杉山茂樹さんという方がいる。
[プロフィール]
1959年7月8日生まれ、静岡県出身。東京都在住。AB型。
大学卒業後、フリーライターとして取材活動をスタート。
得意分野はサッカー。ヨーロッパが厚め。
82年のスペイン大会以降、7大会連続でW杯を現地取材している。
モットーは「タテマエよりホンネ」。
愛称はスギッチ。最近はサッカー番長ともいわれている
この方はブログもやっているし、
サッカー道場というコラムも担当している。
この中で触れている内容が、
実に的確で、
私の気持ちといつもシンクロする。
サッカー道場を読みたい方はこちらからどうぞ。
さて、その杉山さんがこんな記事をYAHOOニュースの投稿している。
長くなるが、全文引用したい。
W杯日本代表は正々堂々と全敗せよ(1)/杉山茂樹(スポーツライター)
Voice6月11日(金) 17時56分配信 / 国内 - 政治
◇岡田サンは代表監督に不適格!◇
いよいよ6月11日、W杯南アフリカ大会が始まる。にもかかわらず、日本国内はほとんど盛り上がっていないといっていい。
原因は、日本が戦う一次リーグE組(オランダ、デンマーク、カメルーン)で、日本が決勝リーグに残る可能性が限りなく低いことだ。それなのに岡田武史監督が「目標はベスト4」といったものだから、日本全体が完全にシラけてしまっている。
しかし、それだけではない。5月10日に発表された代表メンバーからは、「岡田監督、戦う気になっているな」という期待すらうかがえないのだ。
サッカーには、じつはメンバー選びに公式や常識はない。野球などとは異なり、個人成績が極端に少ないため基準がないのだ。ではメンバーはどうやって選ばれるのか。前日本代表監督を務めたイビチャ・オシムにいわせれば、それは「自分(監督)の趣味」。選ばれた人も落選した人も、いってみれば運なのである。
ゆえにサッカーにおいては、監督次第で戦術もメンバーも、それによって実力もすいぶんと変わる。弱いチームが強いチームに勝つのは、選手の実力より監督の実力である。世界で行なわれる無数の試合のなかには、「まさかここでこんな事が起きるとは」というものがあるが、その背景や舞台裏には、必ず名監督がいるものだ。しかし、1998年のW杯でも今回のアジア予選大会でも、岡田サンには何の戦術もみられない。
去る4月7日、日本代表メンバー発表前の最終試合であるセルビア戦に0―3で完敗したあと、世論調査では岡田監督続投に反対が7割、あるネット調査では反対が9割にも上った。そのなかで、これまでと何の変化もない「予想どおり」のメンバー発表。要は、また戦術が何もないということだ。それは5月24日に行なわれた国内最後の強化試合、宿敵・韓国戦での敗北(0―2)でも露呈した。
たしかに、岡田監督になってからの日本代表は24勝12分7敗と、成績自体は悪くはない。しかし、これらは相手がすべて二軍チームか格下ばかり。格下のチームが相手のときは、いかにボールを取られないか、ミスをしないで着実なプレーができるかが重要となる。だが、今回W杯で戦う3チームはみな格上である。強い相手との戦いでは、必然的に相手ボールの時間が長くなるため、いかに相手からボールを奪うかがより重要だ。となると、戦術は当然変わってくるはずなのだ。
岡田サンは代表監督には不適格である。代表監督としてのメンバーの選び方や3年間の代表監督としての時間の過ごし方を知らない。前回のW杯、彼が代表監督をやったのはたった7カ月間で、それ以外はクラブチームの監督しかやったことがない。
選手は生き物であり、ケガもあれば、コンディションも勢いも、時々刻々と移り変わる。日本代表には、そのときいちばん旬の選手を選ばなければいけないが、岡田サンはずっと同じメンバーで、どうもひと昔前、もしくは1、2年前に旬だった人を相変わらず起用している。結果、平均年齢も世界のなかでグッと上がり、若手選手もあまりいない。
代表メンバーにサイドバック(両サイドに位置するDF)を3人しか選んでいないことに、なにより疑問を感じる。本気でベスト4を狙っている、つまり7試合を戦うつもりなら、最低でも4人は必要である。
右サイドハーフである中村俊輔は持ち場を離れて真ん中にポジションを取ることも多いため、後ろで構えるサイドバックは体力的に厳しい。相手からみればそこが狙い目となる。MFである遠藤保仁や長谷部誠は、守備力が高いとはいえないので、サイドバックのカバーをやらせるべきではない。
そのうえグループリーグの相手は、いずれも両サイドからの攻撃能力の高い選手がいる。カメルーンのエトー、オランダのロッベンやファンペルシ、デンマークのベントナーなどだ。彼らの攻撃を封じるためにも、サイドバックを厚くすることは必要である。
「サイドを制するものは試合を制する」
これは現代サッカーの格言である。現代のサッカーでは、数的優位の状況をつくるためにも、ボール支配率を高めるためにも、プレスを効率的にかけるためにも、サイドバックの活躍は攻守に不可欠なのだ。サイドの重要性を忘れて本番に臨むと、酷い目に遭うこと間違いない。
◇日本のサッカーのスタンダードが上がらない理由◇
日本代表のサッカーは、10年前に比べればたしかに強くなっているが、これは国内での話である。重要なのは世界のなかで日本のポジションが上がっているかどうかだ。
しかし日本サッカーのスタンダードは決して高いとはいえない。原因の一つは、メディア(記者)にある。日本のメディアが世界を知らなさすぎて、日本人のサッカーを見る目が養われないのだ。
いま日本では、サッカー中継を“オフチューブ”という方式で放送するのが一般的である。試合のある国から映像を伝送してもらい、それを日本のスタジオで画面を観ながら、インターネットなどから引っ張り出した資料によって実況・解説する。解説者やアナウンサーなどスタッフを現地に行かせないぶん、費用は安く済む。しかしこれでは、伝える側が本場のサッカーを知らないため、視聴者にも伝わるはずがない。
また日本は、メディアが選手や監督を甘やかしすぎである。たとえば、選手は試合のあと、記者との交流の場「ミックスゾーン」を通ってバスに乗り込む。この場で選手が話をするのは当然のことで、外国では「あなた、ちょっと!」と選手をひっつかまえて厳しい質問を浴びせる。
だが日本人のリポーターは、強引にやると、選手から嫌われるとか、インタビューしてもらえないとか、雑誌の表紙に出てもらえなくなるといった意識がある。概して「お疲れのところ、ありがとうございます」などと、監督や選手をヨイショするだけである。
さらに、日本は世界のサッカーを観る環境がよくない。全世界の試合を観るには、スカイパーフェクTV(スカパー)などの有料放送に加入しなければならない。しかしスカパー加入者は250万人程度しかおらず、そのなかでサッカーの生中継の試合を観ている人は20人に1人いるかどうかだろう。熱烈なサッカーファン以外は、わざわざスカパーに加入してまで観ないし、若い人はそもそもスカパーに入るお金すらない。海外のサッカー中継を安価で放送している中国や香港、ベトナムのほうが、世界のサッカーに触れやすく、急速にサッカーのスタンダードが上がっている。
だから日本では、世界のサッカーに詳しい者とそうでない者の二極化がますます進んでいる。いい例として、たとえば今回、日本代表の第3GKに川口能活が選ばれたが、NHKや民放テレビしか観ない、ふだんサッカーにあまり接しない視聴者は「この人知ってる。あの川口がまた入ったんだ。がんばって」と歓迎の反応となる。しかしサッカーに詳しい者にとっては、99%試合に出ない第3GKとはいえ、川口は長らく代表から外れていた選手であり、現在故障中の身で、Jリーグにも出場していない選手。代表選出に疑問をもったにちがいない。
サッカーを見る目を育てなければ、選手や監督に対しても、厳しい声を届けることができない。結果、日本全体のサッカーのスタンダードは上がらない。
W杯日本代表は正々堂々と全敗せよ(2)/杉山茂樹(スポーツライター)
Voice6月11日(金) 17時56分配信 / 国内 - 政治
◇ポジションもフォーメーションも理解してない◇
次に、プレーする側の問題だ。
まず基本的なことだが、日本人選手は、「ポジション」の意味を理解していない。
よく外国人の指導者は、「ピッチをマス目に区切れ」という。各選手に与えられる、カバーする領域を示すためだ。ポジションとは「この選手は、このあたりに来たボールに対しては責任をもて」ということ。自分に与えられた領域以外の場所に移動してもいいが、そのときは誰かにその場所をカバーする責任を引き渡さなければいけない。でないと、穴が空いてしまい、相手に突かれてしまうからだ。
しかし日本人選手にそういった意識はなく、「ポジション=キャラクター」となっている。
話が少し逸れるが、日本人が好むキャラクターに「司令塔」がある。はっきりいって、これは日本サッカーを大きく後退させているフレーズである。
司令塔は、ボールをもっているときに初めて生まれる(司令するのだから)。ところがサッカーにおいて、一人当たりのボールの持ち時間は90分のうちせいぜい3分だ。つまり司令塔は、3分程度しか存在しえないキャラクターなのである。それを90分のキャラクターと思っているのが日本だ。今回のW杯は相手が格上なので、司令塔は機能しないに等しいだろう。
さて、日本はポジションを理解していないゆえに、フォーメーションもなっていない。「4-2-3-1」とか「4-3-3」などいわれるアレだ。たとえば「4-3-3」であれば、DF4人、中盤3人、FW3人の陣形のこと。
これはピッチに描かれるデザインである。試合中、ピッチのなかで自分はどういうときにどう動き、どういう役割を果たせばよいか、それによってほかの選手や全体にどういう影響や効果があるか、ということだ。
日本人は自分のカバーするポジションやフォーメーションがわかっていないため、きわめて非効率なサッカーをする。ピッチ全体を眺めていると一目瞭然で、たとえば相手ボールになったとき、ボールの取りに行き方がシステマチックでない。一人がバカ走りをしたり、アタフタしすぎで、みなそれぞれが勝手に動いている。また、ほかの人のぶんまでがんばってしまうところもある。そこで、いざ相手が向かってくると、「え? 誰が行くの? 俺?」となる。
サッカーでは、ゴールキーパーも含めた11人の走行距離は、世界平均で一試合で約100km。しかし日本の場合は120km。明らかにオーバーペースであり、そのため最後まで体力がもたない。この日本の「走り過ぎサッカー」は20年前から変わっていない。
アジア予選の試合では、日本のFW4人が、彼らだけでグルグル動いていた姿が印象的だった。これは、まったく無意味だし、パスを出すほうも焦点が定まらない。さらにその動きが走行距離となり、結局、疲れにつながっている。外国人は日本のサッカーをみて、よくこういう。「日本人って、なんでいつもせわしなく、ワサワサ動いているの?」と。
外国では、「15m以上はボールを追わなくていい」といわれる。それ以上は、後ろに任せるのだ。たとえばFWが前に動きだしたら、中盤が上がり、バックも上がり、というように、マス目でいうと二つずつ前に上がっていく。全体を俯瞰してみたとき、3列、ないし4列のフォーメーションが均等に10mから15m間隔に配置される。そうやってプレスをかけていけば、一人抜かれても、すぐ別の人間がいて、もう一人抜かれても、また別の人間がいて、となり、よほどのことがないかぎり決定的なピンチに陥ることはない。またムダな距離を走る必要もない。
かつて、ブラジルのロナウドは2分だけ真剣に走ったら勝てる、といわれた。ボールに触っていないときは動かないで力を溜めておき、いざボールをもつとすごい勢いで攻めてくる。このメリハリが相手には効果的なのだ。
外国のストライカー選手は、向かってくるとライオンが襲ってくるようで、守備側は「来た! 怖!」とビビってしまう。ところが日本チームはいつもつねに走っていて、それでいて肝心なときのダッシュや瞬発力はまったくない。守備でボールを追いかけるときも同じだ。よって日本選手がボールをもって攻めてきても、守る側はまったく怖くはない。
◇「中盤至上主義」を廃せ◇
さらに根本的なことをいえば、日本には「中盤至上主義」という日本式サッカーがはびこっている。
これはいわゆる「学校サッカー」が原因である。重視すべきはチームの和であり、もっとも尊ばれるのはパスである。たとえば学校で、一人で長いドリブルをしたり勝手にシュートを打つと、監督からは怒られ、仲間からは白い目でみられる。挙げ句はイジメの原因になったりもする。
そのせいで日本は、ストライカーはまったく育たない。一方で、責任逃れの横パスだけは天下一品だ(ただし、ボールはコート上でいっさい前に進まない)。アシストがよければ「キラーパス」などともてはやされるが、私からいわせれば、「キラーパスよりキラーシュートを打ってくれよ」といいたくなる。
プロの試合でも、中盤の選手がパスを出してFWがゴールを外したとき、FWが頭を抱えて中盤の選手に謝ることが多い。本来は逆で、中盤がFWにボールを合わせられなかったことを謝らなければいけないのだ。
こういった「日本式サッカー」を覆すためには、日本サッカーの色に染まってない外国人を監督に起用するのがいちばん効果的だ。実際、オシムやトルシエが監督だったとき、「君ら、そんなことも知らないの?」という感じだった。
世界には、有名監督でも浪人をしている人がたくさんいるので、候補はいくらでもいる。そして声を掛ければ引き受けてくれる可能性は十分にある。なぜなら、いま日本はたいていW杯に出場でき、日本代表の監督になれば、それこそ自分の采配を世界の何十億人に観てもらえて、成功すれば監督としての市場価値も上がるからだ。
日本人は誤解しやすいが、「名監督=かつてのプロ選手」とは限らない。たとえばイタリア・セリエAの強豪、インテルのモウリーニョ監督は、もともと通訳としてこの世界に入り、いつのまにかコーチになり監督になった。学校の体育教師出身やジャーナリスト出身などにも、名監督は世界に数多くいるのだ。
ただ付言するならば、世界の一流監督にとって、日本は地理的に遠すぎる。もし4年間、日本の監督をやれば、再び本場ヨーロッパに戻ったときは浦島太郎状態で、新たな流れに付いていけない可能性がある。だから、現役をリタイアした人は別として、現役の有名監督であれば、4年間はやらないだろう。実際、2002年のW杯で韓国を4位に導いたヒディンクの監督就任期間は1年半だった。優秀な人であれば、チームのウィークポイントを直すだけなら3カ月で十分だ。
残念ながら、サッカー協会はそのようなスカウティング能力はなかった。宿敵・韓国に惨敗するにいたっても、いまだ協会会長が岡田監督続投を指示したことからみても、それは明らかだ。
◇惜しいチャンスを死ぬほどつくれ◇
とはいえ、監督についてはいまさらいっても始まらないので、これから行なわれる試合について話を進めよう。
日本にとって今回のW杯グループリーグでは、初戦のカメルーン戦がすべてのカギを握る。というのは、2戦目、3戦目になってくると、グループ内の行方がだんだんみえてくる。すると、各チームが自分の立ち位置を意識し、それに応じたプレーをしてくる。
しかし初戦はブックメーカーの予想どおりで、1番がオランダ、2番がカメルーン、わずかの差でデンマークが続き、日本が最下位の実力だと思って、相手は試合に挑んでくる。つまりカメルーン対日本は、2番対4番の対戦ということだ。カメルーンからすれば、あとの二試合には接戦が予想されるので、日本には軽く勝ちたいはず。その油断が日本の狙い目となる。
カメルーンには、ヨーロッパを代表するストライカー、エトーがいる。ゆえにエトー対策は必至だ。彼は攻撃時、左右に柔軟に動くので、日本の、とくにサイドバックが彼の動きに付いていけるか、またエトーは守備も堅実に行なう選手なので、日本が攻めるときに彼を動かしてバテさせることができるか。
なんとか日本が踏ん張り、前半0―0で折り返すことができれば、イヤな感じになるのはカメルーンのほうである。そこで向こうが焦って、パニックを誘発させることができれば、しめたものだ。アフリカのチームは、概して波が激しく、2―0で勝っていても、突然、大崩れしたりするので、あきらめずにしつこく攻めれば波乱も起こりうるだろう。
三戦目に戦うデンマークは、カメルーンよりも下馬評は下である。しかしデンマークという国は非常に堅実で、格下チームに負けることは、まずない。うっかりミスも起こさない。格上のチームには実力どおりのスコアで敗れる傾向があるが、格下に足元をすくわれる可能性はいちばん少ない。
あえていうなら、ベントナーという強力なストライカーをできるだけゴールから引き離すことが対策となる。そのためには日本のDFが攻め上がること、そしてハーフサイドが内に入らないことだ。
オランダ戦について怖いところは、彼らは相手が格下だからといって、力をセーブしてくれないことだ。イタリアであれば、1、2点取れば、攻撃をやめてくれる。しかしオランダは、こちらが攻めるほど、攻め返してくる。実力差を考えると3―0でオランダ勝利は堅い。
もし日本が決勝リーグを狙うのであれば、とにかく初戦を勝たなければいけない。引き分けでも厳しい。最悪でも一勝二分としなければ、決勝リーグに上がる可能性はない。
ただ、勝ち負けにこだわることは重要だが、もっと重要なのは、よい内容のサッカーをして、観ている人を飽きさせないことである。サッカーW杯は、いってしまえば世界中で行なうエンターテインメント。演劇や映画と同じで、日本人だけではなく試合を観てくれる全世界の人たちに、出し物を披露する感覚をもつべきだ。日本にはその感覚が乏しい。勝負にこだわり、負けることを怖がりすぎている。
繰り返しになるが、今回のW杯E組での相手はみな強い。冒頭で述べたように、3戦全敗の可能性はかなり高いだろう。イギリスのあるブックメーカーによると、日本は出場する32チーム中「お尻から数えて4番目」であるそうだ。
これを脱却するためにも、また観ている人を愉しませるためにも、はっきりいえば、日本は番狂わせを起こせればよいのだ。大多数の人は、「オランダに勝てるとは思わないけど、もしかしたら……」と思ってチャンネルをひねるのだから。たとえ負けても、観ている人が90分間、最後までハラハラしながら、途中、多少でも「お、日本、がんばれ」と思ってもらえればいい。
1998年のW杯におけるオランダ対韓国戦、5―0でオランダが勝った。このとき、当時オランダの監督だったヒディンクは「こんなにめげずに攻めてくる韓国に将来性を感じた」と述べた。今回、日本がめざすべきは、この試合における韓国の姿だろう。
「成績はあとから付いてくるもの」という。しかしその前に、いいサッカーをやってほしい。「いいサッカーをやっても勝たなきゃしようがない」という人がいるが、それはいいサッカーをやってからいえるセリフである。
日本はつねに「決定力不足」というが、問題は「チャンス不足」であることだ。W杯では惜しいチャンスを死ぬほどつくってほしい。オランダであれば決定力があるので、チャンスは少なくてもかまわないが、日本はものすごい数のチャンスをつくらなければいけない。いずれにせよ、下手な小細工などせずに正々堂々と戦い、「日本の試合って、チャンスはたくさん多くて、面白かった! だけどほんとに決定力不足だよねー」といわれるくらいの試合をしてほしいものである。