NHKが3月13日に放送した「原発メルトダウン 危機の88時間」はなかなか見ごたえのあるものでした。興味をそそられ、同じ取材班による新書「福島第一原発事故 7つの謎」を読みました。こちらも面白く、数時間で一気に読むことが出来ました。よくもこれだけ調べたと思える内容で、事故の概観ができた気になります。工学に興味をお持ちの方にはスリリングな状況がよく伝わることと思います。技術的な誤りも見られず、よく吟味された内容です。
この本の背景には事故に対する適切な問題意識が感じられ、原発の怖さを煽るエピソードを積み上げるような記事に見られる不純な動機がありません。また現在までの報道では疑問であった多くのことにも言及され、納得できます。原発事故の問題点を知る上で、さらには原発の是非を考える上で、とても参考になる本だと思われます。
地震直後、制御棒が自動的に入り、原発は停止しました。あとは燃料から生じる崩壊熱を逃がすために、原子炉の圧力を抜き、水を入れて冷やすだけですが、これがうまく行かず、運転中の3基の原発すべてがメルトダウンしました。一見、簡単なことに思われますが、なぜ失敗したのでしょうか。以下、一部を紹介します。
地震の翌日に起きた1号機の爆発事故は2・3号機への対策を困難にし、それらのメルトダウンにつながったと言われています。1号機への対応のまずさが事故の拡大を招いたという見方です。逆にここで失敗しなければ大事故は起きなかったかもしれず、痛恨の失策というわけです。本書ではまず1号機の非常用冷却装置がなぜ機能しなかったのかという問題に迫ります。
1号機には電源がなくても機能するIC(イソコン)と呼ばれる冷却装置がありましたが、知見の不足や判断の誤りのために一旦起動に成功したものの、すぐに停止させていたことが明らかにされます。その結果、原子炉内の水位は急激に下がり、午後5時15分、免震棟と本店を結ぶテレビ会議で、マイクをとった技術班の担当者は「1号機の水位低下、現在のまま低下していくとTAF(燃料先端)まで1時間」と発言しますが、この情報は無視され、急速にメルトダウンへと進むことになります。
現場が混乱を極めていたであろうことは想像できますが、あと1時間で燃料が水面から露出するという極めて重大な情報が無視されたわけです。またそれを報告した担当者もなぜ繰り返し言わなかったのか不明です。免震棟はICが動いていると認識していたようですが、その誤りに気づく機会は他にも3回あったがいづれも見逃されたと、述べています。
ICに対する知見の不足は事態を悪化させた大きな要因です。米国の同型炉では数年に一度、実際にICを起動していますが、日本では40年間動かしたことがないそうです。そのためにICが起動しているか、判断できなかったというわけです。日本でICを動かさなかったのかという理由について、「本来ICから出る蒸気には放射性物質は含まれていないが、原発内部のどこかの配管に微細な穴があくと、微量の放射性物質が混じる恐れがある。このことが外部に蒸気を出すことを慎重にさせた」と関係者は説明します。確かに、無害なごく微量の放射性物質が漏れても日本のマスコミは大騒ぎします。
また、1~3号機すべてで問題となったのは格納容器のベント弁が容易に操作できなかったことです。これは非常に重要で、圧力が上りすぎた時に容器の破壊を防ぐために必要な操作です。これが容易に動かないのは設計に問題があるといえるでしょう。2号機では最後まで開かず、吉田所長は死を覚悟したとされていますが、幸いにも圧力によってどこかが自然に破損し、圧力は低下しました。素人考えですが、そんなに重要なものなら初めから圧力が一定以上になれば自動的に開く「逃がし安全弁」を何故つけておかなかったのでしょうか(圧力容器にはついていますが、これの作動にも困難を極めたようです)。一般に圧力容器には安全弁をつけるのが普通です。
2号機の格納容器が破裂すれば東日本が壊滅する議論は菅元首相が作らせた最悪シナリオにもありましたが、破裂は小規模ながら実際に起こりました。放射性物質がばら撒かれましたが、東日本が壊滅するにはほど遠いものでした。東日本壊滅は杞憂でありました。
もうひとつ興味ある事実があります。燃料プールに対する自衛隊ヘリなどからの放水です。当時の海江田経産大臣が中心になって進められたこの計画によって3月17日から19日にかけて実施されましたが、たいした効果もなく(必要性がないことは事前に東電が把握)、電源復旧工事を大きく遅らせることになりました。3月17日夕方までの復旧予定は20日(1・2号機)、22日(3・4号機)まで遅れることになります。一方、3月15日午後以降の放出量が事故発生から3月末までの75%を占めるという解析結果が2014年に発表されました。電源復旧の遅れは冷却の遅れであり、放射性物質の放出の増加を招いた可能性があると述べています。
政府・官邸の対応は後に批判されたように、わけのわからない人たちが強引に進め、事態を悪化させた面があったようです。「あんな人(菅直人)を総理にしたから天罰が当たったのではないかと、運命論を考えるようになっている」という班目春樹元委員長の発言は不適切ですが、まあ一部の真実は含まれているようです。
以上、私が特に興味を惹かれた点を簡単に取りあけました。事故は想定外の津波によって引き起こされました。しかし事故の拡大を防げなかったのはプラントへの知見不足や管理組織の欠点、設計の甘さ、など様々の要因が重なったためだと思われますが、それらを具体的に知ることは原発に対する正しい認識を得るために必要なことです。 誰かの主張を信じて、原発反対を主張する方々にはぜひお読みいただき、ご自分で判断されるのがよいと思います。原発を安全に制御することは可能か、という問題にきっと役立つことでしょう。
この本の背景には事故に対する適切な問題意識が感じられ、原発の怖さを煽るエピソードを積み上げるような記事に見られる不純な動機がありません。また現在までの報道では疑問であった多くのことにも言及され、納得できます。原発事故の問題点を知る上で、さらには原発の是非を考える上で、とても参考になる本だと思われます。
地震直後、制御棒が自動的に入り、原発は停止しました。あとは燃料から生じる崩壊熱を逃がすために、原子炉の圧力を抜き、水を入れて冷やすだけですが、これがうまく行かず、運転中の3基の原発すべてがメルトダウンしました。一見、簡単なことに思われますが、なぜ失敗したのでしょうか。以下、一部を紹介します。
地震の翌日に起きた1号機の爆発事故は2・3号機への対策を困難にし、それらのメルトダウンにつながったと言われています。1号機への対応のまずさが事故の拡大を招いたという見方です。逆にここで失敗しなければ大事故は起きなかったかもしれず、痛恨の失策というわけです。本書ではまず1号機の非常用冷却装置がなぜ機能しなかったのかという問題に迫ります。
1号機には電源がなくても機能するIC(イソコン)と呼ばれる冷却装置がありましたが、知見の不足や判断の誤りのために一旦起動に成功したものの、すぐに停止させていたことが明らかにされます。その結果、原子炉内の水位は急激に下がり、午後5時15分、免震棟と本店を結ぶテレビ会議で、マイクをとった技術班の担当者は「1号機の水位低下、現在のまま低下していくとTAF(燃料先端)まで1時間」と発言しますが、この情報は無視され、急速にメルトダウンへと進むことになります。
現場が混乱を極めていたであろうことは想像できますが、あと1時間で燃料が水面から露出するという極めて重大な情報が無視されたわけです。またそれを報告した担当者もなぜ繰り返し言わなかったのか不明です。免震棟はICが動いていると認識していたようですが、その誤りに気づく機会は他にも3回あったがいづれも見逃されたと、述べています。
ICに対する知見の不足は事態を悪化させた大きな要因です。米国の同型炉では数年に一度、実際にICを起動していますが、日本では40年間動かしたことがないそうです。そのためにICが起動しているか、判断できなかったというわけです。日本でICを動かさなかったのかという理由について、「本来ICから出る蒸気には放射性物質は含まれていないが、原発内部のどこかの配管に微細な穴があくと、微量の放射性物質が混じる恐れがある。このことが外部に蒸気を出すことを慎重にさせた」と関係者は説明します。確かに、無害なごく微量の放射性物質が漏れても日本のマスコミは大騒ぎします。
また、1~3号機すべてで問題となったのは格納容器のベント弁が容易に操作できなかったことです。これは非常に重要で、圧力が上りすぎた時に容器の破壊を防ぐために必要な操作です。これが容易に動かないのは設計に問題があるといえるでしょう。2号機では最後まで開かず、吉田所長は死を覚悟したとされていますが、幸いにも圧力によってどこかが自然に破損し、圧力は低下しました。素人考えですが、そんなに重要なものなら初めから圧力が一定以上になれば自動的に開く「逃がし安全弁」を何故つけておかなかったのでしょうか(圧力容器にはついていますが、これの作動にも困難を極めたようです)。一般に圧力容器には安全弁をつけるのが普通です。
2号機の格納容器が破裂すれば東日本が壊滅する議論は菅元首相が作らせた最悪シナリオにもありましたが、破裂は小規模ながら実際に起こりました。放射性物質がばら撒かれましたが、東日本が壊滅するにはほど遠いものでした。東日本壊滅は杞憂でありました。
もうひとつ興味ある事実があります。燃料プールに対する自衛隊ヘリなどからの放水です。当時の海江田経産大臣が中心になって進められたこの計画によって3月17日から19日にかけて実施されましたが、たいした効果もなく(必要性がないことは事前に東電が把握)、電源復旧工事を大きく遅らせることになりました。3月17日夕方までの復旧予定は20日(1・2号機)、22日(3・4号機)まで遅れることになります。一方、3月15日午後以降の放出量が事故発生から3月末までの75%を占めるという解析結果が2014年に発表されました。電源復旧の遅れは冷却の遅れであり、放射性物質の放出の増加を招いた可能性があると述べています。
政府・官邸の対応は後に批判されたように、わけのわからない人たちが強引に進め、事態を悪化させた面があったようです。「あんな人(菅直人)を総理にしたから天罰が当たったのではないかと、運命論を考えるようになっている」という班目春樹元委員長の発言は不適切ですが、まあ一部の真実は含まれているようです。
以上、私が特に興味を惹かれた点を簡単に取りあけました。事故は想定外の津波によって引き起こされました。しかし事故の拡大を防げなかったのはプラントへの知見不足や管理組織の欠点、設計の甘さ、など様々の要因が重なったためだと思われますが、それらを具体的に知ることは原発に対する正しい認識を得るために必要なことです。 誰かの主張を信じて、原発反対を主張する方々にはぜひお読みいただき、ご自分で判断されるのがよいと思います。原発を安全に制御することは可能か、という問題にきっと役立つことでしょう。
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