安保法制反対を表明する有名文化人が続々と現れています。憲法学者、小説家、映画監督、音楽家、物理学者にまで及んでいます。知名度を利用して政治的な影響力を行使しようとする動きです。有名人の発言は信用されやすく、影響力があります。しかし専門外のことならば素人と同じです。つまり素人の意見をいかにも信用できるかのように思わせることが出来ます。それを左派メディアが大きく取り上げて利用する。アンフェアなやり方です。
瀬戸内寂聴氏は「すぐ後ろに軍靴の音が聞こえている」とおっしゃっているそうです。これを受け、産経抄は「抄子には『軍靴の音』は東京からではなく、北京から聞こえるのですが」と揶揄しています。軍靴の音は北京だけでなく、モスクワやピョンヤンからも聞こえてきます。いや聞こえっぱなしです。
外交や防衛は非常に重要かつ難しい分野です。失敗すれば国が滅びることもあります。このような分野に口を出すには相応の責任と覚悟が必要です。決して思いつきのレベルで意見を表明すべきことではなく、外交・防衛・国際政治に関する十分な知識をもってから表明すべきことです。有名であるほど責任も大きいといえましょう。
上記の有名文化人の中で、そのような知識をもっている人はあまりいないと思われます。彼らの言動はステレオタイプで、どこかで聞いたようなセリフが中心であることがそれを物語ります。早く言えば単なる「受け売り」が多いということです。もし彼らの影響で抑止力が低下し、侵略を受けたらどう責任をとるつもりでしょうか。
ある分野で成功して有名になるとすべてのことに自信がつくのかもしれません。それは全能感とも言われます。そして誰かに踊らされているだけかもしれないのに自分の判断がすべて正しいと思い込んでしまうのでしょう。専門外のことはわからないという謙虚さは消え失せてしまうようです。
かつて進歩的文化人と呼ばれた人々がありました。西側の諸国とだけ講和を結ぶことに反対し、ソ連や中国とも講和を結ぶ全面講和を主張した南原繁東大総長は吉田茂から「曲学阿世の徒」呼ばれたことでも有名ですが、進歩的文化人の初期の代表でしょう。進歩的文化人の多くは政治の素人であるにもかかわらず、政治的な発言を続けてきました。
旧ソ連は終戦間際に中立条約を破棄して攻め込み、降伏後も侵攻して数十万の日本人を強制労働につかせ、約6万人を死亡させた国ですが、進歩的文化人達はなぜかこの国を礼賛しました。文化大革命で数千万人の死者を出したといわれる中国や、地上の楽園と宣伝された北朝鮮をも賛美しました。
これら三国の共通点は共産主義国だと言うことです。つまり共産国というだけですべてを肯定し、暗部には目を向けないという子供じみた思考に陥っていたと思われます。善玉と悪玉にと二分しないと理解できない子供と同じです。米国の核実験には激しく反対するけれど中ソの核実験には何も言わないといった調子です。
これは当時のメディアが左に偏向した報道をしていたためでもあるでしょうが、それは簡単にメディアに乗せられるという軽率さを示します。この認識が誤りであったことは言うまでもありませんが、謝罪したという話は聞きません。どこかで聞いたことを吹聴していただけなのでもともと責任感などなかったのかもしれません。
ともかく進歩的文化人達は安保条約改定を始め、多くのことに反対してきましたが、ほとんどが誤りでありました。朝日新聞と同じです。その理由のひとつは現実の認識に問題があったためだと思われます。現状認識・分析を軽視し、付和雷同するのは現代の有名人に通じるところがありましょう。
知名度を利用するという意図をもって、素人同然の政治的発言をすることは不誠実であり、無責任でもあります。専門外の発言は知名度の用途外使用です。有名人が使っていると宣伝すれば商品が売れる、というのと同じで、根拠もなく情緒に訴えるものです。防衛や外交という複雑なものを情緒で決められてはたまりません。
瀬戸内寂聴氏は「すぐ後ろに軍靴の音が聞こえている」とおっしゃっているそうです。これを受け、産経抄は「抄子には『軍靴の音』は東京からではなく、北京から聞こえるのですが」と揶揄しています。軍靴の音は北京だけでなく、モスクワやピョンヤンからも聞こえてきます。いや聞こえっぱなしです。
外交や防衛は非常に重要かつ難しい分野です。失敗すれば国が滅びることもあります。このような分野に口を出すには相応の責任と覚悟が必要です。決して思いつきのレベルで意見を表明すべきことではなく、外交・防衛・国際政治に関する十分な知識をもってから表明すべきことです。有名であるほど責任も大きいといえましょう。
上記の有名文化人の中で、そのような知識をもっている人はあまりいないと思われます。彼らの言動はステレオタイプで、どこかで聞いたようなセリフが中心であることがそれを物語ります。早く言えば単なる「受け売り」が多いということです。もし彼らの影響で抑止力が低下し、侵略を受けたらどう責任をとるつもりでしょうか。
ある分野で成功して有名になるとすべてのことに自信がつくのかもしれません。それは全能感とも言われます。そして誰かに踊らされているだけかもしれないのに自分の判断がすべて正しいと思い込んでしまうのでしょう。専門外のことはわからないという謙虚さは消え失せてしまうようです。
かつて進歩的文化人と呼ばれた人々がありました。西側の諸国とだけ講和を結ぶことに反対し、ソ連や中国とも講和を結ぶ全面講和を主張した南原繁東大総長は吉田茂から「曲学阿世の徒」呼ばれたことでも有名ですが、進歩的文化人の初期の代表でしょう。進歩的文化人の多くは政治の素人であるにもかかわらず、政治的な発言を続けてきました。
旧ソ連は終戦間際に中立条約を破棄して攻め込み、降伏後も侵攻して数十万の日本人を強制労働につかせ、約6万人を死亡させた国ですが、進歩的文化人達はなぜかこの国を礼賛しました。文化大革命で数千万人の死者を出したといわれる中国や、地上の楽園と宣伝された北朝鮮をも賛美しました。
これら三国の共通点は共産主義国だと言うことです。つまり共産国というだけですべてを肯定し、暗部には目を向けないという子供じみた思考に陥っていたと思われます。善玉と悪玉にと二分しないと理解できない子供と同じです。米国の核実験には激しく反対するけれど中ソの核実験には何も言わないといった調子です。
これは当時のメディアが左に偏向した報道をしていたためでもあるでしょうが、それは簡単にメディアに乗せられるという軽率さを示します。この認識が誤りであったことは言うまでもありませんが、謝罪したという話は聞きません。どこかで聞いたことを吹聴していただけなのでもともと責任感などなかったのかもしれません。
ともかく進歩的文化人達は安保条約改定を始め、多くのことに反対してきましたが、ほとんどが誤りでありました。朝日新聞と同じです。その理由のひとつは現実の認識に問題があったためだと思われます。現状認識・分析を軽視し、付和雷同するのは現代の有名人に通じるところがありましょう。
知名度を利用するという意図をもって、素人同然の政治的発言をすることは不誠実であり、無責任でもあります。専門外の発言は知名度の用途外使用です。有名人が使っていると宣伝すれば商品が売れる、というのと同じで、根拠もなく情緒に訴えるものです。防衛や外交という複雑なものを情緒で決められてはたまりません。