噛みつき評論 ブログ版

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マスコミリンチ

2018-05-27 22:34:58 | マスメディア
 日大アメフト部員の悪質タックルに端を発する問題は拡大の一途をたどり、監督やコーチにとどまらず、日大の体質にまで及んでいる。何度かの記者会見ではNHKまでが実況報道するほどの大騒ぎがもう2週間ほど続いている。事件の重大性と報道の大きさが釣り合わない、とても異常な現象である。まあ、食中毒事件を起こした雪印や消費期限問題の不二家などと同様、過去に何度も繰り返している事象に過ぎないが。

 弱い立場の、タックルした正直そうな学生に対して、態度の大きい、学内の実力者でもあり非を認めようとしない監督、という構図は勧善懲悪ものの典型である。マスコミは予めスジを読んで報道しているようであり、悪役に不利な材料ばかり報道する。有利な材料はあっても知らせない。例えばアメフトの世界はこんなもんだよ、といった意見があったとしても報道されないだろう。強くて、傲慢な悪役が次第に追いつめられるのを視聴者と共に楽しんでいるように見える。傍観者にとっては格好の娯楽であろう。

 マスコミという空間での裁判のようである。しかしここではマスコミは検事と審判者を兼ねる存在である。ここに弁護士は存在せず、まことに不公正な法廷である。直接刑罰を科することはできないが、失職などの経済的制裁、不名誉などの社会的制裁を与えることができる。大騒ぎによって警察が動き出すことがあるので刑罰もないとも言えない。日大側の対応の拙さもあってこの「ドラマ」は最盛期を迎えている。

 集団による少数者へのいじめは学校、会社など多くの場で起きる問題である。その成立にはいくつかの条件が必要であろうが、我々の心の中にもそれを楽しむという性向があることを忘れてはならないと思う。多数者の少数者へのいじめは、多数者にとっては楽しく、しかも絶対安全である。ただ、弱い者いじめという非難を浴びる危険を避けるためには、少数者が悪人であることが必要である。日大側の対応は見事に応えてくれたわけである。

 現在のところ、日大側が圧倒的に不利に見えるが、メディアが日大に不利な材料を選択して伝えている可能性が高いので、本当のところはわからない。ただはっきりしたこともある。日大の対応能力の低さ、という有能な人材の不足である。最高学府であり、日本一のマンモス大学がこの程度の管理能力しかないことには驚かされる。この点だけが今回の騒ぎで得られた小さな収穫である。

ニュースの押し付け

2018-05-20 21:26:02 | マスメディア
 新聞は一面トップに読んで欲しいと思う記事を書く。特に読ませたいと思う記事の見出しは何倍もの大きさの字を使う。昔、この特大の字の大きさが記事本文の字の何倍であるかを調べた人がいて、最も大きい倍率の字を使うのはスポーツ新聞で、次は朝日、そして日経の順であったと記憶している。大きい字を使うほどセンセーショナルで、扇動的な体質で、小さいほど冷静な傾向があることは推定できる。例えばルモンド紙の倍率は小さかったと思う。

 一面トップの記事は新聞社が読ませたい記事であることは間違いないが、同時にそれが読む必要のある記事、重要な記事であるとは限らない。左派新聞は政権の小さな失点でも大きく掲載し、読者はそのことが実際以上に重要なことと錯覚してしまう。その結果、支持率が大きく影響を受けたりする。一面トップという形式が新聞社に恣意的な報道をさせる要因になっている。これは記事の押し付けであり、読者を思うようにコントロールしようという、読者を見下げた態度の表れでもある。

 これに対してウェブサイトのヤフーやグー、MSN、エキサイトなどのポータルサイトは一面トップという形式を取らず、記事の見出しは同じ大きさでの羅列である。新しい記事が上に出て古い記事は下から消えていく、というのがたいていのスタイルである。これだとサイトの運営者が恣意的に操作できる可能性はあまりない。これを読め、と押し付けないのである。重要性の判断は読者に委ねられる。読者を大人扱いしているともいえる。

 一方、極端な集中報道が国民の意識をどれほど変えることができるか、という観点から興味深い例がある。韓国では五輪を機に南北融和の動きがあり、メディアはそれを囃し立てた。そして韓国の公営放送・MBCが4月30日に放送した世論調査では、77%の国民が金正恩委員長は信頼できると答えたそうである。兄や叔父を殺し、数百人を無慈悲に粛清した人物が短期間の礼賛報道によって簡単に変わる、という好例である。世論というものの信頼性がどの程度のものか、考えさせられる。

 テレビも似たようなものであるが、こちらは執拗に繰り返される分、影響は大きくて、もっと始末が悪い。日大アメフトの反則映像を何度見せられたことか。無職の身で、食事中に報道番組を見ることが多いこともあるが、後ろからのタックル場面をひとつの番組だけで数回見せられる。朝昼晩とみると15回程度になるだろう。それが何日か続いている。実にしつこいが、これはまた報道番組が時間を埋めるのにいかに苦労しているかということを示している。このしつこさが事件や事故の重要性を必要以上に大きくしているのではないだろうか。背景にあるのは報道番組の時間の長さである。

 毎日、長い報道番組を埋めるため、しつこく取り上げる必要がある上に、政治的な恣意性が加わるとどうなるか。影響は大きく、深刻である。2009年、閣僚の事務所経費問題は政権が倒れなければならないほどの大きな問題ではないが、この熱に浮かれされたような大報道が自民政権を潰し、民主党政権を生み出したと言ってもよい。新聞とテレビの報道番組が政治を動かすという、実に不健全な仕組みである。政治を左右するメディアが賢ければいいが、現状はその反対である。民主主義を実質的に機能不全にしているのはこの仕組みであると言える。

朝日と野党、共に没落へ

2018-05-13 23:31:55 | マスメディア
 5月6日付のデイリー新潮によると朝日の実発行部数は遂に390万部にまで落ち込んだそうである。ネタ元は朝日新聞OBの川村二郎氏とある。これは週刊新潮の推定値であるが前年の2017年3月期の公表値641万部余りに比べ実に40%の減少であるが、公表値には押し紙による水増しがあると考えられるので実質の減少率は20%くらいだろうか。もしこれが本当だとするとこの凋落は時代の変化を示す兆候と理解できる。

 旧希望の党の玉木代表は親から「そろそろ出たほうがいい」と言われたので、国会に出ることにしたという。親から言われてもこんな内部事情は発表しないのが普通である。私は一人前の男ではなく子供並みだと公言するも同然だからである。しかしこの人が公党の党首なのである。彼は政党の代表だけでなく、人間の質においても野党を代表しているように思う。また野党が国会に出るのを決めたのは、日経の世論調査で64%が審議拒否を不適当と答えたためと言われている。朝日や毎日は世論調査さえしなかった。左派メディアと野党の認識能力の低さは目を覆うばかりである。

 そしてこの野党の凋落と朝日の凋落がほぼ同時に起きていることが興味深い。前々回の記事で、左派メディアが野党を支持し、野党を批判せず、甘やかしてきたことがアホな野党を生み出したと述べた。メディアと野党の安易なもたれあい構造であり、継続的な腐敗状態と言ってもよいと思う。朝日と野党は手を携えて墓穴を掘ったのである。

 朝日・野党の連合が没落傾向を示すことになったのは他にも理由があるだろう。左派の支持層である高齢層が減少していることや、ネットの利用が広がり、新聞の購読者が減少していることなどが考えられる。しかしこの急激な朝日の部数減少は朝日・野党の頑なな主張が現実に合わないという認識が広がったことにあるように思う。この認識にはネット情報が役に立っているわけで、既存メディアの情報独占状態が崩された結果と見ることができる。

 政治家や芸能人などの下らない不倫報道で有名な週刊新潮であるが、この報道は珍しく価値がある。不倫報道は役に立たないが、朝日の退潮を示すこの記事は時代の潮流が変わり始めていることを世に知らせる意味がある(本当ならば)。東大生は既に何年も前から誰ひとり朝日には応募しなくなったと言われている。さすがに東大生は目敏(ざと)い。

なぜ野党はいつまでもアホなのか(2)

2018-05-06 23:39:16 | マスメディア
 前回は野党(維新を除く)がアホである理由とてメディアとの癒着に言及した。つまり反権力という立場から、メディアが野党を無条件に支持し、批判しないという構造が野党を堕落させたというわけである。それに加えて今回は個々の資質という観点からこの問題を考えたい。

 政治家に求められる資質はいろいろあるが、現状に対する認識能力はとても重要である。なぜなら、今の社会の現状や国際情勢を正しく認識できなければ、どんな議論や提案も適切なものにはなり得ない。政治家には将来を見通す能力も重要であるが、これも正しい現状認識の上にしか成立しない。例えば、旧民主党は政権を取る前、バラマキの財源として、無駄削減などで20兆円を捻出できると公約したが、大嘘に終った。党として、現状を正しく認識する能力がなかったためである。

 「いわゆる平和憲法だけで平和が保障されるなら、ついでに台風の襲来も、憲法で禁止しておいた方がよかったかも知れない」とはギリシャ哲学者、故田中美知太郎氏の名言である。数十年も昔から平和憲法の「効能」については見解が分かれ、対立してきた。まあ当時は日本に攻め込むだけの軍事力のある国が周囲になかったのも事実である。

 だが国際環境が大きく変わっても、9条を守ろうとする勢力は依然として野党6党と左派メディアに色濃く残っている。安全保障を多額のコストのかかる軍事能力ではなく、憲法の条文で済ませられるとする主張は世界的にも珍しい。仏など欧州では徴兵制の復活が広がっているという時代に、実に安上がりで独創的ではあるが。

 ここにも彼らに現状認識能力の低さが示されているように思う。彼らの主張は外国からの侵略は絶対ないという前提がなければ成り立たないと思うが、その前提の根拠を示すことはない。この点、論理的能力にも問題があるように思う。

 野党議員にも左派メディアにも高学歴者は多い。難しい問題を解いて入学した経歴を持つのだから、少なくとも論理的能力はあると思う。しかし現状認識能力と先を見通す能力、優先順位を決める能力は必ずしも学力と比例しないのではないだろうか。優先順位決定能力を問題にするのは、モリカケ問題を1年以上も取り上げるなど、他の重要問題とのバランスを欠いていることによる。

 彼らは学校を出て、野党なり左派メディアを仕事に選んだわけであるが、この選択の時点で高い現状認識能力をもつ人間は他を選び、認識能力の低い者が野党と左派メディアに集まったのではないだろうか。つまり野党と左派メディアは現状認識能力の低い連中の集合体であるというわけだ。むろん仮説の域を出ないが、そうとでも考えないと現状が理解できないのである。直近では17連休を満喫されるなど、野党6党の行動を見ていると、党利という彼らの目的に対してもさえ疑問のあるものが多すぎるように思う。その結果が現在の野党勢力の低迷であると思うのである。