朝日新聞は11年3月31日付夕刊から文字を拡大するとの発表がありました。新しい文字は縦に8.3%、横に5.5%、面積は14.3%拡大し、1行の文字数は13字から12字、1段の行数は75行から72行となるそうです。
朝日は3年前に「文字を大きく、情報たっぷり」と称して、文字数を5.5%減らしています。文字を減らしてなぜ情報がたっぷりなのか、私には依然として謎なのですが、まあそれはともかく、今回の文字数の減少率は11.4%となり、前回の分と合わせると16.3%になります。この狙いのひとつは高齢者が読みやすくすることなのでしょうが、この背景には読者層の高齢化があるものと思われます。しかし内容は確実に減ります。新聞の販売価格は同じなので情報料は11.95%、約2割の値上げになります。こちらが本当の狙いなのかどうかは知りませんが。
さて、月刊現代、論座、諸君など総合月刊誌の休刊(事実上の廃刊)が相次ぎました。月刊現代は最盛期の30万部が約8万部になったそうです。中央公論は4~5万部と、残っている雑誌も販売の不振が目立ちます。文芸春秋は「安保と青春」「弔辞」など、高齢者向けと思われる特集が多くなり、産経の月刊誌、正論は文字が大きくなりました。これらは読者層の高齢化を反映したものと思われますが、現在の中心的な読者層がさらに高齢化すればいずれ読者ではなくなります。
これらの月刊誌は数ページから十数ページの記事が主で、ある程度腰を据えて読む必要があります。売れなくなった理由のひとつはこのような比較的長い文が若年層に好まれなくなったことにあると思われます。若者の活字離れと言われますが、これは長文離れといった方がより正確かもしれません。若い世代が読まなくなってきたため、販売数を維持するためには高齢者層向けの編集が避けられないのでしょう。これがさらに若年層の離反を招くという悪循環に陥らなければいいのですが。
米国ではインターネットの影響で新聞の廃刊が相次ぎ、大きい問題となっています。日本の新聞は宅配と再販制度のためか、さほどの大きな変化は見られないようですが(つまりジリ貧状況)、多くの若者が新聞を読まなくなっているなどと報道されると、新聞もいずれ緩やかに月刊誌のたどった道を行くのではないかという気がします。
若年層が新聞や雑誌から遠ざかるようになった主な理由はインターネットの普及でしょう。ネットからは多くの知識を得ることができ、それは新聞・雑誌をある程度代替することが可能です。しかも自分が興味を持つものだけを集めることができます。
逆に新聞や雑誌はまとめて買うことから、あまり興味がない記事まで読まされてしまいます(読まないと損をしたような気分になる)。編集者によって記事を押しつけられるわけですが、このことの意味は大きく、結果的に読者の世界を広げることになります。優れた編集であれば、一見無駄と思われるものが役に立つわけです。月刊誌の場合はかなり掘り下げた記事が多いので様々な分野への理解が深まります。
我々はネットから大きな便益を受けられるようになりました。しかし現在のネット環境は興味ある情報の収集には向いていても、ゆっくり長文を読むという目的にはあまり適していないように思われます。したがって新聞・雑誌や書籍などの長文を読むことによって得られる思考力が低下しないか、また関心のない分野には知識の乏しい人間が増えるのではないかと心配になります。
たいへん大雑把な話で恐縮ですが、これらはネットの持つ負の影響として考えられることであり、将来の大きい問題となる可能性があるように思います。このような視点からの調査研究があってもよいのでは、と思います。
朝日は3年前に「文字を大きく、情報たっぷり」と称して、文字数を5.5%減らしています。文字を減らしてなぜ情報がたっぷりなのか、私には依然として謎なのですが、まあそれはともかく、今回の文字数の減少率は11.4%となり、前回の分と合わせると16.3%になります。この狙いのひとつは高齢者が読みやすくすることなのでしょうが、この背景には読者層の高齢化があるものと思われます。しかし内容は確実に減ります。新聞の販売価格は同じなので情報料は11.95%、約2割の値上げになります。こちらが本当の狙いなのかどうかは知りませんが。
さて、月刊現代、論座、諸君など総合月刊誌の休刊(事実上の廃刊)が相次ぎました。月刊現代は最盛期の30万部が約8万部になったそうです。中央公論は4~5万部と、残っている雑誌も販売の不振が目立ちます。文芸春秋は「安保と青春」「弔辞」など、高齢者向けと思われる特集が多くなり、産経の月刊誌、正論は文字が大きくなりました。これらは読者層の高齢化を反映したものと思われますが、現在の中心的な読者層がさらに高齢化すればいずれ読者ではなくなります。
これらの月刊誌は数ページから十数ページの記事が主で、ある程度腰を据えて読む必要があります。売れなくなった理由のひとつはこのような比較的長い文が若年層に好まれなくなったことにあると思われます。若者の活字離れと言われますが、これは長文離れといった方がより正確かもしれません。若い世代が読まなくなってきたため、販売数を維持するためには高齢者層向けの編集が避けられないのでしょう。これがさらに若年層の離反を招くという悪循環に陥らなければいいのですが。
米国ではインターネットの影響で新聞の廃刊が相次ぎ、大きい問題となっています。日本の新聞は宅配と再販制度のためか、さほどの大きな変化は見られないようですが(つまりジリ貧状況)、多くの若者が新聞を読まなくなっているなどと報道されると、新聞もいずれ緩やかに月刊誌のたどった道を行くのではないかという気がします。
若年層が新聞や雑誌から遠ざかるようになった主な理由はインターネットの普及でしょう。ネットからは多くの知識を得ることができ、それは新聞・雑誌をある程度代替することが可能です。しかも自分が興味を持つものだけを集めることができます。
逆に新聞や雑誌はまとめて買うことから、あまり興味がない記事まで読まされてしまいます(読まないと損をしたような気分になる)。編集者によって記事を押しつけられるわけですが、このことの意味は大きく、結果的に読者の世界を広げることになります。優れた編集であれば、一見無駄と思われるものが役に立つわけです。月刊誌の場合はかなり掘り下げた記事が多いので様々な分野への理解が深まります。
我々はネットから大きな便益を受けられるようになりました。しかし現在のネット環境は興味ある情報の収集には向いていても、ゆっくり長文を読むという目的にはあまり適していないように思われます。したがって新聞・雑誌や書籍などの長文を読むことによって得られる思考力が低下しないか、また関心のない分野には知識の乏しい人間が増えるのではないかと心配になります。
たいへん大雑把な話で恐縮ですが、これらはネットの持つ負の影響として考えられることであり、将来の大きい問題となる可能性があるように思います。このような視点からの調査研究があってもよいのでは、と思います。