戦争は避けたい、と誰もが思う。とりわけ核戦争は絶対に避けたいと思う。2度と核爆弾を落とされたくない。だが日本が核武装しても、その核爆弾は日本では爆発しない。日本で爆発するのは敵国の作った核爆弾である。
全世界で核がなくなれば理想だが、信用のない国がある限り、実現はとても困難である。ただ、核の保有国同士が互いに核攻撃するという最悪の事態は数十年間なく、今後も可能性はごく小さい。核攻撃が行われるとすれば、核保有国が非保有国に対してだけであろう。核保有国に対しての攻撃は実際には報復が恐ろしくてできない。また通常兵器によるものであっても核保有国に対する攻撃は慎重にならざるを得ない。以上は当たり前のことであるが。
そう考えると平和を希求するために日本が核武装することは理に叶う。北朝鮮の核は同様、自国の安全のためという意味合いが強い。しかし、中国のような膨張主義の国は自国の安全のためもあろうが、積極的に他国に対する脅しや実際の使用をも意図しているように見える。両国とも独裁国家であり、予想外の行動に出る可能性も高いので不気味である。何をするかわからない恐怖である。
英米仏はいづれも核保有国であるが、政治が安定していてヒトラーのように暴走することはまずないと思われる。これらの国の信用があるのでその核は脅威ではない。同様に、日本が核武装しても脅威と感じる国は少ないだろう。それだけの信用がある筈だ。日本は核の原料である、プルトニウムを大量に保管しているが、懸念されていないのは信用があるからだ。南沙諸島を占領し、軍事基地を作らないと約束しながら平気で約束を破り基地を作る国、国家事業として他国民を大量に誘拐する国、1965年の条約を無視して賠償や謝罪を求める国などは信用しようがない。これらの国が核を持てば脅威である。
一方、国内には日本が敵基地攻撃能力を持つことにすら根強い反対があるようだ。この理屈が私にはよくわからない。中国や北朝鮮は日本の基地だけでなく都市をも壊滅させるだけの核攻撃能力を持っている。核を含めると日本は圧倒的に不利な立場にある。しかも優位に立つのは信用できない国なので、脅威が現実になる可能性はある。その状況で敵基地攻撃能力に反対するのは敵国の利益を代弁しているとしか思えない。
中国が各国から警戒される中、日本の中国に対する軍事的抑止力が受け入れられる素地ができつつある。核武装となればクリアーすべき問題がいろいろあると思うが、せめてその議論だけでも始めるべき時期に来たと思う。最大の目的は平和を守ることであるが、少なくとも9条で平和が守れるという議論よりはマシであると思う。
昔、核による平和を「核抑止」「恐怖の均衡」と呼んだ。欧米では核シェルターが広く普及するほどの恐怖の時代もあった。しかし現代は恐怖に慣れてしまったのか、ホットラインなど戦争防止の手段が用意されたためか、恐怖はあまりない。核の全般破棄が実現できない以上、現実的な方法である。
全世界で核がなくなれば理想だが、信用のない国がある限り、実現はとても困難である。ただ、核の保有国同士が互いに核攻撃するという最悪の事態は数十年間なく、今後も可能性はごく小さい。核攻撃が行われるとすれば、核保有国が非保有国に対してだけであろう。核保有国に対しての攻撃は実際には報復が恐ろしくてできない。また通常兵器によるものであっても核保有国に対する攻撃は慎重にならざるを得ない。以上は当たり前のことであるが。
そう考えると平和を希求するために日本が核武装することは理に叶う。北朝鮮の核は同様、自国の安全のためという意味合いが強い。しかし、中国のような膨張主義の国は自国の安全のためもあろうが、積極的に他国に対する脅しや実際の使用をも意図しているように見える。両国とも独裁国家であり、予想外の行動に出る可能性も高いので不気味である。何をするかわからない恐怖である。
英米仏はいづれも核保有国であるが、政治が安定していてヒトラーのように暴走することはまずないと思われる。これらの国の信用があるのでその核は脅威ではない。同様に、日本が核武装しても脅威と感じる国は少ないだろう。それだけの信用がある筈だ。日本は核の原料である、プルトニウムを大量に保管しているが、懸念されていないのは信用があるからだ。南沙諸島を占領し、軍事基地を作らないと約束しながら平気で約束を破り基地を作る国、国家事業として他国民を大量に誘拐する国、1965年の条約を無視して賠償や謝罪を求める国などは信用しようがない。これらの国が核を持てば脅威である。
一方、国内には日本が敵基地攻撃能力を持つことにすら根強い反対があるようだ。この理屈が私にはよくわからない。中国や北朝鮮は日本の基地だけでなく都市をも壊滅させるだけの核攻撃能力を持っている。核を含めると日本は圧倒的に不利な立場にある。しかも優位に立つのは信用できない国なので、脅威が現実になる可能性はある。その状況で敵基地攻撃能力に反対するのは敵国の利益を代弁しているとしか思えない。
中国が各国から警戒される中、日本の中国に対する軍事的抑止力が受け入れられる素地ができつつある。核武装となればクリアーすべき問題がいろいろあると思うが、せめてその議論だけでも始めるべき時期に来たと思う。最大の目的は平和を守ることであるが、少なくとも9条で平和が守れるという議論よりはマシであると思う。
昔、核による平和を「核抑止」「恐怖の均衡」と呼んだ。欧米では核シェルターが広く普及するほどの恐怖の時代もあった。しかし現代は恐怖に慣れてしまったのか、ホットラインなど戦争防止の手段が用意されたためか、恐怖はあまりない。核の全般破棄が実現できない以上、現実的な方法である。