アテネを超える過熱報道・・・朝日はスポーツ新聞?
北京オリンピックの期間中、日経・朝日・毎日・読売の四紙(都内最終版)の五輪関連記事の扱いを8月25日の日経が取り上げています。
「日本のメダル獲得数はアテネ五輪の37個を下回る25個にとどまったが、(五輪関連記事は)一面トップに限ってみると北京五輪は76本で、56本のアテネを上回る過熱ぶりだった」(新聞ごとの本数の記述がないのが残念です)
日経が五輪記事を一面トップにした記憶はないので、この76本はほぼ3紙のものと考えてもよいと思います。19日間での一面トップ枠は、夕刊のない日曜が3回ありますから朝夕刊35回あります。3紙の合計では105回あり、このうち76回が五輪記事が占めているというわけです。
割合にして約72%ですが、意外に少なく思ったので、手元にある購読紙の朝日を調べますと、12日から24日までの21回の一面トップのうち非五輪記事は4回だけであり、五輪記事は17回で約81%になります(14日夕刊、15日朝夕刊は紛失のため除外したのでご了承ください)。日経の調査と集計期間が異なるので厳密な比較ではありませんが、朝日の突出は読んだ印象とも一致します。つまり過熱は朝日が顕著であると言うことになりそうです。
各紙のコラムも五輪の話題が多いのですが、中でも朝日は「100メートル世界新―常識を打ち砕いた9秒6」と題して、社説(8/18)にまで五輪を取り上げています。記録を絶賛するもので、意見とは思えません。社説は新聞社の意見や主張を書くところだとばかり思っていたのですが、時代が変わったようです。
朝日に関しては五輪記事が多くを占めた分、一般記事が大きく削られているのはNHKのオリンピック洪水報道で述べたとおりです。決して五輪特集のために増ページをしたわけではありません。大きな写真を多用し、その分さらに文字数が減っています。またこの4月からは文字を大きくして既に情報量を5.5%減らしており、ゆとり教育の教科書のように内容の薄い新聞に仕上がっています。情報を有償で購入している者にとっては不満が残ります。
アテネに比べ獲得メダル数が減ったのになぜ報道だけが過熱したのでしょうか。隣国の中国ということも少しは理由になるかも知れませんが、それだけではないと思います。
新聞の読者への迎合姿勢が一層進んだためではないでしょうか。テレビが視聴率を優先するために話題性の強いものに集中するやり方と同様です。多数の読者に迎合する結果、残りの五輪に関心のない読者は軽視されます。知らせるべきものを知らせるという本来の役割も犠牲になるわけで、新聞という公共性の強いものがこれでは困ります。今回のような19日間に及ぶ過度の偏りのために、知らされなかった事柄は数多くある筈です。
このような姿勢のためか、既に読者信頼度の低下も現実のものになっています(参考 朝日新聞の読者信頼度)。少し商業主義が露骨ではないでしょうか。
北京オリンピックの期間中、日経・朝日・毎日・読売の四紙(都内最終版)の五輪関連記事の扱いを8月25日の日経が取り上げています。
「日本のメダル獲得数はアテネ五輪の37個を下回る25個にとどまったが、(五輪関連記事は)一面トップに限ってみると北京五輪は76本で、56本のアテネを上回る過熱ぶりだった」(新聞ごとの本数の記述がないのが残念です)
日経が五輪記事を一面トップにした記憶はないので、この76本はほぼ3紙のものと考えてもよいと思います。19日間での一面トップ枠は、夕刊のない日曜が3回ありますから朝夕刊35回あります。3紙の合計では105回あり、このうち76回が五輪記事が占めているというわけです。
割合にして約72%ですが、意外に少なく思ったので、手元にある購読紙の朝日を調べますと、12日から24日までの21回の一面トップのうち非五輪記事は4回だけであり、五輪記事は17回で約81%になります(14日夕刊、15日朝夕刊は紛失のため除外したのでご了承ください)。日経の調査と集計期間が異なるので厳密な比較ではありませんが、朝日の突出は読んだ印象とも一致します。つまり過熱は朝日が顕著であると言うことになりそうです。
各紙のコラムも五輪の話題が多いのですが、中でも朝日は「100メートル世界新―常識を打ち砕いた9秒6」と題して、社説(8/18)にまで五輪を取り上げています。記録を絶賛するもので、意見とは思えません。社説は新聞社の意見や主張を書くところだとばかり思っていたのですが、時代が変わったようです。
朝日に関しては五輪記事が多くを占めた分、一般記事が大きく削られているのはNHKのオリンピック洪水報道で述べたとおりです。決して五輪特集のために増ページをしたわけではありません。大きな写真を多用し、その分さらに文字数が減っています。またこの4月からは文字を大きくして既に情報量を5.5%減らしており、ゆとり教育の教科書のように内容の薄い新聞に仕上がっています。情報を有償で購入している者にとっては不満が残ります。
アテネに比べ獲得メダル数が減ったのになぜ報道だけが過熱したのでしょうか。隣国の中国ということも少しは理由になるかも知れませんが、それだけではないと思います。
新聞の読者への迎合姿勢が一層進んだためではないでしょうか。テレビが視聴率を優先するために話題性の強いものに集中するやり方と同様です。多数の読者に迎合する結果、残りの五輪に関心のない読者は軽視されます。知らせるべきものを知らせるという本来の役割も犠牲になるわけで、新聞という公共性の強いものがこれでは困ります。今回のような19日間に及ぶ過度の偏りのために、知らされなかった事柄は数多くある筈です。
このような姿勢のためか、既に読者信頼度の低下も現実のものになっています(参考 朝日新聞の読者信頼度)。少し商業主義が露骨ではないでしょうか。