噛みつき評論 ブログ版

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嘘に寛容な国

2017-12-31 23:37:27 | マスメディア
 慰安婦問題日韓合意は2015年12月に成立したが、それには「最終的」、「不可逆的」という文言が入っている。これはそれ以前の日韓の合意や約束が何度も守られてこなかった事実を思わせる。韓国にとってはずいぶん屈辱的な文言であろうと思う。しかし「不可逆的」は韓国側の提案らしく、韓国ではよくあることなので、屈辱と感じていないのかもしれない。その合意が揺らいでいるようだ。なにしろ文在寅大統領は最終合意の再交渉を公約にして当選した人物であり、韓国民の大多数が再交渉、つまり約束の反故に賛成なのだろう。

 一方、北朝鮮に関しても拉致問題などで日本は何度も苦杯をなめた。約束が履行されない、或いはあったことを否定する虚偽の主張など、まともな話ができない状況が続いた。、クリントン政権下の1994年の「枠組み合意」では、米国に対しても核開発の中止の見返りに援助を受けながら、陰で核開発をつづけていたことなど、約束の不履行が明らかになった。日本も約500億円を取られたそうである。

 韓国人は息をするように嘘をつく、とも言われる。これは誇張された表現だろうが、全く根拠のないことではないかもしれない。約束を反故にするということは、約束が嘘であったことになるので、約束違反と嘘はほぼ同じである。要するに言葉に信用がないというわけである。

 聖書は神とに人間の契約と言われる。近代になってからはルソーやロックらによる社会契約論が大きい影響を持った。契約は社会の基本的な概念であり、社会を維持していく上で、欠かせないものである。あたりまえのことだが日常的に契約・約束が破られる社会では社会の維持は困難になる。支配・被支配の関係がそれにとって代わられるだろう。

 韓国と北朝鮮は日常的に約束が破られる国とまでは思わないが、約束を破ることに対する心理的な抵抗感は我々と少し差があるのではないだろうか。最終的かつ不可逆的な慰安婦問題日韓合意の変更を韓国民の多くが支持しているそうであるが、仮に合意に不満があっても、一旦結ばれた合意を破棄することによって信用を失い、ひいては国益を失う不利益を我々なら重視するだろう。嘘や約束不履行に対する大きな寛容さをそなえた社会、民族なのかもしれない。

 個人のレベルでは嘘に対する抵抗感の多少には大きな差がある。平気で嘘をつく人がいる一方、バカがつくほど正直な人がいる。嘘をよくつく人は最後には誰からも相手にされなくなるのが普通であるから、賢明な選択とは言えない。信用がなくなれば約束事ができない。国というレベルでも同じだと思うが、彼らは理解しないようである。北朝鮮の核とミサイルの脅威に対し、対話による解決を目指す意見があるが、そもそも信用のない相手との対話は難しい。

 余談だが、朝日新聞は慰安婦問題に関して数多くの嘘をついて、しかもそれを知りながら数十年間も隠蔽してきた。東電社員が原発から逃げたという虚偽報道もあった。過去の報道を見ても朝日は嘘に対する心理的・倫理的抵抗感が弱いのでないかと思う。報道機関が嘘をつくことは偽の商品を売りつけるのに等しい。朝日が韓国に肩入れする背景には文化的・心情的な共通性があるためでないかと邪推する。まあ同類とまでは言わないが、近縁種・亜種というところだろうか。

北朝鮮拉致と沖縄米軍

2017-12-24 23:31:15 | マスメディア
 北朝鮮による日本人拉致問題は依然として解決されず、その目処さえ立っていない。拉致後、数十年が経ち、被害者の肉親は再会の願いも叶わずに亡くなる方がいる。拉致はむろん許せることではないが、他の拉致被害者を返さないばかりか、約束した調査さえも実施しない。悪かったという自覚すらないようで、まさに極悪非道の国である。

 確かにメディアは拉致問題をしばしば取り上げてきた。しかし拉致被害者家族の別離の悲しさや無念さを報道はしても、そこに北朝鮮を非難する調子はなぜか感じられない。まるでどうしようもない天災被害を報じているようにすら感じる。

 一方、沖縄の米軍に関する報道は非難の感情に満たされているように思う。僅か200グラムのプラスチック円筒が落ちてきてもトップニュースになる。本土では民間航空機が大きなパネル落として車に当たったが大騒ぎにはならない。人間にあたれば死亡事故の可能性もあった。また米軍関係者の犯罪は何倍もの大きさで報道される。そして報道には強い非難感情が込められているのが常である。

 沖縄の米軍が周辺国からの攻撃に対する抑止力となっているとされている。あの鳩山元首相でさえ、学ぶにつけ米軍の抑止力の重要さがわかった、という意味のことを述べている。首相になってから学ぶのではちょっと遅いと思うけど。よく言われる話だが、フィリピンのスービック海軍基地とクラーク空軍基地ではフィリピン上院が米比基地協定の延長を否決したために1992年、米軍は撤退した。撤退後、中国はミスチーフ礁に軍事施設を建設し、スカボロー礁の実効支配をもねらっているそうである。

 当然のことだが、沖縄の米軍基地は米国の国益にも叶うわけで、それが日本にとっては抑止力になる。基地は日米の利害が一致するから存在するわけである。このような認識に立てば、米軍に対する感情的な報道には違和感がある。8kgのヘリの窓が落下した時には、沖縄県はすべての航空機の飛行停止を求めたが、ずいぶん過剰な反応だと思う。

 普天間の危険性はかねてから指摘されており、それを避けるために基地の移転計画があるのだが、移転は反対運動のために遅々として進んでいない。窓の落下事故や米軍の航空機事故の報道では米軍に対する非難ばかりで、基地移転の促進を取り上げた報道はなかったように思う。

 害ばかり多い極悪の北朝鮮に甘く、米国の国益があるとは言え、日本の安全保障の多くを依存している米軍には極めて厳しい報道姿勢って、おかしな話である。基地負担が沖縄に集中しているのは迷惑だろうが、それは国内問題である。米軍に矛先を向けるのは筋が違う。米軍に反対する運動が限界を超えれば、フィリピンのように本当に米軍はいなくなるかもしれない。代わりにやってくるのは中国軍かもしれない。国際環境は変化する。全く可能性がないとは言えない。

 拉致問題に関して北朝鮮を非難せず、沖縄の米軍には過剰な反応を示す報道。数十年間つづいたことである。同じ調子が長年続いてきたために、我々はそれに違和感を抱かなくなっている。感覚が鈍磨しているわけだが、それが常識になってしまうと危険である。それにしても北朝鮮、韓国、中国と、まともに話ができない国に対して、日本のメディアはどうしてこんなに暖かいのだろうか。

仮処分決定の非常識

2017-12-17 22:45:05 | マスメディア
  広島高裁は伊方原発運転差し止めの仮処分を決定した。簡単に言うと、専門家である原子力規制委員会が長時間の検討を経て決定したことを、素人が短時間の判断で覆したということである。その根拠は阿蘇の9万年前の巨大噴火と同規模の噴火が起きれば原発が火砕流に襲われる、というものである。

 この判決理由にはいくつもの問題がある。まずここまで低い確率の問題まで考慮すべきかということ。日本で巨大噴火が起きるのは約1万年に1度だと言われるが阿蘇に限れば数万年に1度であろう。世の中に絶対の安全はない。数万年に1度の確率まで問題にするのは常識に反する。そしてその火砕流が東方に流れ伊方まで達する確率はさらに低い。そうまでいうなら隕石が原発に衝突することも考慮しなければならない。この裁判官は確率という概念がおわかりでないようである。

 また130km離れた伊方まで火砕流が届くような噴火となれば阿蘇の周辺の広大な地域は死滅すると思われる。火砕流は時速約100kmとされ、しかも噴火時期や規模の予知ができるか、わからないとされる。広大な地域が飲み込まれるので多数の住民が逃げ遅れる可能性がある。防災科学技術研究所の資料には「九州全域が壊滅するといったような破滅的な災害をもたらす可能性がある」と記されている。恐らく数百万の人が死に、原発事故どころの騒ぎではない。巨大噴火を現実の問題とするなら、今から九州全域から人間を退去させなければ整合がとれない。

 原発の運転差し止めなどという影響が大きい問題が裁判官個人の見解によって左右される仮処分という仕組みにも違和感がある。原発の是非を問うような裁判なら、もっと時間をかけて行うべきであり、何万年先の事故を議論する裁判に即刻原発を停止する理由があるとは思えない。原告である住民側とその応援者たちの姑息な手法が見えてくる。

 してこんな決定理由を決めた裁判官の資質も問題である。いくら原発に反対ですもこんな子供のようなお粗末な決定理由しか出せないのかと、司法の質まで疑われる。当の野々上友之裁判長は今月で定年、退官となるそうである。後は野となれ山となれ、ということなのか。本人はいいけど、それでは数百億円の損失を被る電力会社、最終的に負担することになる国民はたまらない。当面の代替には火力しかないのでCO2の排出も確実に増える。エネルギー安全保障にも懸念が生じる。原発の是非は危険性の程度と利益の双方を綿密に考量して決めるべきだが、素人の手に負えるものではないと思う。まあ定年間近の野々上友之裁判長には先のことなど、どうでもいいことなのだろう。

 この高裁の決定に対する主要紙の社説を一覧した。産経・読売は批判的、日経は中立というか意味不明、朝日・毎日・東京は賛同姿勢。全くの予想通りである。朝日・毎日などの社説には確率の低さを指摘したり、CO2の増加、エネルギー安全保障への言及はなかった。運転差し止めという結論が自分たちの主張に合えば、理由がいかにいい加減でも関心はないようだ。やはりご都合主義は信用できない。

堤防よりシェルター

2017-12-10 23:20:22 | マスメディア
 このひと月ほど、テレビの関心は相撲界の出来事で占められた。いくら国技とは言え、たたがスポーツのことであり、これほどの騒ぎようは異常であろう。国会では野党がモリカケ問題を主要なテーマにしている。追及が成功したとしてもせいぜい役人の忖度程度であろうし、日本が戦争に巻き込まれる可能性があるときに騒ぐことではなかろう。

 しかしようやくではあるが、敵基地攻撃能力に関する議論が出てきた。また石破氏は次のように発言した。
「スイスやイスラエルは(核兵器に備えた)シェルターの整備率が100%で、先進国は70~80%。最近整備を始めたシンガポールも60%近い。ソウルは300%あるので、北朝鮮が何かやったらソウルは火の海になるという人がいるが、火の海になってもソウル市民が死なないような対策はとっているはずだ。日本は整備率が0・02%で、それって北朝鮮が撃ってみようかという思いをかき立てることにならないとは限らないはシェルターの整備率が日本は0・02%と、それって北朝鮮が撃ってみようかという思いをかき立てることにならないとは限らない」

 北朝鮮側から見れば、日本ほど攻撃対象として優れた国はないのではないか。世界に対し示威行為をしたいと考えたとき、日本はシェルターの整備率が低く、ミサイル攻撃により予想される人的被害は膨大である。また専守防衛の国であるから、反撃で国土を破壊される心配もない。北朝鮮にとってまことに安全で効果的、攻撃しやすい国なのである。おまけに国民は相撲やモリカケ問題に明け暮れるほど危機意識がない。その結果がシェルター0・02%なのである。世界でもっとも安全性の低い国かもしれない。

 戦後、左派メディアや進歩的文化人らが営々と築き上げたこの国はもっとも攻撃を受けやすい国、つまりもっとも戦争の危険が高い国になったわけである。平和を望みながら逆の結果となったわけで、なんとも皮肉な話である。メディアなど、国の政策に影響を与えてきた人たちが近代の歴史や国際政治の現実を理解せず、非現実的な認識にこだわった結果でもある。

 現在は日米安全保障条約があるので攻撃を受けるような事態が起きる可能性は低いが、北朝鮮が米国に対する核攻撃能力を保有することになれば、いつまでもあてにできるとは限らない。誰しもわが身が一番大事なのである。

 過去数千年間は確認できていないというM9.1の南海トラフ地震や30年以内に発生する確率は60~70%とされるM8~9地震に備えて巨大な堤防を作るより、今はシェルターを整備したり、抑止力となる敵基地攻撃能力を保有する方が重要だと思う。少なくとも必要度は60%のシンガポールも高いと思われる。地震が起きる確率はあまり信用できない。まして戦争が起きる確率は見当もつかない。しかし確率が無視できるほど低いことが証明できない限り、準備するのがあたりまえだと思うが、なぜかメディアにはそんな議論は見当たらない。

インチキ本でも表現の自由?

2017-12-04 00:03:46 | マスメディア
 昨日、朝日新聞に書籍広告が載った。書名は「医者に頼らなくてもがんは消える」、著者は内海聡医師、出版社はユサブルとある。深刻な状態のがん患者にとって、このタイトルは甘い蜜の誘惑である。アマゾンの「がん関連」「病院医者」部門でのランキングが1位とある。こんな常識では考えられないことに十分な根拠があるのだろうか。多分ないだろう。アマゾンのレビューには10の肯定的レビューと1つの批判的レビューがある。肯定的レビューは内海医師の信者のようであり、批判的レビューは内海医師をカルト教祖的な危険人物と批判する。読者の多くは内海教の信者になったようである。

 この種の本の代表は近藤誠氏の著書であろう。手術や放射線、抗がん剤などのガンの標準的な治療を否定したり、がん検診の効果を否定したり、単著だけで42冊もある。医者というより作家というべきである。ベストセラーになった本も多い。しかし内海本、近藤本は助かる命まで失わせる可能性が大きい。近藤氏の元に通い続け、乳がんを長期間放置して死んでしまった患者を知っている。本が多く売れたたため、近藤氏を信じて治療の機会を失い、そのために命を失った人も多いと推定できる。遺族の方が近藤氏に賠償請求すれば、あるいは誰かが刑事告訴すればと期待するがなかなかそうはならない。

 近藤氏の過激な主張には多くの反論がある。いくつかを読んでみたが、批判の方が圧倒的に正しいと思う。それにもかかわらず、依然として文言春秋、朝日新聞、三省堂、集英社などの有力出版社が出し続けている。サイエンスやネイチャーなどの有力出版社は投稿された論文を載せる前に同じ分野の研究者に査読させて問題がないかを確認するという手続きを行う。しかし一般向け書物である内海氏や近藤氏の本は専門家によるチェックはないようである。本に嘘八百が書かれていようが、出版社にはチェックする能力も仕組みもないため野放し状態である。

 著者は医師で、有名出版社が出した本となれば、批判するだけの知識のない一般読者は信じてしまう可能性が大きい。ベストセラーになったのも見せかけの信用のためだろう。現実の問題として、この種の本のために多数の助かる命が失われていると推定できる。回復見込みのある患者までを死へと追い込んでいるのである。殺人を教唆しているとも言えるのではないか。

 憲法21条は表現の自由を保障しているが、こんな本も対象になっていいのだろうか。表現の自由には制約もある。チャタレイ夫人の恋人は猥褻表現だとして裁判になり、結局制限されたり、ヘイトスピーチなどの差別表現も制限させる。しかし上記の本による被害は人の生命にかかわる問題であり、猥褻などとは比較にならないほど重大である。どれほど強烈な猥褻本でも生命に危険が及んだとは聞かない。

 チャタレイ事件やヘイトスピーチはメディアに大きく取り上げられたが、この近藤本のような有害本が無視されるのは何故だろうか。もっとも大きい理由は彼らが出版や広告などを通じて本の共犯者であるからだと思う。内海氏や近藤氏の本は出版社や広告を載せる新聞に利益をもたらしているのである。出版社に内容の是非を判断する能力がないということも考えられるが、これはその気になれば外部の専門家に依頼することが可能である。従ってもっとも大きい理由は利益のため、ということになろう。メディアが人身事故を起こした会社を非難するのによく言うセリフがある、「安全より利益を優先した」。新聞・出版もまた同じということか。

 生命に危険が及ぶような問題でもメディアが片棒を担いでいれば問題になることはないようである。またメディアが騒がなくても、行政や法律家がこの種のインチキ本の危険性を理解できるほど利口ならば、止めることも出来る。だがその望みもなさそうである。そして憲法で保障された自由といえば無条件に尊重しなければならないと考える単純な頭の持主が多いこともこの問題の解決を難しくしている。