噛みつき評論 ブログ版

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暗い出来事が大好き

2013-01-28 10:22:11 | マスメディア
 退職金が減るのを嫌い、多数の教員や警察官が駆け込み退職を目指していると報道され、話題となっています。埼玉県の例では公立学校教員110人が早期の退職を希望していると報道されていますが、その一方で、減額を承知で年度末まで残る教員の数を明記している報道を見かけません。

 コラムなどで知りましたが埼玉県では減額を承知の上で任期を全うしようとする教員が1000人ほどいるそうです。早期退職希望の110人ばかりが注目され、教員の職業倫理を問う議論が流行っていますが、約1100人という全体数を知らせなければ意味のある議論にはならないでしょう。

 90%が職務を全うしようとしている教員、10%が途中で投げ出す教員ということであれば、10%だけを取り上げて教員の倫理を云々してもあまり意味がないばかりか、教員全体の職業倫理を悪く印象づける危険があります。逆に90%を取り上げて、減額にもかかわらず最期まで職務を全うしようとしている教員が大多数、と書けば教員全体に対する評価はずいぶん違ったものになります。

 途中で仕事を投げ出す教員だけを取りあげる方が衝撃的であり、ニュースバリューが高いという判断があったのではないかと疑われます。記事の信頼性よりもセンセーショナリズムを優先する姿勢ですが、この記事に関してはメディアのほとんどが同じ姿勢なのに驚きます。

 マスメディアが暗いニュースを好むのは、ハエが腐肉を好むのと同様、変わることのない性格ですが、明るい面、この例では職務を全うしようとしている教員数を故意に伏せているのであれば報道機関としての職業倫理が疑われます。逆に知らずに伏せているのであれば基本的な見識が疑われます。

 全体数を伏せれば、110人がどの程度の比率を占めるのかわからず、判断のしようがありません。都合のいい事実だけを知らせる報道姿勢は都合のいい証拠だけを提出する検察と同じ手口です。共通の「文化」があるのでしょうか。

 必要な情報を故意に隠す行為は立派な嘘であります。人を騙すことに変わりはないからです。積極的な嘘と異なるところは、隠すという消極的な行為は発覚しにくく、発覚しても悪意を立証することが難しいことだけです。悪意であっても本人が「うっかりしていました」と弁解すれば、それを第三者が覆すことは難しいわけです。

 例をもうひとつ。昨年の国内新車販売数は前年比で27.5%も増加したそうなのですが、この報道は目立たないものでした。朝日では1月8日の9面に小さく載せましたが、「国内2年ぶり増 中国では不振」「新車販売に明暗」という見出しからあまり明るさは感じられません。「新車販売27.5%増加」とするだけで明るく、内容にふさわしい見出しになるでしょうに。

 27.5%という増加率は前々年の落込みが大きかったことを考慮しなければなりませんが、それでもリーマン前の水準に達しており、ずいぶん明るいニュースだと思われます。もしこれが逆に27.5%減少したというニュースなら恐らく一面にデカデカと載せられ、社会は暗い気分に覆われていたことでしょう。

 経済の動向は心理的な要因に大きく左右されます。昨年末からの円安と株価上昇は安倍内閣に対する期待による部分が少なくないと考えられます。たとえ期待感からであっても株が上れば資産効果が生じ、現実の需要増加や投資意欲につながります。暗いニュースは大きく、明るいニュースは小さく、というメディアの姿勢は経済の足を引っ張っていると考えられます。

 好んで暗い出来事に群がって、それを大きく広めるメディアの体質がデフレ不況の原因のひとつとなっているのではないでしょうか。メディアが、臭い腐肉だけでなく美しい花にも興味を持つようになれば、もっと豊かで明るい(と思えるような)社会が期待できるでしょう。

困った人の発信力

2013-01-21 10:12:24 | マスメディア
「首相」の務まらなかった人はいても「元首相」まで務まらなかった例をほかに知らない。

 これは読売「編集手帳」の名言です。あの鳩山元首相がイランを訪問したものの、結局相手にうまく利用されたことを受けて書かれたものですが、またまたその「元首相」が中国の招きに応じて訪中、中国側に「尖閣諸島は係争地」という認識を伝えたそうです。

 もうこれ以上日本の政治のために働くのはやめてくれ、と言われたので、次は中国のために働こうか、というおつもりなのでしょうか。まあ意気盛んなことはわかりますが。

 小野寺防衛相は鳩山元首相のこの行動に対し、「中国側は『実は日本の元首相はこう思っている』と世界に宣伝し、国際世論を作られてしまう。言ってはいけないが、『国賊』ということが一瞬頭のなかによぎった」と述べ、激しく批判したと報道されています。

 うまい言い方があるもので、これだと「国賊」と言ったも同然なのに、形の上では「国賊」と言ったことになりません。中国メディアは鳩山氏の「尖閣諸島は係争地」との認識や南京大虐殺記念館の訪問を絶賛しているそうですが、これは「国賊ぶり」を裏づけています。

 中国側にうまく利用されているだけというのが大方の解釈です。そう思っていらっしゃらないのはきっとご本人だけでしょう。心優しいご本人にしてみれば友愛に基づく美しい利他的行為なのでしょうけれど、相手が対立する国では利益が相反するわけで、この場合は利他行為ではなく利敵行為と呼ばれます。相手を利することにより犠牲を払うのは鳩山氏自身というより日本国民であることが悩ましいわけであります。

 首相や議員をお辞めになってからも鳩山元首相の行動は大きく報道されてきました。なにしろ鳩山氏は「稀有の人」なので、その行動は予想が難しく、驚くようなことが多いためニュースバリューがあったのでしょう。それと共に、次はどんな「とんでもない」ことをしでかすだろうか、という期待が読者にもメディアにもあったように思います。

 非常識な行動に対して面白がって嘲笑することを期待する読者(私も含め)の品性は褒められたものではありませんが、メディアはその期待に迎合して大きく報道してきた観があります。それが結果的に鳩山氏の発信力を強めたと思われます。おそらく鳩山氏は「ボクの発信力はたいしたものだ」と素直に受け取り、非常識な行動に拍車がかかったのではないでしょうか。その発信力につけ込んだのが中国というわけです。

 鳩山内閣の発足時の支持率は70パーセントを超し、歴代内閣の中で2番目か3番目の高さとなりました。それは多くのメディアが鳩山民主党を持ち上げた結果でもあります。政治への期待を一身に集めたその人がいまや国賊のような扱いを受ける有様となりました。

 むろん鳩山氏が変わったのではなく、依然として宇宙人のままです。3年余り前、メディアが勘違いをしただけのことです。といっても歴史に残る巨大な勘違いであり、そのために被った国の損失は計り知れません。今、メディアは関係ないような顔をして鳩山氏を非難していますが、その鳩山氏を大きく育てたのはメディア自身であることもお忘れなきよう。メディアは鳩山氏の育ての親なのです。

反面教師

2013-01-14 10:06:10 | マスメディア
 体罰を受けた桜宮高校の生徒が自殺した問題で、「こんな重大問題を教育委員に任せておけない」という橋下徹大阪市長の発言がありました。裏を返せば教育委員などに任せてよいのは軽い問題、どうでもよい問題だけだ、という意味になります。

 体罰の直後に自殺があったことに対して、教育委員会と高校側は「男子生徒の自殺と体罰について、因果関係はわからない」とする「恒例」の責任回避に始まり、体罰の強さや回数など、保身のための嘘が次々とバレていくという、まことに見苦しい状態になりました。周囲に「こんなやり方したらよけい恥ずかしいことになりまっせ」と助言するような人もいなかったのでしょうか。

 民主党が嘘をついても一向に驚きませんが、子供に範を示すべき校長や教育委員という教育界のエライ人達が堂々と嘘を繰り返す姿には唖然としました。まさに彼らは文字通りの「反面教師」であるといえるでしょう。また彼らは潔よくないことを恥じる心もお持ちではないようです。彼らに子供を預ける側としては心穏やかならざるものがありましょう。

 マスコミは生徒の自殺など重大事件で騒ぎ出せば「犯人」を暴き出すまで執拗な追求をやめないということを彼らはご存じなかったようです。そして探偵のように不都合な秘密を暴き出すマスコミの能力がいかに高いかを。つい最近の大津の中学生自殺事件でも学習する機会があったと思いますが。

 別の見方をすれば教育界では隠蔽が日常的に行われ、隠蔽が普通の方法であるとの認識があったのかもしれません。教育界は閉鎖的な世界です。また対象が子供という弱い相手であり、親も子供を人質に取られて自由にものが言えない状態であるため、隠蔽はとても有効で、教育委員会推奨の方法であったのかもしれません。

 また、バレーボール部の顧問による処分後の体罰を黙認していたことからも明らかなように、身内に対する優しさも注目を浴びました。この優しい体質は伝統的なもので、日教組と無関係ではないと思われます。大津市の中学生自殺事件について日教組の大ボス、輿石東元幹事長は次のようにおっしゃったそうです。

「学校が悪い、先生が悪い、 教育委員会が悪い、親が悪い、と言っている場合じゃない」「責任を追及するのではなく、関係者が一体となって原因究明や再発防止に取り組むべきだ」

 この輿石発言の狙いが、学校や先生、教育委員会の責任を追及させないことにあるのは見え見えですね。とっても優しい方であります(失礼ながらあまり優しそうなお顔には見えませんが)。まあ子供に優しくしても票にはなりませんから(輿石氏は主に山梨県教職員組合の組織票で当選したとされています)。

 外部の者がこの事件や大津の事件だけで教育委員や学校全体を判断するのは慎しまねばなりません。しかし教育界に関わってこられた橋下市長の目にはこれらが例外的な事件とは映っていないと思われます。なにしろ「こんな重大問題を教育委員に任せておけない」なのですから。

[追記]
その後、橋下市長は教員の総入れ替えと来月実施の体育科とスポーツ健康科学科の入試を中止させる方針を打ち出しました。第三者である受験生までを巻き込むやり方は筋違いであり、他に方法がないのならともかく、これは明らかに過剰反応と思われます。様々な問題に優れた対応能力を見せてきた橋下市長だけに、この判断は不可解です。

小選挙区制の失敗

2013-01-07 08:57:21 | マスメディア
 昨年の衆院選で民主党は大量の落選者を出し、壊滅状態となりました。もともと国政を委ねたくない人たちが一掃されたことは小選挙区制の功績であると言えるでしょう。しかし彼らの多くは小選挙区制によって生まれてきた人たちですから、単に元に戻ったに過ぎないわけで、その間の混乱によって生じた国家的不利益だけが残りました。

 落選された方々はお気の毒とも思いますが、それが国家や国民のためになると思えば落選にも大きな意義があるというものです。もし政治家として国を思う志あれば、不本意なことであったとしても落選を誇りとしていただきたいと思う次第です。

 小選挙区制の是非を問う動きが見られるようになりました。小選挙区制導入の目的のひとつは政権交代が可能な二大政党制を実現にあったされています。自民党の支配が長く続いたことから政権交代に対する期待(または幻想)が膨らんでいたことが背景にあったのでしょう。

 自民党の長期支配を覆すには野党が有能になって力をつけるのが本来の方法だと思うのですが、野党の政権担当能力を問わず、小選挙区制という仕組みによって無理やり政権交代を実現しようとした結果が民主党政権の成立と崩壊であったと理解することができます。

 2009年の総選挙では、民主党は小選挙区で47%の得票に対して74%の議席を得、2012年の総選挙では自民党は43%の得票に対し議席は79%を獲得しました。小選挙区制は差を大きく拡大するセンシブル(敏感)な装置とみることができます。

 様々な装置(入出力装置)について一般的に言えることは、敏感すぎれば不安定になり、鈍感すぎれば機能が十分果たせない、ということです。小選挙区制は敏感すぎて不安定の例であると言えるでしょう。また二つの政党の勢力が拮抗しているときにはマスメディアの影響力が大きくなり、メディアが選挙結果を支配できる可能性が生じます。

 一方、政治家の質の低下については前にも引用しましたが、次の与謝野馨氏の言葉が参考になります。「中選挙区制のときは、有権者の15%の心に訴えることを言えば当選できた。つまり自分の信念の本当のところを言えたわけです。それが、小選挙区制で過半数をとろうとすると、より多くの有権者にいい顔をしなければならなくなった。だから、信念をもって自分の政策を語れる人が出にくくなってしまいました」

 〇〇チルドレンや〇〇ガールズが政党の力によって大量当選する事実も、議員にふさわしくない人物を議員にしてしまう状況を物語ります。その多くが次の選挙で消えていくにしても、彼らのために本来議員になるべき有能な人が排除されてしまうわけです。

 小選挙区制は政治学者らの提唱によって実現したそうですが、このような副作用は予測できなかったのでしょうか。小選挙区制は多くの国で実施されていますが、それらは参考にならなかったのでしょうか。

 他にも教科内容を大きく削減して学力低下を招いたゆとり教育、司法試験合格者をたいした根拠もなく一挙に6倍(直前から3倍)も増やしたものの早くも弁護士の失業問題を招いた司法改革、どれも「やってみなけりゃわからん」ってことなのでしょうか。

 十分な調査とシミュレーションを実施し、ゆとり教育のような小規模実験が可能なものは実験して、できる限り確実な予測を立てるのがまともな方法です。多数の偉い学者センセイ方がよってたかって練り上げたものに対して、無学の凡人が批判めいたことを口にすることなど恐れ多くてとてもできませんが、もし失敗しても何の責任も取らなくてよい現行の仕組みを少し変えれば、結果は違ったものになるかもしれないと思うのであります。

 選挙制度、教育、法制度、どれも100年以上の積み重ねがある領域です。いつまで試行錯誤をつづけるつもりなのか、今後も失敗を繰り返すつもりなのだろうかと、失礼ながら思ってしまいます。福島第一の事故では4種もの詳細な事故報告書が作成されましたが、失敗を繰り返さないためにはなぜ失敗したかを調査・究明することが必要でありましょう。また、誰が主導したのか、チェック機能はなぜ働かなかったのか、などを調査すれば、「やりっぱなし」ではすまないという認識が生まれ、より責任ある仕事が期待できるかもしれません。