鳩山由紀夫前首相は8月27日、小沢氏を支持する理由として「私は小沢氏に総理にまで導いていただいた。ご恩返しをすべきだ」と申された(鳩山氏流のユニークな敬語表現)そうです。
「友愛」の前首相が、政治資金疑惑で苦労を共にした盟友に「恩返しする」という、まことに感動的な美談であります。しかも、鳩山氏が受け取ったものは首相という日本一の権力の椅子であり、鳩山氏が恩返しとして小沢氏に贈ろうとしている物も首相の椅子なのです。首相の椅子を個人間の贈り物にするとは、まったく驚くほかありません。
鶴と人間の交情を美しく描いたお話は「鶴の恩返し」ですが、男どうしの友愛を描いた「鳩の恩返し」は世にも珍しい「社会派」の童話になるかもしれません。まあこれはひとまず措くこととしましょう。
首相の選任には数百億円が必要な選挙を含め、面倒な仕組みが用意されています。首相は強大な権力をもち、国家・国民の命運を託されるわけですから選任には慎重な仕組みが必要なのは当然です。そして選任には国家・国民の利益が最優先されるのがあたりまえであり、そこに私情をはさむことなど論外です。情実の関与は国民の利益が最優先でなくなることを意味します。
鳩山氏が恩返しのために小沢氏を支持することはまさに情実によって首相を選ぶ行為であり、それは現行の政治制度を台無しにすることです。さらに驚くべきことは私情を公言して憚らない鳩山氏の見識です。「抑止力の必要性を学んだ」という発言と同様、正直な点は認めますが、キングメーカーになるかもしれない立場の方が首相を選ぶ際に、情実を公言することなどとても考えられないことです。これは鳩山氏の政治家としての資質をまたまた強く疑わせるものです。
鳩山氏は首相という立場にありながら株取引の譲渡益、巨額の贈与税を申告せず、納税モラルの低下に手を貸しました。そして今回は情実人事を堂々と公言することによって人事におけるモラルにも悪影響を及ぼすことでしょう。そしてこれは鳩山氏を首相に選んだ民主党にも大きな責任のある問題です。民主党には首相にふさわしい人材がいなかったのか、あるいは人材はいるものの選抜システムが「故障」していたのか、私の知るところではありませんが。
実はキングメーカーと称された森喜朗元首相も08年9月8日、同派の臨時総会で「自分は麻生さんをやる。麻生さんには大変お世話になったことは忘れてはいけない」と公言し、自民党総裁選で麻生太郎幹事長を支持するよう呼びかけた例があります。これも恩返しであり、情実による首相選びにほかなりません。
しかしこのような情実を交えた首相選びに対し、マスコミによる批判はほとんどありません。このことはさらに深刻な問題です。恐らく、首相は与党内の少数のグループの内部事情で決まることが常態化し、マスコミの記者らはそれをあたりまえのことと思っていたのでしょうが、情実で首相を選ぶことを異常と感じない見識こそ恐ろしいと思います。
批判をしなければ、情実によって首相を選んでもいいですよ、というメッセージを出すのと同じです。感覚の鈍磨したマスコミは森氏、鳩山氏の異常な発言と見識を生み出した温床であると言えるでしょう。たとえ青臭いと言われようと、正論を忘れるべきではないと思います。
森氏の恩返しによって生まれた麻生氏、また理由は不明ながら鳩山氏が恩を感じたという小沢氏の導きによって誕生した鳩山氏が首相として適格であったでしょうか。そして「友愛」あふれる恩返しのために鳩山氏が国民多数の意思に反して推す小沢氏ははたして首相としての適格性があるのでしょうか。
1年程度で馬脚を露す首相が次々と登場してくるのは、こんなところに一因があるのかもしれません。
「友愛」の前首相が、政治資金疑惑で苦労を共にした盟友に「恩返しする」という、まことに感動的な美談であります。しかも、鳩山氏が受け取ったものは首相という日本一の権力の椅子であり、鳩山氏が恩返しとして小沢氏に贈ろうとしている物も首相の椅子なのです。首相の椅子を個人間の贈り物にするとは、まったく驚くほかありません。
鶴と人間の交情を美しく描いたお話は「鶴の恩返し」ですが、男どうしの友愛を描いた「鳩の恩返し」は世にも珍しい「社会派」の童話になるかもしれません。まあこれはひとまず措くこととしましょう。
首相の選任には数百億円が必要な選挙を含め、面倒な仕組みが用意されています。首相は強大な権力をもち、国家・国民の命運を託されるわけですから選任には慎重な仕組みが必要なのは当然です。そして選任には国家・国民の利益が最優先されるのがあたりまえであり、そこに私情をはさむことなど論外です。情実の関与は国民の利益が最優先でなくなることを意味します。
鳩山氏が恩返しのために小沢氏を支持することはまさに情実によって首相を選ぶ行為であり、それは現行の政治制度を台無しにすることです。さらに驚くべきことは私情を公言して憚らない鳩山氏の見識です。「抑止力の必要性を学んだ」という発言と同様、正直な点は認めますが、キングメーカーになるかもしれない立場の方が首相を選ぶ際に、情実を公言することなどとても考えられないことです。これは鳩山氏の政治家としての資質をまたまた強く疑わせるものです。
鳩山氏は首相という立場にありながら株取引の譲渡益、巨額の贈与税を申告せず、納税モラルの低下に手を貸しました。そして今回は情実人事を堂々と公言することによって人事におけるモラルにも悪影響を及ぼすことでしょう。そしてこれは鳩山氏を首相に選んだ民主党にも大きな責任のある問題です。民主党には首相にふさわしい人材がいなかったのか、あるいは人材はいるものの選抜システムが「故障」していたのか、私の知るところではありませんが。
実はキングメーカーと称された森喜朗元首相も08年9月8日、同派の臨時総会で「自分は麻生さんをやる。麻生さんには大変お世話になったことは忘れてはいけない」と公言し、自民党総裁選で麻生太郎幹事長を支持するよう呼びかけた例があります。これも恩返しであり、情実による首相選びにほかなりません。
しかしこのような情実を交えた首相選びに対し、マスコミによる批判はほとんどありません。このことはさらに深刻な問題です。恐らく、首相は与党内の少数のグループの内部事情で決まることが常態化し、マスコミの記者らはそれをあたりまえのことと思っていたのでしょうが、情実で首相を選ぶことを異常と感じない見識こそ恐ろしいと思います。
批判をしなければ、情実によって首相を選んでもいいですよ、というメッセージを出すのと同じです。感覚の鈍磨したマスコミは森氏、鳩山氏の異常な発言と見識を生み出した温床であると言えるでしょう。たとえ青臭いと言われようと、正論を忘れるべきではないと思います。
森氏の恩返しによって生まれた麻生氏、また理由は不明ながら鳩山氏が恩を感じたという小沢氏の導きによって誕生した鳩山氏が首相として適格であったでしょうか。そして「友愛」あふれる恩返しのために鳩山氏が国民多数の意思に反して推す小沢氏ははたして首相としての適格性があるのでしょうか。
1年程度で馬脚を露す首相が次々と登場してくるのは、こんなところに一因があるのかもしれません。