噛みつき評論 ブログ版

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そろそろ核武装論を始めよう

2020-09-27 22:55:34 | マスメディア
 戦争は避けたい、と誰もが思う。とりわけ核戦争は絶対に避けたいと思う。2度と核爆弾を落とされたくない。だが日本が核武装しても、その核爆弾は日本では爆発しない。日本で爆発するのは敵国の作った核爆弾である。

 全世界で核がなくなれば理想だが、信用のない国がある限り、実現はとても困難である。ただ、核の保有国同士が互いに核攻撃するという最悪の事態は数十年間なく、今後も可能性はごく小さい。核攻撃が行われるとすれば、核保有国が非保有国に対してだけであろう。核保有国に対しての攻撃は実際には報復が恐ろしくてできない。また通常兵器によるものであっても核保有国に対する攻撃は慎重にならざるを得ない。以上は当たり前のことであるが。

 そう考えると平和を希求するために日本が核武装することは理に叶う。北朝鮮の核は同様、自国の安全のためという意味合いが強い。しかし、中国のような膨張主義の国は自国の安全のためもあろうが、積極的に他国に対する脅しや実際の使用をも意図しているように見える。両国とも独裁国家であり、予想外の行動に出る可能性も高いので不気味である。何をするかわからない恐怖である。

 英米仏はいづれも核保有国であるが、政治が安定していてヒトラーのように暴走することはまずないと思われる。これらの国の信用があるのでその核は脅威ではない。同様に、日本が核武装しても脅威と感じる国は少ないだろう。それだけの信用がある筈だ。日本は核の原料である、プルトニウムを大量に保管しているが、懸念されていないのは信用があるからだ。南沙諸島を占領し、軍事基地を作らないと約束しながら平気で約束を破り基地を作る国、国家事業として他国民を大量に誘拐する国、1965年の条約を無視して賠償や謝罪を求める国などは信用しようがない。これらの国が核を持てば脅威である。

 一方、国内には日本が敵基地攻撃能力を持つことにすら根強い反対があるようだ。この理屈が私にはよくわからない。中国や北朝鮮は日本の基地だけでなく都市をも壊滅させるだけの核攻撃能力を持っている。核を含めると日本は圧倒的に不利な立場にある。しかも優位に立つのは信用できない国なので、脅威が現実になる可能性はある。その状況で敵基地攻撃能力に反対するのは敵国の利益を代弁しているとしか思えない。

 中国が各国から警戒される中、日本の中国に対する軍事的抑止力が受け入れられる素地ができつつある。核武装となればクリアーすべき問題がいろいろあると思うが、せめてその議論だけでも始めるべき時期に来たと思う。最大の目的は平和を守ることであるが、少なくとも9条で平和が守れるという議論よりはマシであると思う。

 昔、核による平和を「核抑止」「恐怖の均衡」と呼んだ。欧米では核シェルターが広く普及するほどの恐怖の時代もあった。しかし現代は恐怖に慣れてしまったのか、ホットラインなど戦争防止の手段が用意されたためか、恐怖はあまりない。核の全般破棄が実現できない以上、現実的な方法である。

内閣支持率はメディアの能力試験

2020-09-20 20:37:22 | マスメディア
 発足したばかりの菅内閣であるが、内閣支持率は64〜74%とかなり高い支持を得ている。菅内閣の実績はまだないので、これは回答者がメディアから得られた情報によって判断した結果である。つまり発足当時の支持率はメディアによる内閣評価の反映に過ぎない。メディアの評価にはその内閣の将来評価も含まれるから、メディアの予測能力が問われる機会でもある。

 一般的な傾向として内閣支持率は発足時に高くなり、終了時には低くなる。発足時にはご祝儀気分が加わることが一因であろうし、終了時には当初の期待が裏切られ、低い支持率になるのだろう。近年、発足時の支持率が高かったのは小泉内閣の81%、鳩山内閣の72%であるが、小泉内閣は5年半近く続いたが終了時には51%の支持率があった。鳩山内閣は僅か約8ヵ月で終了、その時の支持率は21%であった。続く民主党の菅内閣は発足時61%が1年余で18%に、野田内閣は60%が1年半で20%に、短期間にいずれも急降下した。当初の支持率は、つまりメディアの流した情報はとても信頼できないことの証明となった。

 自民党の内閣にも福田内閣のように58%から20%へ急落した例もあるが、急降下の実績は民主党政権が圧倒している。民主党の3つの内閣は発足時には高い支持率を得ている。これはメディアが民主党の各内閣に期待を込めた高い評価を与えていたことを示す。メディアは自分の好きな政権か、嫌いな政権かによって感情を込めた評価をしているようである。メディアの客観的な評価能力は極めて低く、間違いなく落第点である。当時、左派メディアが熱狂的に支持した鳩山由紀夫元首相であるが、その後の韓国や中国での振る舞いを見ればメディアの評価能力のレベルがわかろうというもの。未だに謝罪はない。

 有権者はメディアが提供する評価に基づいて政治的な世論を形成し、投票する。当たり前のことだが、有権者が正確な情報を得ることは民主主義の前提である。メディアの評価能力が低かったり、政治的な好み、思想的な偏向のために提供する情報が信頼できないとすれば民主主義が成り立たない。なにかというと民主主義を振りかざす左派メディアが自ら民主主義の基本的条件を台無しにしているのは皮肉なことである。願わくば、メディアの不正確さ、不誠実さにもっと世の注意が向くことを期待したい。民主主義の基本的条件なのだから。

10号台風、恐怖の発表と過剰報道

2020-09-13 22:02:00 | マスメディア
 10号台風のことである。過去に経験したことのない台風、史上最強の台風が来たとメディアは騒ぎまくった。とりわけNHKは9月5日夜からは通常番組を中止して台風情報だけを流し続けた。ところが気象庁の発表は凄いのだが、そのわりにはたいした災害の画像がなく、やや強い風、やや高い波などの退屈な映像が長時間流された。テレビ局の連中はもっと凄い被害映像を願っていたことだろう。

 台風の進路や強さの予測はある程度の不確実性が避けられないため、空振りは許容されなければならないことは理解できる。しかし、今回の10号台風の予報はちょっとひどすぎる。過去に経験したことのない、史上最強などの形容詞だけでなく、予想される瞬間最大風速が80m/sと発表するなど、実際に観測された数値との開きが大きすぎる。80m/sと簡単に言うが、風圧力は風速の二乗に比例するから、80m/sでは40m/sの4倍の力がかかる。非常な大差である。

 南方海上での中心気圧の最低値を920ヘクトパスカル(hpa)と予測していたが、これを史上最強というのはおかしい。弱ることが多い上陸時でも室戸台風は911hpa、第二室戸は925hpaであり、南方海上での中心気圧なら1979年の20号台風の870hpa、2013年30号台風は895hpaとまだまだ上がある。

 恐怖を煽る気象庁の誇大発表と不安を煽る過剰報道の相乗効果は絶大である。台風の被害予想は両者の連携により何倍にも増幅され、多数の避難者を出すだけでなく、新幹線を含むJR線は九州だけでなく西日本まで計画運休となり実際の損害も生じた。そして、ついに気象庁の謝罪はなく、言い訳だけがあった。海水温が高かったので発達すると予想していたが、少し前に9号台風が付近を通ったので海水温が低下したため、「期待」に反して発達しなかったという意味の言い訳であった。9号が少し前に付近を通ったこと、台風が通れば海水はかき混ぜられ下層の低温部が表面に出て水温が下がること、台風による雲で日射が遮られて温度上昇が阻害されこと、これはすべて既知の事実である。言い訳にはならない。

 予報も、そして言い訳までもが実にお粗末である。天気予報の精度は年々上がってきているのは確かだと思う。それは衛星による情報、観測点の充実などハード面によるところが大きいと思うが、それらを使って判断する人間の能力に問題があるのではないだろうか。謝罪もせず、言い訳にならない「言い訳」を聞けば、そう思いたくなる。各テレビ局には専属の今日予報士がいるようだが、彼らも気象庁を批判しないのもおかしい。

 気象庁がこんな体質で、大袈裟な発表を繰り返していれば「オオカミ少年」なるのは当然で、いくら言っても避難しない住民が現れるのは自然の成り行きである。当たり前だが、信頼性は最も重要である。まともな言い訳もなく、謝罪もない現状では彼らには国民から信頼されようという意思がないように感じられる。また過大な予報を平気で出すことになると思う。気象庁は無責任で気楽な商売、ではないのである。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

2020-09-06 22:17:40 | マスメディア
 朝日新聞社が9月2-3日に実施した世論調査で、第2次安倍政権の7年8カ月の実績評価に関し、「大いに」17%、「ある程度」54%を合わせて、71%が「評価する」と答えた。全く「評価しない」は9%に過ぎない。また前に紹介したが、共同通信が29-30日実施の世論調査でも、安倍内閣支持率は56.9%で、8月22-23両日の調査より20.9ポイント増加した。

 一方、辞任表明直後の朝日・毎日の社説は安倍批判がほとんどで、評価はむろんのこと、労いの言葉もなかった。朝日は安倍首相によって日本の民主主義が深く傷つけられたとまで主張する。これらの新聞の評価と、上記の調査に表れた国民多数の評価とは大きすぎるほどの違いがある。また欧米の首脳・メディアは安倍首相に高い評価を与えているが、中韓は逆である。中韓と朝日・毎日が共通する点が興味深い。しかし同じ日本に住み、同じ日本語を話し、同じような教育を受けた人間がなぜこれほど極端な低評価を下すのだろうか。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉がある。とても上手い表現で、普通、無生物の袈裟が憎しみの対象になることはないと思うが、坊主が憎ければ袈裟まで憎くなるという不合理な感情を表している。この不合理な感情、憎しみが拡大するという仕組みは攻撃力を高め、戦争のときには役立ったかもしれない。しかし不合理な感情であることには違いないわけで、認識や判断を狂わせるものである。過剰に憎んだり、逆に過剰に好きになったりすることは誰にでもある。ただ教育を受け、社会経験を積むにしたがって客観的な思考もできるようになり、不合理な感情の影響は小さくなるのがふつうである。むろん例外はあるわけで、歳をとっても子供のような反応を示す人も少なくない。

 戦後教育、あるいは戦後の政治思潮のためであろうが、多くの若者が左翼に走った時期があった。だが、その多くは社会に出て、現実を見るにつれ左翼思想から遠ざかった。若い頃の左翼思想を頑なに守っているのはかなり少数である。ぶれないと言えば聞こえがよいが、変化を受け入れないただの頑固者である。「25歳のとき左翼にならない人には心がない。35歳になってもまだ左翼のままの人には頭がない」という名言は出典については不明確ながら、広く引用されるのは真実を含むからであろう。

 この名言は歳を食っても左翼のままである理由を頭、つまり知能に求めているが、そればかりではなく、別の理由もあると思う。ここで「坊主憎けりゃ…」が出てくる。彼らは一度憎いと思ったら、その不合理な感情を変えられないという特殊な特性を持っているからではないかと思うのである。こだわりの人である。

 安倍首相の功績を一切認めず、ひどい批判ばかりする人たち、彼らはよほど安倍首相が憎い、あるいは嫌いなのではないか。そう考えないと彼らを理解することはできない。つまり合理的には理解できないのである。いろんな人がいるのだから、そのように憎く思っている人がいることは仕方がない。しかしそのような人たちが集まって特定のメディアを支配し、プロパガンダの手段とすれば、影響は増幅され、政治を歪め、社会にとって重大な問題になる。それに中韓と共通する部分が多いことから、中韓に利用される可能性もある。彼らは一種の過激派であるが、暴力を伴なわないため取り締りの対象外となる。言論の自由はとても大切な原則だが、負の側面もある。