フンガ・トンガ・フンガ・ハウパイ火山(なんとややこしい名前)の噴火の被害を支援するため各国の支援活動が始まった。支援物資を積んだニュージーランドの軍艦は1月21日にトンガの首都に到着、水250トンに加え、1日70トンの海水淡水化装置も積載しているという。これに対し日本は自衛隊輸送機を派遣し、22日に飲料水3トンを届けた。続いて2機に残りの飲料水などを積んで派遣するという。
ニュージーランドは水、日本は飲料水となっており、違いがわからないが水を飲用に変えるのは難しいことではない。3トンに対して250トンと毎日70トンの淡水、どちらがありがたいか。そもそも水や砂利のような低価格で大量に使うものを数千キロ離れた地域に空輸することが馬鹿げている。そんなものは近隣の国に任せて食料など他のものを空輸するのが合理的である。税金だからコストと効果を考える人がいないのかと思う。ニュージーランドの支援と日本の支援、二つ並べて記事にすれば日本の間抜けた計画が際立つ。
アフガニスタンの撤退作戦では日本は無能ぶりを世界に示した。直前の爆弾テロという不運もあったが初動の遅れが大きい。さらに現地採用を除く大使館員全員が早々と逃げてしまったことも恥ずかしい。一方、駐アフガン英国大使は最後まで残り、1万数千人の退避を指揮したとされ、帰国時は英雄扱いだったという。日本の役人の逃げ足が速いのは福島第一原発の事故時、真っ先逃げた4名の原子力保安院検査官以来見慣れたことである。危機に際して重要な立場にある者が我先に逃げるというのは敵前逃亡にも並ぶ大罪である。英国大使の行動と並べると、日本の教育にまで疑問が及ぶ。日本の対応と英国の対応、この二つも並べて記事にすると面白い。
逆に、実に痛々しいことであるが、救助に向かった若者の勇敢さと責任感に心を打たれた出来事があった。1月5日、那須サファリパークで起きたトラの事故である。26歳の女性飼育員がトラに襲われた。悲鳴を聞いた20代の二人が助けようと中に入ったところ彼らも襲われ、22歳の女性飼育員は右手首から先を失うという実に気の毒なことになった。詳しいことはわからないが、二人には中に入らず、安全な場所で人を呼ぶなどの選択もあっただろう。危険を承知で仲間を助けようとした行為には本当に頭が下がる。
これと対比するのはセウォル号の船長がいい。彼は乗客の姿に化けて、高校生の乗客を残して先に逃げた。しかも彼は危機に際して指揮をとるべき船長なのである。逃避行動も熟慮の上なのだろうからことさら悪質である。弁解の余地はない。
セウォル号の船長は散々メディアに叩かれ、有罪にもなった。しかし那須サファリパークの勇敢な二人をメディアが称賛したのを見たことがない。メディアは称賛が嫌なのだろうか。報道のほとんどは人や組織に対する非難・誹謗である。メディアは責めたり非難するのが仕事だと考えているようだ。これには読者・視聴者にも責任がある。読者・視聴者は悪人が断罪されることに快感を覚える。悪人が資産や権力を持つ大物なら効果はより大きい。快感を与えられることはメディアが商売として成立する要素のひとつである。その結果、メディア報道は称賛より避難に傾斜する。
ニュージーランドは水、日本は飲料水となっており、違いがわからないが水を飲用に変えるのは難しいことではない。3トンに対して250トンと毎日70トンの淡水、どちらがありがたいか。そもそも水や砂利のような低価格で大量に使うものを数千キロ離れた地域に空輸することが馬鹿げている。そんなものは近隣の国に任せて食料など他のものを空輸するのが合理的である。税金だからコストと効果を考える人がいないのかと思う。ニュージーランドの支援と日本の支援、二つ並べて記事にすれば日本の間抜けた計画が際立つ。
アフガニスタンの撤退作戦では日本は無能ぶりを世界に示した。直前の爆弾テロという不運もあったが初動の遅れが大きい。さらに現地採用を除く大使館員全員が早々と逃げてしまったことも恥ずかしい。一方、駐アフガン英国大使は最後まで残り、1万数千人の退避を指揮したとされ、帰国時は英雄扱いだったという。日本の役人の逃げ足が速いのは福島第一原発の事故時、真っ先逃げた4名の原子力保安院検査官以来見慣れたことである。危機に際して重要な立場にある者が我先に逃げるというのは敵前逃亡にも並ぶ大罪である。英国大使の行動と並べると、日本の教育にまで疑問が及ぶ。日本の対応と英国の対応、この二つも並べて記事にすると面白い。
逆に、実に痛々しいことであるが、救助に向かった若者の勇敢さと責任感に心を打たれた出来事があった。1月5日、那須サファリパークで起きたトラの事故である。26歳の女性飼育員がトラに襲われた。悲鳴を聞いた20代の二人が助けようと中に入ったところ彼らも襲われ、22歳の女性飼育員は右手首から先を失うという実に気の毒なことになった。詳しいことはわからないが、二人には中に入らず、安全な場所で人を呼ぶなどの選択もあっただろう。危険を承知で仲間を助けようとした行為には本当に頭が下がる。
これと対比するのはセウォル号の船長がいい。彼は乗客の姿に化けて、高校生の乗客を残して先に逃げた。しかも彼は危機に際して指揮をとるべき船長なのである。逃避行動も熟慮の上なのだろうからことさら悪質である。弁解の余地はない。
セウォル号の船長は散々メディアに叩かれ、有罪にもなった。しかし那須サファリパークの勇敢な二人をメディアが称賛したのを見たことがない。メディアは称賛が嫌なのだろうか。報道のほとんどは人や組織に対する非難・誹謗である。メディアは責めたり非難するのが仕事だと考えているようだ。これには読者・視聴者にも責任がある。読者・視聴者は悪人が断罪されることに快感を覚える。悪人が資産や権力を持つ大物なら効果はより大きい。快感を与えられることはメディアが商売として成立する要素のひとつである。その結果、メディア報道は称賛より避難に傾斜する。