安倍元首相の国葬反対論が盛んである。落合恵子氏、佐高信氏、前川喜平氏ら、おなじみの面々は国葬反対のデモや集会をおやりのようだが、デモをするほどの大問題なのだろうか。本来、国葬がこのような激しい議論になることが不自然である。国を二分するほどの問題ではない。不自然を不自然と感じさせない裏にメディアの努力がある。
安倍氏が亡くなった当時は国葬に賛成する人が過半を占めていたが、時間が経過するにつれ反対が増え、現在は反対者が過半を占めるに至った。この変化の要因の多くはメディアの努力によるものと思う。世論の制御である。費用の16億円ですら高すぎる、税金が無駄といった反対論が大きく報じられた。国民一人当たりでは12円程度である。本音は、国葬によって安倍氏が高く評価されるのが嫌なのだろう。国葬に反対することは安倍氏の否定になる、そして現政権の支持率低下につながると考えているのだと思われる。政治的な目的が本当の目的なのであると思う。
森友問題、加計問題、最近の統一教会問題も同様の意味がある。これらの問題にどれだけの重要性があるか、私にはわからない。しかし少なくともこれらの問題が国会の機能の多くを浪費して議論するだけの価値はないと思う。言うまでもないが国会の機能は有限である。この機能の維持のために莫大な費用がかかる。議員報酬など直接の費用だけでなく、国政選挙の費用もある。この機能の大部分が無駄になるのは大変な損失である。日本という国の重要な機能を奪う行為なのである。
森友問題、加計問題で1年半以上もそれが国の主要な課題となった。週刊誌報道などをネタにして野党が政権を追求し、それを左派メディアが後押しするという構図である。問題が長期間にわたるのは主にメディアのためである。長期にわたって騒ぐからで、野党はそれによって勢いづく。結果として国会の機能が低下し、重要な方針が決まらない。
この30年ほど、日本は経済成長をほとんどしていない。だが他の先進国はそうではない。日本は1人当たりの所得では韓国にも抜かれた。このままでは近いうちに先進国と呼ばれなくなるかもしれない。30年は長い。この経済の停滞には与党にも責任があるが、これを主要な課題として取り上げないメディアの見識も問題である。原発事故があってから12年になるが、未だに稼働している原発は4基(稼働可能は別に6基)に過ぎず、この間何をやっていたのかと思う。原子力規制委員会はまともな仕事をしていないが、主要な議題にならない。
エネルギー安全保障、食料安全保障、経済安全保障、本来の軍事的安全保障、どれも国の根幹に関わる重要問題であるが、ふさわしい扱いを受けてきたとは思えない。ゆとり教育の失敗は明白だが、その重要な政策の実施に十分な議論が行われたとは思えない。優生保護法やらい予防法の廃止は遅すぎたために人権侵害の状態が長期間放置された。これらより森友問題の方が重要と考えるメディアが日本の世論を誘導してきたわけである。メディと野党の関心は政権の足を引っ張ることに集中し、それ以外の問題は等閑にされた。
最初に騒ぐのは野党であるかも知れないしメディアであるかも知れない。しかしそれを長期にわたって大問題と思わせ、国会の機能を奪うのに大きな責任があるのはメディアであろう。野党はしたくてもその能力がない。メディアは膨大な取材力を持つが、そのほとんどは警察回りのような事件・事故の取材に使われ、経済や教育、様々な社会問題における重要な問題提起には見るべきものが少ない。
国が何らかの政策方針を決定し、それを進めていくためには国民の合意形成が欠かせない。メディアは合意形成に協力するよりも、分断する方に力が入るのが常である。メディアの罪は政権の足を引っ張るだけでなく、国会の機能を妨害することにある。その結果、日本は食料やエネルギーの自給率、防衛能力が低い国になった。その上、経済力がさらに低下すれば様々な点で脆弱な国になりそうである。私のささやかな願いはメディアのリーダーには利口な人になっていただくことである。それが大変遠い目標であることは承知しているが。
安倍氏が亡くなった当時は国葬に賛成する人が過半を占めていたが、時間が経過するにつれ反対が増え、現在は反対者が過半を占めるに至った。この変化の要因の多くはメディアの努力によるものと思う。世論の制御である。費用の16億円ですら高すぎる、税金が無駄といった反対論が大きく報じられた。国民一人当たりでは12円程度である。本音は、国葬によって安倍氏が高く評価されるのが嫌なのだろう。国葬に反対することは安倍氏の否定になる、そして現政権の支持率低下につながると考えているのだと思われる。政治的な目的が本当の目的なのであると思う。
森友問題、加計問題、最近の統一教会問題も同様の意味がある。これらの問題にどれだけの重要性があるか、私にはわからない。しかし少なくともこれらの問題が国会の機能の多くを浪費して議論するだけの価値はないと思う。言うまでもないが国会の機能は有限である。この機能の維持のために莫大な費用がかかる。議員報酬など直接の費用だけでなく、国政選挙の費用もある。この機能の大部分が無駄になるのは大変な損失である。日本という国の重要な機能を奪う行為なのである。
森友問題、加計問題で1年半以上もそれが国の主要な課題となった。週刊誌報道などをネタにして野党が政権を追求し、それを左派メディアが後押しするという構図である。問題が長期間にわたるのは主にメディアのためである。長期にわたって騒ぐからで、野党はそれによって勢いづく。結果として国会の機能が低下し、重要な方針が決まらない。
この30年ほど、日本は経済成長をほとんどしていない。だが他の先進国はそうではない。日本は1人当たりの所得では韓国にも抜かれた。このままでは近いうちに先進国と呼ばれなくなるかもしれない。30年は長い。この経済の停滞には与党にも責任があるが、これを主要な課題として取り上げないメディアの見識も問題である。原発事故があってから12年になるが、未だに稼働している原発は4基(稼働可能は別に6基)に過ぎず、この間何をやっていたのかと思う。原子力規制委員会はまともな仕事をしていないが、主要な議題にならない。
エネルギー安全保障、食料安全保障、経済安全保障、本来の軍事的安全保障、どれも国の根幹に関わる重要問題であるが、ふさわしい扱いを受けてきたとは思えない。ゆとり教育の失敗は明白だが、その重要な政策の実施に十分な議論が行われたとは思えない。優生保護法やらい予防法の廃止は遅すぎたために人権侵害の状態が長期間放置された。これらより森友問題の方が重要と考えるメディアが日本の世論を誘導してきたわけである。メディと野党の関心は政権の足を引っ張ることに集中し、それ以外の問題は等閑にされた。
最初に騒ぐのは野党であるかも知れないしメディアであるかも知れない。しかしそれを長期にわたって大問題と思わせ、国会の機能を奪うのに大きな責任があるのはメディアであろう。野党はしたくてもその能力がない。メディアは膨大な取材力を持つが、そのほとんどは警察回りのような事件・事故の取材に使われ、経済や教育、様々な社会問題における重要な問題提起には見るべきものが少ない。
国が何らかの政策方針を決定し、それを進めていくためには国民の合意形成が欠かせない。メディアは合意形成に協力するよりも、分断する方に力が入るのが常である。メディアの罪は政権の足を引っ張るだけでなく、国会の機能を妨害することにある。その結果、日本は食料やエネルギーの自給率、防衛能力が低い国になった。その上、経済力がさらに低下すれば様々な点で脆弱な国になりそうである。私のささやかな願いはメディアのリーダーには利口な人になっていただくことである。それが大変遠い目標であることは承知しているが。
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