ
またひとつ歴史の証が消えた
※「近代文化遺産を歩く」にリンクさせていただきました
自転車での所用ついでに
久々に白板の「アルカリ」跡を訪れてみた
ああっ~
数年前まであった遺構は
いつの間にか取り壊されてパチンコ屋の駐車場になっている
かろうじて傍にあるレンガ造りの白板南公民館と
その裏にある一階がやはりレンガ造りのレトロなアパートが
往時の雰囲気を偲ばせるだけだ
またひとつ歴史の証が消えた
※「近代文化遺産を歩く」にリンクさせていただきました