新沼謙次さんの奥様の、博江さんが亡くなった。
新沼謙次さん自体昔の人になってしまったが、
私の年代なら知らない人がいないほどの歌手だった。
そして奥様は日本を代表するというより、世界を代表するバドミントンプレイヤー。
Wikipediaによれば、
広島県生まれ、岡山県育ち。山陽女子高等学校3年の時、高校総体で初優勝。
日本女子体育大学2年だった1969年、全英オープン選手権女子シングルスで初優勝を果たすと2年連続を含む計4度優勝。全英オープンは1977年に世界選手権が創設されるまで事実上の個人の世界選手権だったので、世界一に4度君臨したことになる。この偉業を称え、持ち回りの純銀製優勝プレートの永久保存を許された。
この異色のカップルは当時の話題のカップルでもあった。
実は、博江さんは旧姓湯木さんで、
もちろん強く、世界チャンピオンにもなった人だが、
彼女が若い頃、もっと強い選手がいた。
それが、高木選手。
彼女はこんな人です。
掛川西高はバドミントンでも、世界を舞台に活躍する逸材を生んだ。中山(旧姓高木)紀子(昭37卒)=日本女子体育大講師=は世界四大大会の一つ、全英選手権に八回出場し、昭和四十六年複(ダブルス)優勝、四十七年単(シングルス)優勝など、日本の第一人者として名をはせた。掛西時代からの中山のパートナー天野博江(同)=東海女子短大教授=も国内外で活躍。世界女子バドミントン選手権大会(ユーバー杯)の第四回大会(四十一年)、第五回大会(四十四年)では、中山とともに優勝カップを手にした。
彼女が引退し、同等の実績も残した博江さんは。
日本の誇りだった。
そんな思い出が甦った。
ここのところ、訃報が続く。
皆様の御冥福を祈ります。
新沼謙次さん自体昔の人になってしまったが、
私の年代なら知らない人がいないほどの歌手だった。
そして奥様は日本を代表するというより、世界を代表するバドミントンプレイヤー。
Wikipediaによれば、
広島県生まれ、岡山県育ち。山陽女子高等学校3年の時、高校総体で初優勝。
日本女子体育大学2年だった1969年、全英オープン選手権女子シングルスで初優勝を果たすと2年連続を含む計4度優勝。全英オープンは1977年に世界選手権が創設されるまで事実上の個人の世界選手権だったので、世界一に4度君臨したことになる。この偉業を称え、持ち回りの純銀製優勝プレートの永久保存を許された。
この異色のカップルは当時の話題のカップルでもあった。
実は、博江さんは旧姓湯木さんで、
もちろん強く、世界チャンピオンにもなった人だが、
彼女が若い頃、もっと強い選手がいた。
それが、高木選手。
彼女はこんな人です。
掛川西高はバドミントンでも、世界を舞台に活躍する逸材を生んだ。中山(旧姓高木)紀子(昭37卒)=日本女子体育大講師=は世界四大大会の一つ、全英選手権に八回出場し、昭和四十六年複(ダブルス)優勝、四十七年単(シングルス)優勝など、日本の第一人者として名をはせた。掛西時代からの中山のパートナー天野博江(同)=東海女子短大教授=も国内外で活躍。世界女子バドミントン選手権大会(ユーバー杯)の第四回大会(四十一年)、第五回大会(四十四年)では、中山とともに優勝カップを手にした。
彼女が引退し、同等の実績も残した博江さんは。
日本の誇りだった。
そんな思い出が甦った。
ここのところ、訃報が続く。
皆様の御冥福を祈ります。