1月15日に起きた海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船「とびうお」の衝突事故は大きく報道されました。その報道量は2日後に同じく死者2名を出した和歌山県沖で起きた漁船と貨物船による事故の報道の数十倍にもなります。
朝日では15日夕刊、16日朝刊、16日夕刊、18日朝刊の一面トップを使って報じています。見出しには「海自艦、後方から接近か」「『おおすみ』乗員ら聴取」などと、いかにも海自艦に衝突の原因があるように思わせる文字が並び、またご親切にも海自艦船がかかわった過去の衝突事故の一覧表まで載っています。
海自艦の過失追求にはずいぶんご熱心ですが、釣り船側の過失には全く関心がないようです。よほど自衛隊がお嫌いのようです。しかし22日になって、釣り船が海自艦を追い越した後に減速した、あるいは釣り船が後ろから海自艦に衝突したという釣り船側の過失を疑わせる見解が出てきて以降、この衝突事故のニュースは朝日の紙面からすっかり消え失せたようです。
海自艦が釣り船の後方から接近したとしても、海自艦の先端が釣り船を追い越してから衝突場所である中央部まで約90mあるわけで、仮に相対速度が10km/hであれば32秒程度必要です。この間、釣り船から見れば視界のほぼ右半分近くは海自艦の巨体で覆われていたことになります。釣り船はいったいどこを見て走っていたのだろうかという疑問が生じます。
また海自艦は大型で、停止には数百m必要であり、急な方向転換も出来ません。それに対して釣り船ははるかに機動性がよいので、衝突直前の急な回避行動は釣り船にしか出来ないわけで、鈍牛とハエのようなものです。このことは、回避義務がどちらにあったかなどの法律論よりも重要だと思いますが、なぜか言及はありません。
小さく報道された和歌山県沖の漁船事故も死者は同じく2名です。一方は遊びの最中、他方は仕事中の事故です。死亡した漁船の乗組員は現役であり、一家の働き手であったかもしれません。同じ海難事故でありながらこの報道量の違いは納得できません。
大袈裟に報道する背景には自衛隊を有害無益なものと印象づけて、感情的な反対論を煽る意図があるのでしょう。理ではなく情に訴える手口です。自衛隊の縮小・廃止を望んでいる社民党や共産党を「無責任野党」と呼ぶそうですが、それに倣えば「無責任新聞」と呼んでもいいでしょう。
昨年の特定秘密保護法では、朝日は戦前のような軍国主義の時代になるといった情に訴える記事で紙面を埋めました。日本の民主政治では理に訴えるより情に訴える方が効果的だということを朝日はよくご存知なのです。かつて国民を戦争へと煽ったのも同じ手口ですから。
その通りなのですが、一流新聞がこれでは民主政治はいつまで経っても成熟せず、衆愚政治から抜け出せないでしょう。まあ裏返せば、朝日は大衆をバカだと思っているということですが。
朝日では15日夕刊、16日朝刊、16日夕刊、18日朝刊の一面トップを使って報じています。見出しには「海自艦、後方から接近か」「『おおすみ』乗員ら聴取」などと、いかにも海自艦に衝突の原因があるように思わせる文字が並び、またご親切にも海自艦船がかかわった過去の衝突事故の一覧表まで載っています。
海自艦の過失追求にはずいぶんご熱心ですが、釣り船側の過失には全く関心がないようです。よほど自衛隊がお嫌いのようです。しかし22日になって、釣り船が海自艦を追い越した後に減速した、あるいは釣り船が後ろから海自艦に衝突したという釣り船側の過失を疑わせる見解が出てきて以降、この衝突事故のニュースは朝日の紙面からすっかり消え失せたようです。
海自艦が釣り船の後方から接近したとしても、海自艦の先端が釣り船を追い越してから衝突場所である中央部まで約90mあるわけで、仮に相対速度が10km/hであれば32秒程度必要です。この間、釣り船から見れば視界のほぼ右半分近くは海自艦の巨体で覆われていたことになります。釣り船はいったいどこを見て走っていたのだろうかという疑問が生じます。
また海自艦は大型で、停止には数百m必要であり、急な方向転換も出来ません。それに対して釣り船ははるかに機動性がよいので、衝突直前の急な回避行動は釣り船にしか出来ないわけで、鈍牛とハエのようなものです。このことは、回避義務がどちらにあったかなどの法律論よりも重要だと思いますが、なぜか言及はありません。
小さく報道された和歌山県沖の漁船事故も死者は同じく2名です。一方は遊びの最中、他方は仕事中の事故です。死亡した漁船の乗組員は現役であり、一家の働き手であったかもしれません。同じ海難事故でありながらこの報道量の違いは納得できません。
大袈裟に報道する背景には自衛隊を有害無益なものと印象づけて、感情的な反対論を煽る意図があるのでしょう。理ではなく情に訴える手口です。自衛隊の縮小・廃止を望んでいる社民党や共産党を「無責任野党」と呼ぶそうですが、それに倣えば「無責任新聞」と呼んでもいいでしょう。
昨年の特定秘密保護法では、朝日は戦前のような軍国主義の時代になるといった情に訴える記事で紙面を埋めました。日本の民主政治では理に訴えるより情に訴える方が効果的だということを朝日はよくご存知なのです。かつて国民を戦争へと煽ったのも同じ手口ですから。
その通りなのですが、一流新聞がこれでは民主政治はいつまで経っても成熟せず、衆愚政治から抜け出せないでしょう。まあ裏返せば、朝日は大衆をバカだと思っているということですが。