徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

奥様は横浜へ

2011-05-15 07:51:21 | 私・家族・我が家・親戚
土日で、奥様は昔の友達に会いに横浜東京へ。
中学からの友だちと、
横浜時代に家族同士で仲良くなったMさんと会いに行っている。
Mさんは奥様が横浜時代に参加していた、
子育て支援の会のメンバーで、田島征三等の色々な講師を呼んで、
支援活動を子行った仲間。

田島征三のプロフィール (たしま せいぞう) 
1940年 大阪府生まれ。高知で幼少期を過ごす。絵本作家・田島征彦は双子の兄。
1960年 全国観光ポスター展にて金賞および特別賞。
1962年 多摩美術大学図案科卒業。大学在学中に手刷り絵本『しばてん』制作。
1965年 第一回個展「南天子画廊」。
    はじめて絵本を出版『ふるやのもり』。
1969年 『ちからたろう』にて第2回BIB世界絵本原画展金のりんご賞。
    東京都下日の出村(現町)に移住。
1974年 『ふきまんぶく』にて第5回講談社出版文化賞。
    『黒い太陽七人の画家・人人展』に創立会員として参加。
1975年 『やぎのしずか』を発表。出版同時に好評。絶版。
    (後、形を変え大幅に描きなおして偕成社より出版)
     今までの作風を全て破壊し、新しい画風を創るため、苦悩をともなう闘いをはじめる。
1980年 『ほら いしころがおっこちたよ ね、わすれようよ』出版により新しい境地を拓く。
1989年 『とべバッタ』で絵本にっぽん賞受賞。
1990年 同作で小学館絵画賞受賞、年鑑イラストレーション作家賞受賞。
    この年から日の出町廃棄物巨大処分場建設反対運動に突入(現在も続行中)。
1992年 少年時代を書き綴った『絵の中のぼくの村』を出版。1996年に、東陽一により映画化され、
    ベルリン国際映画祭で銀熊賞受賞。
1998年 処分場からの化学物質の飛散によりガンを患い、伊豆半島に移住。
2003年 5年間の木の実による作品をまとめた作品集『きみはナニを探してる?』(アートン刊)。
   「田島征三全部てんらん会」(池田20世紀記念美術館)開催。
2004年 まつだい農舞台ギャラリーにて個展「生命の記憶 木の実 田島征三展」。木の実を素材に
    した作品のみで展覧会を構成する。木の実による絵本「ガオ」「モクレンおじさん」発表。
2005年 東京都練馬区立美術館で谷川晃一、宮迫千鶴と3人展。
2006年 高知県立美術館、2007年新潟市立新津美術館、征彦と2人展開催。
2008年 平塚市立美術館 「絵本の大地、木の実の夢」展
2009年 第四回越後妻有アートトリエンナーレに、廃校になった小学校を、まるごと絵本にしてしまう作品を制作中。

そういうつながりから、
今は横浜の子育て支援関連の部署の所長さんをやっているらしい。
旦那さんは、横浜時代の私のソフトボール仲間。
緑区の区大会シニア部門で優勝した時の仲間。
自閉症のお子様を持ち、我が家で預かったこともある。
懐かしい思い出いっぱいの方。

当時奥様は子育て支援の補助金を申請し、確か200万円前後の補助金を得て、
色々な講師を呼んで講演会を行っていた。
田島征三や、お父さんはウルトラマンの宮西達也酸などを呼んで、
私もほんの少しお手伝いした。
楽しかった時代でもある。
いまでも、可能ならこういうことをやってみたいと思っている。
老後の楽しみか?
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部活のお話

2011-05-15 07:08:53 | テニス
昨日は久しぶりに部活へ行った。
金曜日が父母会で、コーチの挨拶を行ったので、
何が合っても昨日は行こうと思っていた。
しかし、1ヶ月ほど前から左足のかかとが痛い。
そして、かばって歩いたりしているうちに、
右足も少し痛い。
そして腰も痛い。
そして何より右肩が50肩?
痛くて普通に真下にダランと下げた状態から、
前や内側には痛みなく動かせるが、
後ろや上に動かせない。
で、今日は口だけの指導にしようと思っていたのだが。
しかし、前衛の3年生3人が、
ツカツカ人私の下にやってきて、「コーチ、ボレーの指導して下さい。」
そう言ってきた。
さすがに私も、肩が痛いからとは言えなかった。
で、痛む肩をだましだまし球出しをして、
やっている時はまあ何とかなったが、
家に帰ってからは地獄だったが。
でも、練習自体はまあまあいい練習が出来たとは思っている。
これが実践に出してくれれば、出せるようになれば。
そうすればやった甲斐もあるのだが。

ただ、全体的な印象。
1人1人はそれなりに頑張っていると思う。
ただ、一生懸命さが伝わってこない。

後衛の一人がらんだの相手をして下さいと言ってきた。
過去にはそんな奴がいっぱいいて、
彼女たちと打ちあうことで、
私も成長できたし、どう指導すればいいかもおぼろげながら解ったこともあった。
でも、この学年はそういうことがほとんどなかった。
そこに何人かコーチに対し、積極的になってくれてきたこと。
正直もっと前からとは思うが、何事も遅すぎると言うことはないと思っている。
周り道は悪いことではないと思っている私。
後2ヶ月弱。
いい成績でも悪い成績でも結果は受け止めなくてはならない。
ただ、3年間を費やして着たこのスポーツを通して何を学んだか?
何をつかんだのか?
それを大切にしてほしいと願っている。

最後に一つ。

3年生で、しばらく練習に来無かったけれど、
最近また復活した部員がいる。
どこの中学でも、どんなスポーツでも起こりうる問題。
地道に練習してきた選手と、
例えば途中から入ってきた選手との間で出来る温度差やレギュラーになるかならないかの問題。
正解のない問題。
意識の問題。
話し合ってみんなで決めるしかない問題。
ただ、えてしてこういう問題は感情の問題となる。
誹謗中傷が前面に出てしまい、
みんなが傷つくことも多い。
それだけは避けたい。

考え方の主流は二つ。
スポーツであるから実力主義。
途中からであろうと、何であろうと、
その時に一番実力のある人間がレギュラーになるべきという考え方と、

地道な努力が必要。
たとえ実力が合っても、その選手に非があるとすれば、
レギュラーとはしないという考え方。

どちらも正論であり、いい悪いではない。
ただ、状況が全て同じではない以上、
今のケースがどの程度で、どうするべきかをみんなで決めていくしかない。

チャンスは与えてあげたいとは思う。
みんなでよく話し合い、考えて、
対応していくしかない。

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祝!15万 IP

2011-05-15 06:39:24 | このブログについて
昨日で訪問者が15万人を超えた。
以前のブログに書いたとおり、
この訪問者のカウント自体が途中から始めているので、
本当の訪問者累計は不明だが、
それでも一つの区切り、
一つの歴史として記念の数字であり、
ありがたいことである。

よくぞまあ、これだけ内容のない、面白くないブログに、
累計15万人も訪れてくださるものだ。
そのボランティア精神に感謝。

最近ちょっと、訪問者の底上げのために、
若干、話題になりそうなことを選んで書いている自分がいて、
ちょっと姑息だなあと思っている。
反省というほどの話ではないが。

しかし、6年目に突入しているこのブログ。
若干ネタ切れの部分もある。
そもそも、このブログを始めたのは、
日々記憶が失われ、
自分が何をして何を思ったのか、そういうことを記録していこうと思ったことと、
時には子どもたちに伝えたいことを、
面と向かって言うには恥ずかしいことを、
まあ、遺言のように残そうか?
そんなことが始めた動機だったはずなのに・・・

まあ、私自身がいい加減な人間なので、
色々深く考えても、
結局続かないことが目に見えている。

ボチボチ行こか?


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