朝日新聞に「異論のススメ」という月1回掲載されるコラムがある。筆者は佐伯啓思氏、保守の論客である。朝日には不似合いな人物であるが、保守の議論もちゃんと載せていますよ、というポーズ、あるいはアリバイとしての意味があるのだろう。しかし内容はまともで、納得できるものが多い。
昨年の5月ごろ「平和まもるため戦わねば」という佐伯氏のコラムが載った。簡単に言うと、日本は北朝鮮やロシアとも平和条約を締結しておらず、中国との国交回復に際しては尖閣問題は棚上げされ、領土問題は確定していない。これらの諸国とは、厳密には、そして形式上はいまだに完全には戦争は終結していないことになる。そして朝鮮半島有事の可能性が現実味を帯びてきているときに、9条に自衛隊の合憲化を付加するだけでは十分でない。憲法前文には、日本国民は…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してとあるが、もはや信頼しているわけにはいかなくなった。憲法は、国民の生命、財産などの基本的権利の保障をうたっているが、それらの安全を確保するにも自衛権が実効性を持たなければならない。つまり国防は憲法の前提になるわけで、憲法によって制約されるべきものではない。つまり平和を守るためには戦わなければならないこともある、といった趣旨である。
難しいことを言わなくても他国の侵略を受けた場合、選択は二つしかない。降伏するか、反撃するかである。このコラムが載った後、同紙の「私の視点」という欄にある弁護士が反論を書いている。これが実にユニークな反論なので紹介したい。
まずこの弁護士センセイは78年に結ばれた日中友好平和条約が結ばれ、日中間の戦争は終結していると述べている。これはその通りかもしれないが、佐伯氏の主旨からすれば些末な問題である。また、尖閣については平和を守るためにも、戦わなければならないという佐伯氏は、イギリスとアルゼンチンの間のフォークランド紛争のように戦争で決めるつもりだろうか、と述べ、日中双方に歴史的経緯のある尖閣問題の解決は「国際入会地(海)とする以外にない、とまで言う。フォークランド云々とあるが実力で奪われたものを実力で取り戻すのは当然だろう。国際入会地云々は中国寄りの現実性のない話である。竹島や千島を国際入会地にしましょうといって韓国やロシアが応じるだろうか。
反論の中心であるべきものは佐伯氏が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼しているわけにはいかなくなった」と述べたことに対する反論である。一般に9条の会などの護憲勢力の主張は外国からの侵略がないということを前提にしている。この前提がないとこの議論が成立しないから、侵略がないということを示す必要がある。大変重要な論点であるが弁護士センセイの説明は次の通りである。
憲法前文は諸国家でなく諸国民としていることに留意すべきだとし、国同士はどうあれ、民衆同士は戦争を望んでいない。国が、メディアが、反日、反中、反韓を煽らなければ、民衆同士は仲良くできる。外国人観光客の多さを見ればよい。このセンセイは国やメディアが煽らなければ戦争は起きないと主張されているのである。ずいぶんおめでたい方のようだが、もうこれは中学生レベルの議論であろう。もう少し歴史を勉強されたらよいと思う。戦争法案反対と騒いでいたシールズという学生団体の幹部は「中国が攻めてきたら僕らは中国兵士と友達になってうまくやる」と言っていた。とても大学生の発言とは思えないが、これとほぼ同レベルといってよい。
このような反論を堂々と載せる朝日の見識にも疑問が生じる(これより優れた反論がないの?)。一般に9条に関する議論で気になることは護憲派と言われる人々が他国からの脅威、侵略の現実的な可能性に触れず、そんなことがないかの如く議論をしていることである。そんな夢のような前提では議論は決して噛み合わない。他国の侵略の可能性が少ないと思われても、ゼロでない限り備えるのが国の責務である。護憲派はゼロであると証明するか、現在の自衛隊で十分防げると証明する必要がある。まともな人にとっては無理な証明だと思うが。
昨年の5月ごろ「平和まもるため戦わねば」という佐伯氏のコラムが載った。簡単に言うと、日本は北朝鮮やロシアとも平和条約を締結しておらず、中国との国交回復に際しては尖閣問題は棚上げされ、領土問題は確定していない。これらの諸国とは、厳密には、そして形式上はいまだに完全には戦争は終結していないことになる。そして朝鮮半島有事の可能性が現実味を帯びてきているときに、9条に自衛隊の合憲化を付加するだけでは十分でない。憲法前文には、日本国民は…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してとあるが、もはや信頼しているわけにはいかなくなった。憲法は、国民の生命、財産などの基本的権利の保障をうたっているが、それらの安全を確保するにも自衛権が実効性を持たなければならない。つまり国防は憲法の前提になるわけで、憲法によって制約されるべきものではない。つまり平和を守るためには戦わなければならないこともある、といった趣旨である。
難しいことを言わなくても他国の侵略を受けた場合、選択は二つしかない。降伏するか、反撃するかである。このコラムが載った後、同紙の「私の視点」という欄にある弁護士が反論を書いている。これが実にユニークな反論なので紹介したい。
まずこの弁護士センセイは78年に結ばれた日中友好平和条約が結ばれ、日中間の戦争は終結していると述べている。これはその通りかもしれないが、佐伯氏の主旨からすれば些末な問題である。また、尖閣については平和を守るためにも、戦わなければならないという佐伯氏は、イギリスとアルゼンチンの間のフォークランド紛争のように戦争で決めるつもりだろうか、と述べ、日中双方に歴史的経緯のある尖閣問題の解決は「国際入会地(海)とする以外にない、とまで言う。フォークランド云々とあるが実力で奪われたものを実力で取り戻すのは当然だろう。国際入会地云々は中国寄りの現実性のない話である。竹島や千島を国際入会地にしましょうといって韓国やロシアが応じるだろうか。
反論の中心であるべきものは佐伯氏が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼しているわけにはいかなくなった」と述べたことに対する反論である。一般に9条の会などの護憲勢力の主張は外国からの侵略がないということを前提にしている。この前提がないとこの議論が成立しないから、侵略がないということを示す必要がある。大変重要な論点であるが弁護士センセイの説明は次の通りである。
憲法前文は諸国家でなく諸国民としていることに留意すべきだとし、国同士はどうあれ、民衆同士は戦争を望んでいない。国が、メディアが、反日、反中、反韓を煽らなければ、民衆同士は仲良くできる。外国人観光客の多さを見ればよい。このセンセイは国やメディアが煽らなければ戦争は起きないと主張されているのである。ずいぶんおめでたい方のようだが、もうこれは中学生レベルの議論であろう。もう少し歴史を勉強されたらよいと思う。戦争法案反対と騒いでいたシールズという学生団体の幹部は「中国が攻めてきたら僕らは中国兵士と友達になってうまくやる」と言っていた。とても大学生の発言とは思えないが、これとほぼ同レベルといってよい。
このような反論を堂々と載せる朝日の見識にも疑問が生じる(これより優れた反論がないの?)。一般に9条に関する議論で気になることは護憲派と言われる人々が他国からの脅威、侵略の現実的な可能性に触れず、そんなことがないかの如く議論をしていることである。そんな夢のような前提では議論は決して噛み合わない。他国の侵略の可能性が少ないと思われても、ゼロでない限り備えるのが国の責務である。護憲派はゼロであると証明するか、現在の自衛隊で十分防げると証明する必要がある。まともな人にとっては無理な証明だと思うが。