『医療分野で最大の問題は、医師のスキル(技術)に関わらず医療費が同じということである。たとえ少々の費用がかかってもスキルの高い医師に診てほしいと思う患者は少なくない。ところが、そのスキルを知ろうと思っても知るすべはない。医師にとっても、スキルを磨いて立派な医師になろうというインセンティブが働きにくい。医療サービス業界全体のスキルアップが図られるような仕組みにすべきである』
これは朝日新聞のコラム、経済気象台の一節です。一見もっともな話に見えますが、話の中身は、高価で質の高い医療と安価で質の悪い医療とに分け、自由に選択できるようにしようというものです。金さえ出せばおいしい料理、快適な環境や住宅が手に入る世の中ですが、医療も同じようしてくれ、ということなのでしょう。むろん医師側からすれば技量に関係なく報酬が同じということは問題です。しかしこれには別の解決策を考えるべきだと思います。
自由主義経済の下では自由な経済活動が原則ですが、医療に関しては貧富によって格差が生じるのはよくないという考えが支配的でした。ところが最近、上に引用したように公然とこれを否定するような話をしばしば目にするようになりました。こんな話が朝日に堂々と載るようになったのは新自由主義の流行のおかげでしょう。新自由主義はもう過去のものになりつつあるのですが。
たいていの物事には二面性があります。医療資源は有限ですから、富裕層が高いスキルの医療を盛んに利用すれば、低所得層は低いスキルの医療しか利用できなくなるのは道理です。コラムの筆者がこのことに気づいていないとはちょっと考えられません。ならば、低所得者層が割りを食うことに対して黙っているのは誠実な態度とは言えません。
コラムには「医師にとっても、スキルを磨いて立派な医師になろうというインセンティブが働きにくい」とありますが、これは高額の報酬がもらえなければ医師はスキルを磨く気にならないという意味にとれます。そういう人もいるでしょうが、たぶん一部に過ぎないでしょう。多くの人は金銭以外の動機をも重視しています。誰もが「商人の論理」で動くわけではないのです。また日本の医療水準が低いという話も聞きません。
高額所得者に対する増税、つまり累進税率強化の議論があったとき、増税すれば努力しようというインセンティブが損なわれ、経済の活力が失われるという反対論がしばしば見られました。この反対論は金銭による動機を重視するという点で、コラムと共通します。しかしどちらも一般に適用できる話ではないと思います。
一般に人は自分の心を基準にして他人を推察するので、コラムの筆者や増税反対論者らは金銭的動機の強い人達、つまり「商人の論理」の人たちであると推定できます。また、人は自分の立場が有利になるような主義・思想を信奉する傾向があります。低所得者は所得の再分配による平等化を支持するでしょうし、セックス嫌いの人間がフリーセックス運動に加担することはまずありません。従って彼らはきっと医療の差別化や累進税率を抑えることによって利益を得る立場の人たちだと推定できます。
新自由主義は彼らにとっては大変便利なもので、以前は単なる利己主義と批判されていたものが体裁の良い「主義主張」として通用することになりました。また頭が新自由主義一色に染まった経済学者らは彼らの都合の良い擁護者となりました。
金額による医療の差別化を求めるような主張が朝日に載ったことには驚きます。いつもの朝日の論調は低所得者の立場から格差に反対するもので、これとは大差があります。実のところ朝日の社員は決して低所得ではなく、かなりの高水準なので、ほんとうは差別化を望んでいるのかもしれません。
所得税の累進度はかつての70%から40%にまで下げられましたが、これは消費税以上の強い逆進性があります。つまり高所得者には有利、低所得者には不利に働き、格差は拡大します。朝日は消費税は逆進性があるとして猛反対しましたが、格差を拡大する累進度の緩和にはまったく反対しませんでした(他のメディアも同様ですが)。このことも朝日の本音を示唆するようです。まあ建前と本音の見事な使い分けと言えるでしょう。
高給を食むけれど、あくまで低所得者のふりをして書く。この営業用ポーズはメディアではありふれたビジネスモデルなのでしょうけど、いささか偽善の匂いがします。
これは朝日新聞のコラム、経済気象台の一節です。一見もっともな話に見えますが、話の中身は、高価で質の高い医療と安価で質の悪い医療とに分け、自由に選択できるようにしようというものです。金さえ出せばおいしい料理、快適な環境や住宅が手に入る世の中ですが、医療も同じようしてくれ、ということなのでしょう。むろん医師側からすれば技量に関係なく報酬が同じということは問題です。しかしこれには別の解決策を考えるべきだと思います。
自由主義経済の下では自由な経済活動が原則ですが、医療に関しては貧富によって格差が生じるのはよくないという考えが支配的でした。ところが最近、上に引用したように公然とこれを否定するような話をしばしば目にするようになりました。こんな話が朝日に堂々と載るようになったのは新自由主義の流行のおかげでしょう。新自由主義はもう過去のものになりつつあるのですが。
たいていの物事には二面性があります。医療資源は有限ですから、富裕層が高いスキルの医療を盛んに利用すれば、低所得層は低いスキルの医療しか利用できなくなるのは道理です。コラムの筆者がこのことに気づいていないとはちょっと考えられません。ならば、低所得者層が割りを食うことに対して黙っているのは誠実な態度とは言えません。
コラムには「医師にとっても、スキルを磨いて立派な医師になろうというインセンティブが働きにくい」とありますが、これは高額の報酬がもらえなければ医師はスキルを磨く気にならないという意味にとれます。そういう人もいるでしょうが、たぶん一部に過ぎないでしょう。多くの人は金銭以外の動機をも重視しています。誰もが「商人の論理」で動くわけではないのです。また日本の医療水準が低いという話も聞きません。
高額所得者に対する増税、つまり累進税率強化の議論があったとき、増税すれば努力しようというインセンティブが損なわれ、経済の活力が失われるという反対論がしばしば見られました。この反対論は金銭による動機を重視するという点で、コラムと共通します。しかしどちらも一般に適用できる話ではないと思います。
一般に人は自分の心を基準にして他人を推察するので、コラムの筆者や増税反対論者らは金銭的動機の強い人達、つまり「商人の論理」の人たちであると推定できます。また、人は自分の立場が有利になるような主義・思想を信奉する傾向があります。低所得者は所得の再分配による平等化を支持するでしょうし、セックス嫌いの人間がフリーセックス運動に加担することはまずありません。従って彼らはきっと医療の差別化や累進税率を抑えることによって利益を得る立場の人たちだと推定できます。
新自由主義は彼らにとっては大変便利なもので、以前は単なる利己主義と批判されていたものが体裁の良い「主義主張」として通用することになりました。また頭が新自由主義一色に染まった経済学者らは彼らの都合の良い擁護者となりました。
金額による医療の差別化を求めるような主張が朝日に載ったことには驚きます。いつもの朝日の論調は低所得者の立場から格差に反対するもので、これとは大差があります。実のところ朝日の社員は決して低所得ではなく、かなりの高水準なので、ほんとうは差別化を望んでいるのかもしれません。
所得税の累進度はかつての70%から40%にまで下げられましたが、これは消費税以上の強い逆進性があります。つまり高所得者には有利、低所得者には不利に働き、格差は拡大します。朝日は消費税は逆進性があるとして猛反対しましたが、格差を拡大する累進度の緩和にはまったく反対しませんでした(他のメディアも同様ですが)。このことも朝日の本音を示唆するようです。まあ建前と本音の見事な使い分けと言えるでしょう。
高給を食むけれど、あくまで低所得者のふりをして書く。この営業用ポーズはメディアではありふれたビジネスモデルなのでしょうけど、いささか偽善の匂いがします。