バッタモンのポタリング日乗

松本在住の自転車散歩日記です
  時々余計な話題も

多田加助の道10

2013-09-08 00:04:13 | 多田加助の道
泣き坂は途中で松本トンネルのアクセス道路に突き当たり
そこから先は埋もれてしまっている

道はその少し上のアルプス公園北口駐車場奥から再度現れる
この部分は養老坂と言われ古道の雰囲気を良く残している

ここは糸魚川からの塩を塩倉に運ぶ塩の道でもあった
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多田加助の道9

2013-09-07 20:08:01 | 多田加助の道
国道から坂を上ると
篠ノ井線の踏み切り手前に松の木と岩がある

これは加助夫婦惜別の岩と言われ
加助を慕ってついて来た村人や妻のお民とここで別れたと伝えられている
傍の案内板にはそんな話が添えられている

この坂道を泣き坂と呼ぶようになったのはその後からだろうか
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多田加助の道8

2013-09-07 08:54:35 | 多田加助の道
下田の集落には口留番所が置かれ
さらに平瀬城とその支城を構えた交通の要衝だ

これ以降のルートは比較的はっきりしており
一行はこの集落から奈良井川に沿って南下していく

古道は国道に吸収されたものと思われる
1キロほど先の国道脇退避場の壁に「加助夫婦惜別の岩」の案内板がある
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多田加助の道7

2013-09-06 22:30:43 | 多田加助の道
小海渡の集落を東に折れると熊倉の集落だ

ここは犀川の渡し場として重要な所であり
対岸の下田集落には口留番所跡の標柱もある

加助一行が朝靄の立ち込める犀川を渡り安曇野に別れを告げたのは
11月16日の早朝だ

船頭が加助の護送と知るや船を出すのを拒んだので
仕方なく役人が漕いだという話もあるが尾ひれ的な感じもする

渡し舟を模った記念碑にも加助の話が刻まれている
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多田加助の道6

2013-09-06 13:39:10 | 多田加助の道
蔵久を過ぎ中飯田で進路を北に取る

下飯田に入るあたりに飯田砦跡を見つけた
今までも通ったことのある道だけれど気が付かなかった

砦があるということはこの道は戦国時代から存在したと思われ
加助一行が通った可能性が大だ

近くを通りかかったおじさんに伺うと
この辺りには幾つか砦跡があるようだ
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多田加助の道5

2013-09-06 13:35:04 | 多田加助の道
沿道のあちらこちらに咲く蕎麦の花は今が盛りだ
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多田加助の道4

2013-09-06 13:34:39 | 多田加助の道
上鳥羽には大きな造り酒屋を転用したカリントウ屋の蔵久がある

カリントウの販売は勿論喫茶や食事コーナーもある
時にはコンサートもやるようだ

建物は登録有形文化財だそうだが
建てられたのは加助の没後100年以上経ってからだ
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多田加助の道3

2013-09-06 08:32:06 | 多田加助の道
道なりに上鳥羽を走っていくと掘割の残る鳥羽館跡があった
標柱の説明には
「熊倉街道の要衝であり、鳥羽郷の開発拠点としての館」とある

なるほどこの道は熊倉街道なのか?

ただ糸魚川方面から来て豊科の成相から熊倉へ行く道も熊倉街道らしい
要するに熊倉の渡しへ至る主だった道は熊倉街道と言うのだろう
鎌倉街道がいくつもあるように
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多田加助の道2

2013-09-05 21:19:16 | 多田加助の道
加助生家前の道は中萱山道と言うらしい
これを大糸線中萱駅方面に下る

駅舎脇には加助の立派なレリーフ像がある
今でも米作りの盛んなこの地において
農民のために命を投げ出した加助は半ば神格化されているのだ

立石の交差点で糸魚川街道に合流し
数10メートル北進して上鳥羽方面に右折する
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多田加助の道1

2013-09-05 19:54:10 | 多田加助の道
1686年に松本藩で発生した百姓一揆貞亨騒動の主導者多田加助
今なお地域のヒーローとして語り継がれている

騒動は落着したものの結局主導者たち28名は捕縛され磔、獄門の刑に処されたのだ
その加助が中萱の地から松本城下の勢高処刑場まで護送された道を辿ってみたいが
特に中萱~熊倉間のルートが良く分からない

手始めに三郷の貞亨義民記念館に行き情報収集
館長さんにもいろいろ話を伺い
中萱からは熊倉街道と言うのがあるということが分かった
しかし300年以上前のその道ははっきりしないのは当然だ

早速地図を見ながら加助の生家跡からそれらしきルートを探してみる
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