噛みつき評論 ブログ版

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法の守り方、破り方

2021-01-24 22:22:55 | マスメディア
 東京区裁判所の経済事犯専任判事であった山口良忠氏を有名にしたのは餓死事件てある。1947年10月11日、彼は栄養失調に伴う肺浸潤(初期の肺結核)のため33歳で死去した。闇米を取り締まる自分が闇米を食べていてはいけないという思いにから闇米を拒否するようになったと言われている。あとには妻と幼い二人の子が残された。この事件は米国でも報道され、米国のマスコミは「プリンシプルの男」と最大限の敬意を表した。訳せば「原理主義の男」となる。当然ながら山口良忠氏の行いには激しい賛否両論が起きた。

 次にこれと対照的なエピソードを紹介しよう。07年5月号の文芸春秋に載った五木寛之氏の、引揚体験をテーマにした対談記事である。実にショッキングな内容で是非お読みいただきたい。詳細はこちらの拙記事をご覧いただきたいが、14歳の五木氏が妹を背負い、5、6歳の弟を引きずっての朝鮮半島からの逃避行の末、本土にたどり着いた。以下は本土の港での話である。港に婦人調査部というものがあり、それは博多、長崎、佐世保、敦賀にあった。そこで性病と妊娠の有無を調べた。彼女らは「不法妊娠」として麻酔なしで手術された。ところが当時は堕胎罪が厳格で公式にはできなかった。京城帝大、九大、広島大の学生が違法を承知で引き受けた。

 五木氏は「将来を失う危険を覚悟で手術をした人もいた」と述べている。学生なら医師免許を持たない者もいたであろうし、教官など関係者も違法を承知で引き受けたものと思われる。こちらの方は山口良忠氏のエピソードとは逆にあまり知られていない。

 少々極端な例であったが、前者は法を頑なに守った結果、命を失い家族に深く悲しませた例、後者は法を破ったが多くの人を救った例である。いつも法を厳守することがいいということもないし、いつも法を破っていいとはむろん言えない。まあ結論を言えば法は常に正しいとは限らないので、破った方がいい場合もあるということだろう。しかしその判断は結構難しいことが多い。そのための教育でもあるけれど。

 新型コロナのワクチンは英米やイスラエルが先行している。日本は2月末からというから2か月ほど遅れているわけである。緊急事態宣言が発出されると経済活動が影響を受け数兆円の損失になるとされているので2か月の遅れは相当な損失になると考えられる。そして遅れによって数千の人命が失われることになるかもしれない。疑問に思うのは諸外国で認可されているワクチンをもう一度日本で治験する必要がどれだけあるのかということである。人種的な差があるために、日本人としての予防効果と副反応を改めて調べるというが、副反応はともかく、予防効果まで確認する必要があるのだろうか。現在主流となっているワクチンの予防効果は95%程度(中国製は50%とか)だが、80%や90%であったなら認可しないということではあるまい。現在でも最速の方法だというが、それが遅れを正当化できるのだろうか。超法規措置みたいに政府が自ら法を破ることもあるが、それは困難なので、合法的に簡略化する方法があるのではないか。頭の硬さ、頑なさが問われる問題である。

コロナ感染に見る推論方法の誤り

2021-01-08 21:37:04 | マスメディア
 1月4日にTBS系で放送された番組の中で、辛坊治郎氏が神奈川県の黒岩知事に対して神奈川県のベッド数を把握していないことを詰問する場面が話題になった。しかしこれはともかく、問題にしたいのはこの後、辛坊氏が「GO TOトラベルは家族単位で行くものであるし、新型コロナの感染を広めるものではない」と断言したことだ。GO TOトラベルは家族単位で行くものとは限らない。友人のグループもあれば会社のグループもあるし、家族だけでも旅先での接触がある。ひどい単純化である。この現状認識の問題に加えて感染拡大の要因に対する推論に問題がある。

 辛坊治郎氏は見識や認識能力に於いてテレビ界ではトップクラスの人物てあると思うが、新型コロナの感染拡大要因については、そのような人物でも推論方法には問題があると思わざるを得ない。

 感染者数の変化を表すのに実効再生産数というものがある。平均的に1人の感染者が何人に感染させるかというもので、実効再生産数が1以下では減少、1以上では増加となる。この数値に影響を与えるものは当然ながらひとつではない。人の移動、人と人との接触度合い、手洗いなどの習慣、マスクの装着率、気温、湿度など多くあり、それぞれの感染に対する寄与率(影響度)は異なる。

 GO TOトラベルは7月頃から始まったのに感染者数はその後下がっていることを取り上げてGO TOは感染拡大に無関係だとの主張があるが、そのような断定は怪しい。仮にGO TOが実効再生産数を0.2だけ上げるものとしよう。7月からの高温多湿がマイナスに働き実効再生産数が1以下であればGO TOの影響は見えない。11月になって低温と乾燥が仮にプラスに働くようになって、GO TOによる加算で実効再生産数が1以上になったとすれば11月からの上昇は説明がつく。つまり7月以後のGO TOと感染者数を見て単純に無関係だとは言うのは誤りである。

 ある事象が他の事象に影響を与え場合、独立変数と従属変数の関係でもよいが、双方が1対1とは限らない。独立変数が多数(現実にはこの方が多い)の場合もあるし、それぞれの従属変数に対する寄与度も一定ではない。しかもそれぞれの独立変数と従属変数の関係も直線関係だけとは限らない。ここまで考えることもないとも言えるが、単純にひとつの独立変数だけに注目して因果関係を断定する危険について述べたいわけである。

 ものごとを単純化するとわかりやすくなるのは確かであるが、危険な誤解を招くことがある。床屋談義のレベルならこれでもよい。辛坊治郎氏のような信頼性と発言力のある人物がGO TOは感染拡大に無関係などとテレビで発言すれば世論をミスリードする可能性が高い。こういう考えがGO TOの停止に反対する動きとなった可能性も否定できない。

 本日、ようやく緊急事態宣言が発令されたが、かなり遅すぎた感がある。大雑把な推論であるが、12月の感染者数の急増期になされたのは「勝負の3週間」という呼びかけだけであった。それまでの増勢傾向に加えての急増は感染拡大の強い要因があると考えるべきである。それを放置して、何とかなるだろうと考えたのは見通しが甘い。GO TOに対する楽観的な見方もそのひとつだと思うが。

 化学プラントなどではフェイル・セーフという考え方が設計の基本にある。不測の機器故障、地震など外部の影響があったとき、安全に自動停止させるという考え方である。12月に強力な対策を取らない場合、医療崩壊の可能性が考えられた。たとえ対策が必要以上であって経済に負担をかけても医療崩壊よりはマシと考えるなら、その時点で対策を取るべきであったろう。早く収束させた方が結局、経済に対する負担も少ないという発想が少なかったように思う。また感染者数が多くなれば感染経路の調査も不可能になる。感染が拡大するほど対応は困難になるということも軽視されているように感じる。

 誰が言い出したのか知らないが、ウィズコロナという言葉がある。コロナと共存を図るという考えであるが、とんでもない誤りであろう。共存期間が長くなれば変異種の発生機会も増え、強毒化の危険もある。一緒に暮らせるほど甘い相手ではない。