徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

お疲れモード

2009-05-22 07:00:11 | 私・家族・我が家・親戚
昨日は最悪のお疲れモード。
何かのテレビを見ていた気がするが、
気がつくと夜中の二時半。
かすかな記憶で、ツインNに声をかけられた記憶も。
テレビは消してくれたようだ。
ここまで爆睡したのは久しぶり。
仕事もやや、煮詰まりモード。
まずいなあ。
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スポーツ選手に大切なこと

2009-05-22 05:53:23 | サッカー(その他)
Number Web にこんな記事が出ていた。

欧州トッププレーヤーの
サッカーを観る力。
~中村俊輔、異能の戦術眼~

今季のチャンピオンズリーグ準決勝は中村俊輔と3試合観戦した。
彼と試合を観ていて驚くのが、その独特の視点だ。
「いま!」
「もうひとつ裏!」
など、まるで自らがピッチに立ち、実際にプレーしているかのような視点で試合を観ている。
TV画面に映っていない場所を指差し、「この手前に出していればフリーだった」など、筆者が持ちうる想像力を総動員しても分からないようなことを、何気なくつぶやいたりする。
着眼点も一味違う。準決勝で感心していたのは、マンUのキャリックの利き足ではない左足の縦パスの精度だった。また、バルサのダニエウ・アウベスのスパイクの皮質をめぐる考察や、サイドバックが投げるべきスローインの角度など、トップレベルで戦う選手の分析は聞いていて飽きることがなかった。
一流の選手はプレーするだけではなく「観て」いる。
中村は普段からCLやプレミア、リーガなど、実に多くの試合を観ている。気になることがあればノートにメモするなど、得るものも多いそうだ。
英国ではスタジアムで生観戦する選手もよく見かける。CL準決勝では小綺麗な服装に身を包んだベッカムがスタンドにいた。往年のロイ・キーンは、マンチェスターから車を飛ばし、オールドファーム・ダービーを観るためにグラスゴーまで来ていたという。同カードではルーニーの姿を見かけたこともある。
観る選手、観ない選手。考え方は様々で、「オフはサッカーのことは考えないし、試合も観ない」という選手もいる。
イビチャ・オシムは、ジェフ千葉の監督時代、そんな選手に「海外サッカーを観るんだ」と口酸っぱく言っていたという。水野晃樹も、ジェフ時代に「お前が成長したいのなら、高いレベルの試合をできるだけ多く観ろ」と言われ、今では進んで試合を観るようになった。
ちなみにACミランのカカは「バルセロナ対マンUのCL決勝は絶対に見逃せない」と伊紙に語り、早くも決勝の地・ローマ行きを決めたそうだ。
一流選手はプレーするだけではなく、しっかりと“観て”いる。ピッチ外のそんな習慣も、トップレベルであるための秘訣なのかもしれない。

この「観る」大切さをR中の指導してきた選手に、
ずっと言い続けているが、
人のプレーをちゃんと見る事の出来る選手はまずいない。
まあ、ライバルの試合を応援かたがた観るのが、
ほんの数人の選手がやっていたこと。
こんな簡単なことができない。

観ればうまくなるのだから、
やればいいと思うのだが、
実際はこれができる選手がうまくなるというより、
本物の選手だけができるようだ。
中学生ではしょうがないのかもしれないが。
人のプレーを見ることが好きな、
そこまでそのスポーツにほれ込むことができる選手だけが、
一流になれるということか。
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修学旅行の行方

2009-05-21 23:34:25 | 旅行
もうすぐR中の修学旅行。
今、まさにこんな状況。
行先は京都。
学校としても迷う状況だろう。

噂では、京都に感染者が発生したら中止?
というより延期?らしいが。
そうしたら、今日発生のニュース。

中止なのか?
かわいそうだが仕方がない。
どうなるのか?
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三木たかしさんなくなる

2009-05-20 06:15:57 | お見舞い・お悔やみ
三木たかしさんが亡くなった。

今月11日に下咽頭ガンのため64歳で死去した作曲家・三木たかしさんの通夜が19日夜、東京・増上寺で営まれ、歌手で実妹の黛ジュンらが出席。親族代表の黛は「3月の始め頃に余命の告知を受けて覚悟はしていたんですが、あまりにも突然で、まだ受け止めることができません」と涙ながらに悲しみをあらわにした。

この記事で大好きだった黛ジュンさんが妹と初めて知った。
ちょっとびっくり。





彼女がレコード大賞を取ったのが昭和43年。 
第10回日本レコード大賞
大賞 「天使の誘惑」 黛ジュン
作詩:なかにし礼  作曲:鈴木邦彦
編曲:鈴木邦彦
ポップスから歌謡曲に転じた黛ジュンは、前の年、佐良直美と新人賞の座を争い 、惜しくも一票差で敗れ去り、特別賞で来ていた石原裕次郎に肩を抱かれ、悔し涙に くれていました。当時、黛ジュン所属のプロダクション社長だった裕次郎は、慰めつ いでに毛皮をプレゼントする約束までしてしまった ― という大賞秘話が残っています 。
そして、第10回のこの年、見事に大賞を獲得。超ミニスカートで健康的に歌う彼 女の魅力は、充分テレビでも発揮されました。
私が10歳の時だった。
YOU TUBEも白黒。
そんな時代だった。


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ある思い出について

2009-05-20 05:45:49 | テニス
数年前のR中にある思い出に残る部員がいた。
彼女はうまい下手でいえば、下手!
運動神経は?と問われれば、鈍い!
部活に入ろうか迷ってます、もし相談されたら、やめな!
そんな選手だった。
選手紹介するとすれば、

非力、動けない、
前衛をやっていたが、
速いボールは空振り。
怖いと思ったら逃げる。
ポーチなんてできない。
届く範囲にゆるいボールがくれば触れる。
ストロークは1歩動く範囲に来れば返せる。
強いボールは打ち返せない。
速いボールは空振り。
でも、非力だから滅多にバックアウトはしない。
打ち返したボールのミスは少ない。ゆるいけれど帰る確率は高かった。
サーブは緩いサーブしか打てないが、
ダブルフォールトは少ない。

こう書くとどんな選手?と言われそうだが・・・

彼女のいいところは、
いつもニコニコしていて真面目。
不思議と怒る気持ちにならないこと。

さて、そんな彼女だから、たまたま奇数人数の学年だったから、
下の学年のうまいこと組んだり、
練習試合だったら、別のペアの後衛と組んだり。
いずれにせよ、ペアのランクとしては1番下で出るため、
相手も結構弱いペアだったり、下の学年だったり。
結果的に、勝率が結構高かった。
強いボールが打てないので、つなぐだけなのに、
相手のミスに助けられ、
気がつくと勝っているということが実に多かった。
とにかくつまらないミスが少なく、
ボレーは非力なのでポトンと相手コートに決まる事も多かった。
強いペア達は、当然相手も強く、
勝ったり負けたり。
それに比べて、彼女の勝率はチーム内ではダントツだった。
3年の時は8割は確実に超えていただろう。
練習試合に行って5試合位やることもあるが、
全勝で帰ったこともある。
Oコーチともよく話したことだが、
上手い下手を越えた楽しさを、
彼女が感じていただろうことは間違いない。
公式の大会に出れば、不思議とクジ運強く、
たいてい1回は勝っていた。
もちろんなかなか、2回は勝てなかったが・・・
私はこういう選手がいてもいいなあと思った。

その昔、あるいはそれまで、
私はスポーツは勝つことを目指す事が大切。
常に上を目指して切磋琢磨するのが部活のあり方、そう思っていた。
でも、スポーツを楽しむ。
そういう部活も有だなあ。
目からうろこの出来事であった。
上手い子には技術を教え、上位を目指す。
下手な子には下手な子なりに勝つことの喜び。
その子なりに向上の喜びを教えてあげられれば成功。
今はそう思っている。
そういう指導が出来れば、落ちこぼれはなくなるだろう。
ホンワカと思い出すエピソードである。
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バスの中

2009-05-19 07:33:47 | 知人・友人・赤の他人
よくバスで、終点前に次おりますコールのため、
ボタンを押そうと、ボタンに手をかけて待つ子がいる。
ほとんどが小学生だが。
ずっとアナウンスを待っている。
時々そういうこの鼻をあかして先に押したくなる。
まだ本当に押したことはないが。
意地悪な気持を潜在的に持っている自分。
みんなそんな瞬間はないのだろうか?
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私のブログの原点

2009-05-19 05:31:02 | このブログについて
結婚したての頃から、
パソコンは持っていた。
MS-DOSの時代。
まだウィンドウズは生まれていない時代だった。
その頃は主として仕事を兼ねた簡単な表計算と、
ワープロ機能、123・一太郎・花子などが主流だった。
そして一番やったのがゲーム。
色々な新型ゲームが出始めた時期ではあった。
私が持っていたのもPC-9800シリーズだったか?
昔のことでよく覚えていないが。
そんな中で、ウィンドウズがデビュー。
マックとの2極化が鮮明にもなっていった。
あくまでも私のイメージだが。
最初が95?
その後98?
XP?
そして今私が持っているVISTA。

メモリー面、ハード面、その他機能。
全ての進歩が素晴らしい。
昔と比べてもしょうがないが・・・・
メインメモリ2GB。
HDは199GB。
CPU2.26GHZ
ノートパソコンでこれだからすごいよなあ。
昔に比べたら速い速い。
バグることはほとんどないし。

私の原点のぱどタウン。
ゲームだけではもったいないと思って始めた仮想タウン。
色々な人と、ネット上だけだったけど、
やりとりが出来て。
その後、ぱどが学生に占領されて?
また、日記が時間が来ると消えていくこともいやで、
それでブログに移ってきた歴史がある。
ぱどの頃の日記の写しはフロッピーに移してあるが、
今やそのFDが読み取れない。
どうするか?

その頃の方も部屋を閉じた人も多く、
もはや連絡が取れない。
せめてお元気かどうかでけでも知りたいのだが。
ぱどはもう何もしていないが、
連絡がつくように部屋だけは残してある。
連絡いただければありがたいが。


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新型インフルエンザ蔓延?

2009-05-18 05:40:08 | 病気・健康・ダイエット
一時期水際対策がうまくいっているかの印象であったが、
いよいよ感染拡大の様相となってきた。
もっと危険な病気の感染拡大を描いた映画もあったが。
このままでは全国への拡大も時間の問題なのか?
神戸・大阪と静岡はまだまだ離れているが、
このままでは我々も感染防止を真剣に考えなければいけないのか?
客商売のわれわれは、
仕事上かなりの注意をしなくてはならないだろう。
悲しいことだが。

唯一の救いは今のところ日本での死者が出ていないこと。
ただ、ワクチン等が足りるのか?と言う問題はあるが。

さて、ダウンタウン松本さんの結婚が話題になっている。
2チャンネルの噂では、
最初にそれを暴露したのは浜田さんの子供だと書かれていたが・・・・

それが本当でも嘘でも大して興味はないが。
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待望のつばめのヒナ

2009-05-17 14:52:46 | ツバメ
4月12日にツバメのことを書いた。
はや1ケ月たって、
そろそろか?
そう思っていた。
今朝、ツバメの鳴き声がうるさいなあと気になってのぞいてみれば、
見事にヒナが4羽?
巣から顔を出していた。
写真は過去の写真だが。
これよりもう少し小さく幼い感じ。
あと半月もすれば旅立っていくだろう。
すべてのヒナがしっかり成長することを祈る。
昔、巣から落ちたツバメの育てようとして、
死なせてしまった過去がある。
次の時は日本平動物園にお願いしたことも。
今年はどうなることやら。

このヒナはこの数日後お亡くなりになった。
ご冥福を祈ります。
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エスパルス久しぶりの勝利

2009-05-17 08:26:38 | サッカー(エスパルス編)
エスパルスは7試合ぶりの勝利。
相手が最下位の大分とはいえ、
ずっと相性が悪かった相手。
素直に喜びたいが・・・・

     今年                昨年

大宮アルディージャ NACK △0-0   大分トリニータ 日本平 ●1-2
横浜F・マリノス アウスタ △0-0   ジェフユナイテッド千葉 フクアリ ○2-1
名古屋グランパス 瑞穂陸 ●1-3   大宮アルディージャ 日本平 △0-0
ヴィッセル神戸 ホムスタ ○1-0   浦和レッズ 日本平 ●1-2
川崎フロンターレ アウスタ ○1-0  ガンバ大阪 万博 ●0-2
ジュビロ磐田 エコパ ●0-3     名古屋グランパス 日本平 ●0-2
柏レイソル アウスタ △1-1     横浜F・マリノス 日産ス △1-1 
浦和レッズ エコパ △2-2      FC東京 日本平 ○1-0
サンフレッチェ広島 広島ビ △0-0  柏レイソル 柏 ○2-0
ジェフユナイテッド千葉 アウスタ △2-2   ジュビロ磐田 日本平 △1-1
鹿島アントラーズ カシマ ●1-2    アルビレックス新潟 東北電ス ●0-3
大分トリニータ アウスタ ○3-1    鹿島アントラーズ 日本平 ○1-0

今年3勝3敗敗6引き分け勝点15  昨年は4勝5敗3引き分け勝点15
奇しくも同点。
これを同一カードで比べると
 
大宮アルディージャ NACK △ 0-0      △ 0-0  
横浜F・マリノス アウスタ △ 0-0     △ 1-1
名古屋グランパス 瑞穂陸 ● 1-3      ● 2-3
ヴィッセル神戸 ホムスタ ○ 1-0      ○ 1-0
川崎フロンターレ アウスタ ○ 1-0     ○ 2-0
ジュビロ磐田 エコパ  ●0-3       ● 0-1
柏レイソル アウスタ △1-1        ○ 3-2   
浦和レッズ エコパ △2-2        ● 1-2         
サンフレッチェ広島 広島ビ △0-0  コンサドーレ札幌 札幌厚別 △2-2
ジェフユナイテッド千葉 アウスタ △2-2      ○3-2
鹿島アントラーズ カシマ ●1-2     ●0-2
大分トリニータ アウスタ ○3-1     ●1-2

今年3勝3敗敗6引き分け勝点15  昨年は4勝5敗3引き分け勝点15
これまた奇しくも同点。

ヨンセンに自信が戻ってきた?
これがいい兆し。
昨年んと同じ状況。
ここから是非、快進撃を期待しよう。
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ちはるさんの凸凹裏日記 第3弾

2009-05-16 19:58:17 | テレビ


ちはるさんの凸凹日記から


 『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば』という番組は、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』というタイトルに変わり、土曜の夜8時からの一時間枠で再スタートすることになった。
 フジテレビのこの時間帯には、伝説の番組『オレたちひょうきん族』が放送されていたということもあり、出演者もスタッフもかなり気合いが入っていた。
 私はといえば、新番組の準備でバタバタと忙しくする皆に忘れられたかのように声を掛けて貰うことはなく、やはり次は無いのだと、友人に誘われるまま当時流行りだった自己啓発セミナーに通ってみたり(この話はまた詳しくしますね)、仕事も少なくなりそうだったので、またバイトでも始めなきゃとか、先の見えない東京生活をモヤモヤとした気持ちで過ごしていた。

 ところが、意外にも私は次の番組にレギュラー続投ということになった。番組がスタートする本当にギリギリ、ふと思い出したように連絡があったのだ。ウッチャンのパートナー役としてコントに出演するということ以外、詳しい内容はほとんど教えてもらえず、マネージャーの飯島さんと共に不安を抱えつつ、当時新宿の河田町にあったフジテレビのスタジオに出向いていったのを憶えている。

 タレントクロークに着くなり、待ち構えていたチーフディレクターに「あぁ、ちはる。おまえ今日から顔オレンジだからよろしくね」と言われた。
 「オレンジ…?」
 意味が分からず、ほえっとする私はアレヨアレヨとメイク室へ連れて行かれて、「ほら、これのオレンジ版にするから」とウッチャン扮するマモーの写真を見せられた。
 ルパン三世の映画で見たことのあるマモーというキャラクターは知っていた。写真の中のウッチャンはそのマモーに見事なりきっているのだが、これのオレンジって一体…!?

 『誰やら』の時からの馴染みのメイクさんが「大丈夫、意外と可愛くなると思うんだよね」と言いながら特殊メークの準備を始める。
  状況が飲み込めずキョロキョロしていると、メーク室に良く知った顔の人が入って来た。
 「あっ! フミヤさん…」
 そう、当時チェッカーズで一世を風靡していた藤井フミヤさんが突然現れたのだ。しかも、私の隣の席に座り、慣れた感じでメイクさんに話しかけているじゃないですか。

 私は学生時代からファンで、チェッカーズの『たんたんたぬき』という映画も友人と3回連続で見たぐらいだし、どうしよ~フミヤだ~~~!!!と、自分の置かれている状況も忘れ内心バクバクしていたら、鏡越しに私に気づいたフミヤさんが「あれ…?」と、こっちを見ているよう。
 「ねぇ、キミってアルバイトニュースのCMに出てる子だよね?」
 突然話しかけられ、しかも自分を少しでも知ってくれていた事に驚き、アホみたいにただただ頷くと、
 「あのCM可愛いよね。オレこの子いいなぁ~って思ってたんだよね」
 え…? 嘘っ!? そ、そんな事、フミヤさんに言われたら鼻血ブーものじゃないっすか!
 「えっ、あ、ありがとうございます!!」
 ドキドキしながら答えると、ニカッとフミヤスマイルを見せ、自分のメイクをしだした。

 隣にスターが座り、夢見心地でいた私に、準備が整ったメイクさんから元気に声がかかる。
 「じゃ、オレンジに塗ってくからねー!」
 そして私の顔には、ためらうことなく綺麗なオレンジ色のドーランが塗られ始めた。
 「うわっ! その色スゴいね~」
 隣の顔の異変に気付き、興味シンシンで覗きこむフミヤさん。
 「手早くやらないとムラになっちゃうからね。さてと、次はシワを書いてくよ」
 意気揚々と黒のペンシルで手際よくシワを描き始めるメイクさん。
 「へぇー、これは大変だね。…誰だかわかんなくなっちゃうじゃん」
 と、フミヤさん。
 私は戸惑いつつも無理して苦笑いを浮かべたら、
 「あー、今は笑わないで! 笑いジワが出ちゃうから」
 とメークさんにたしなめられ、出来上がっていくオレンジ色の妖怪の顔を憧れのフミヤさんと一緒に、人ごとのように眺めていた。

 しばらくすると身支度の済んだフミヤさんは「じゃ、頑張ってね~」と風のようにいなくなり、私はいつのまにか、マモーの愛人、ミモーに変身していた。
 最初は「なんじゃこりゃー!」って感じだったけど、完成したミモーは意外に可愛かった。
 悲しく響いたフミヤさんの「誰だかわかんない」という言葉も逆に楽しく思えるようになった。
 そう、私はあまりの衝撃で開き直ってしまったらしい。ミモーは私であって私じゃない。ミモーでいる限り比べられるものは何もないのだ。

 そんな風に考えられるようになったのは、やはりウッチャンの影響が一番大きかったんだと思う。マモーに限らず、自ら考え出したキャラクターに扮するウッチャンは、まるで憑依したかのように声も表情も瞬時に変わり、それらを作り出すことをとても楽しんでいるようだった。
 隣で「マモー!」「ミモー!!」と叫びあっているうちに私までこのミモーという架空のキャラクターを愛しく感じるようになっていったのだ。
 普段は言い返せないナンチャンの意地悪も、ミモーに扮してからは感情を爆発させ泣きながら言い返してみたり、はたまた笑い飛ばせたり、素の自分を出せるようになっていった。

 あとから聞いた話だけど、前回の番組で縮こまって本来の自分を出せず作り笑いばかり浮かべる私に、もうあの子は無理だろうという話がスタッフ内で出たらしい。でもその時、ウッチャンが「僕がちはるを何とかします」と手を挙げてくれたのだそうだ。ウッチャンのこの時の一言で今の私があるのだし、ナンチャンがオーディションに呼んでくれたというコトもしかり、ウンナン様には本当に足を向けて寝られない。

 そしてこのミモーがTVに放送されはじめると、私の名前は劇的に世間に知れ渡っていった。本当に一夜にして変わるシンデレラといった感じで、私はミモーになる魔法をかけられ、見事ブレイクしてしまったのだ。


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思い出のシーン 中村俊輔編

2009-05-16 16:49:05 | サッカー(その他)
















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お袋のこと

2009-05-16 15:43:28 | 認知症
私は二人兄弟。
父は厳格なサラリーマンだった。
昭和59年2月、父は肺炎で死去。
当時57歳だった。
兄は私と違い優秀。
大阪の豊中市何とか小学校、浜松市の元城小学校、
静岡市の新通小学校に通い、
その後末広中学校へ。
中学2年の11月から、我々家族は東京へ引っ越し。
兄貴は一人自宅に残り、同じ敷地内にあった、
父方の伯父の家で食事等はお世話になりながら学校に通い、
はれて慶応高校に入学。
東京で一緒に暮らし始めたとたん、
今度は父が沼津に転勤。
兄貴は高2から、今度は母方の叔母の家にお世話になる。
だから私は兄とは10年くらいしか一緒に暮らした事がなかった。
その兄も数年前に肺がんで死去。当時50歳。
お袋は今でも実家で一人暮らしだが・・・・・
身内は私一人。


そして、母がアルツハイマーと診断されてから、
1年半?2年?
毎月病院に連れて行き、
会社帰りに極力お袋の家に行き、
一緒に食事したり、ちゃんと薬飲ませたり。
お袋も今のところ、
行きつけのスーパーやコンビニに買物は行けるし、
身の回りの掃除や洗濯も今のところは普通にできる。
でも、
日常と少しでも違う事にはもう対処できない。
突然の来客や電話には対応できないし、
先日も自分の妹たち(私の叔母たち)や、
お袋の学生時代の友達が静岡に来ても、
最初は誰が来たかわからなかった。
電話では相手の言っていることが理解できないので、
振り込め詐欺には引っ掛かりそうもないが。

調子のいい時は何とか思い出せても、
日によっては私の名前も思い出せない時もある。
自分の夫や、自分の両親の名前は思い出せない。
今の医学では治す薬はなく、
進行を遅らせる薬しかないらしい。
でも、進行が遅れているとは言い難い?
順調に進んでいる?
そんな感じか?
脳が委縮しているお袋。(それがアルツハイマーらしいが)
先日周りがよく見えないというので眼科に連れて行くと、
どうやら脳の視力をつかさどる部分の委縮により、
認識できない?可能性が高く、
眼鏡をかけても少ししか視力はよくならないと言われた。
味覚も、甘いとしょっぱいしかわからなくなりつつあるようだ。
大好きだったすし屋に連れて行ったところ、
おいしくないと言っていた。
なぜか?
甘くないから。
うまみとかはわからなくなっているようだ。


世の中にもっとひどい症状の人も多く、
お袋はまだ独り暮らしができるだけましかも知れない。
でも、少しずつ前にできたことができなくなっていく姿を見るのは悲しい。
会社には遠くに転勤しないような申請を出したが、
どうなる事やら。
それが認められれば給料は若干下がる。
それはそれで悲しい。

今日は、
私の持病の薬をもらいに病院へ。
前回の血液検査で、
甲状腺レセプターがゼロ。
ひょっとして甲状腺の薬とサヨナラできる可能性が出てきたらしい。
安心はできないが。
そして血圧も、今日は126の84?
かなりいい感じ。
あとはメタボ対策か?

そしてそのあと、
ケアマネージャーと、デイケアサービスの担当者と、
3者会談?を行って、
今後のケア方針の確認を行った。
お袋には長生きして欲しいが、
つらい人生にはなって欲しくないし。
体はまあまあ元気なので、
もう少し認識力が良くなるといいのだが・・・
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父母会

2009-05-16 06:47:29 | テニス
昨日はR中女子ソフトテニス部の父母会だった。
まともに参加したのは久しぶり。
さらにもう一人のOコーチが都合で欠席。
大勢の父兄の前でコーチとして挨拶してきた。
口下手な私。
何を話していいのかわからないので、
私やOコーチの簡単なテニス歴。
そしてR中の最近の(過去7年くらいの)歴史。
部活の考え方。
そんなことをお話ししたが・・・・
今年の1年生はタツタの同級生。
参観会やら運動会やら何やら、
これからも色々な行事で、
同級生の父兄としてお会いするのに、
コーチと父兄と言う立場は、
非常に微妙だなあと思った。
私が正式に資格を持った、
本格的なコーチならともかく、
まあ、練習のお手伝いさんと言う立場だから、
そういう思いはなおさらという感じか。

まあ、そんな私の感想はともかく、
主役は子供達。
どの子もテニスに一生懸命。
上手い下手はあっても、
テニスに頑張っている姿は共通。
大人になって、中学時代を振り返ったとき、
自分は何をしていただろう?
それが思い出せない人生より、
勝っても負けても、
何かに打ち込んだ自分。
何かに熱中した自分。
そういうことを思い出せる人生は幸せだと、
私はそう思っている。
こういうことを昨日話せればよかったかなあ。
まあ、私は話のプロではないので許してもらおう。
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天才の孤独 小野伸二

2009-05-15 23:43:48 | サッカー(その他)
静岡県人の誇り。
小野伸二選手。
私が知っている限り、テクニックと言う意味では、
私は日本最高の選手と思っている。
彼の小さいころからのエピソードはありすぎて、
とても書ききれないが。
高校時代のプレーを少しここでご披露すれば・・・


彼の最大の特徴はそのスルーパス。
受け手に優しいピンポイントパスやスルーパス。
球質を変えて出せるパスはまさに変幻自在と言えるか?

我が家のタツタと小野選手を比較するのもおこがましいが、
タイプ的には似ていると勝手に思っている。
才能の差は歴然としていているが。

しかし、スポーツの世界は非情。
強いチームが勝つと限らないのと同様、
上手い選手がいい選手とは限らない。
こう書くのはちっと違うなあ。
無事これ名馬と言う言葉のちょうど反対。
小野選手と怪我は結局切っても切れなかったというのが適切か?
私の記憶では彼の不幸は、
1999年のシドニーオリンピック1次予選フィリピン戦での悪質なファウルで、
左ひざ靱帯断裂のケガを負ったこと。
ワールドユース世界大会で準優勝した日本。
そこで輝いていた小野選手。そこで起きた悪夢。
もちろん小野選手に非はない。
明らかに相手選手のバックからのハードタックル。
最悪の事態だった。
ただ、多分小野選手にも油断があったと思う。
オリンピック1次予選。
弱い相手。
自分たちに自信を持って臨んだこの試合。
神様はそういうことを見逃さないのか?
これ以降、
常に小野選手と怪我は切り離せない存在となってしまった。
時々で輝くプレーをしても、
それが続かない印象が付きまとう。
無事名馬。
小野選手を見るたびにこれをいつも思い出す。


関連記事です。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/0809/germany/text/200905140003-spnavi.html
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