噛みつき評論 ブログ版

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文明と野蛮

2015-05-25 08:27:13 | マスメディア
 日本動物園水族館協会は世界動物園水族館協会(WAZA)からの要求を受入れ、国内の水族館が和歌山県太地町で行われている「追い込み漁」によって捕獲されたイルカの入手を禁止することを決めました。追い込み猟による捕獲は「非人道的な方法」という非難を浴びているようですが、WAZAは捕獲より追い込み猟そのものをやめさせたいのでしょう。

 WAZAの要求に対し、国内では「合法的にやっているものだ」あるいは「伝統的なものだ」から文句を言われるのはおかしいといった反論があります。海外からの批判に対し、国内法に反していないからとの反論は理解に苦しみます。それなら人権侵害も残虐行為も国内法で認めればOKということになります。

 「伝統的なものだ」からというのも決定的な反論にはなりません。伝統がすべて許されるならニューギニアの食人習慣(カニバリズム)も認めなければなりません。かつて日本でもあったとされる犬食は、中国や朝鮮半島では今も盛んだそうですが、伝統だからといって認める気にはなれません。

 イルカの追い込み猟は追い込んで突き殺し、海を血で染めるという残虐性が問題となっています。そこには残虐に関する感受性が日本と欧米では異なることがあるのでしょう。犬を食べることについては日本人の多くは残酷と感じますが、犬食をしている国の人々はそれほどではないのと同様、相対的な問題です。

 しかしイルカ猟を続ければ日本人は残虐な民族、野蛮な民族だという評価につながることは否定できません。日本の文化や民族性に関する海外からの理解には決してプラスにならないと考えられます。そうした異質性は好まれるより排除されるのが普通だからです。

 かつては日本でも多くの家庭で鶏が飼われ、絞め殺しては食べていました。しかし今、殺すことができる人はあまりいないでしょう。一般に残虐さに対する感受性は時代と共に敏感になってきています。

 従ってイルカの追い込み猟がこの先20年も30年も続けられる可能性は小さいと思われます。また年間1000頭ほどの大部分が食用になるそうですが、重要な蛋白源という程のものではなく、やめた場合の問題は漁業関係者の経済的不利益が主ですから、政府による補償という解決方法があります。

 長期的に見れば、欧米から異質な文化と見られるより少々の補償をしても早くイルカ猟をやめた方が得策だと思うのですが、マスコミにはそのような意見は見られません。マスコミには残虐さに対する感受性の低い方がおそろいなのでしょうか。

元寇と抑止力

2015-05-18 11:05:56 | マスメディア
 韓国と中国があまりに歴史問題と騒ぐので、元寇について調べてみました。元寇とは鎌倉時代の1274年と1281年、モンゴル帝国とその属国である高麗王国の連合軍による日本への大規模な侵攻です(文永の役と弘安の役)。学校ではこのとき神風(台風)が吹き、元軍は壊滅的な損害を受けて敗れたと簡単に教えられました。

 元寇はわが国が唯一体験した外国による組織的な侵略です。とりあえずウィキペディアを開いたところ、なかなか興味深い話が書かれていました。日本側の戦記などの資料に加え、元史や高麗史からの転載もあり、けっこうな分量があり、内容も学校で教わったものとは大違いです。

 一部を紹介するだけになりますが、文永の役については次のような記述が興味を引きました。
『元軍は戦況を優位に進めた後、陸を捨てて船に引き揚げて一夜を明かそうとしたその夜に暴風雨を受けて日本側が勝利したという言説が教科書等に記載されているが、元側と日本側の史料ともに博多湾で元軍が暴風雨を受け敗北したという記載はなく事実ではない。
(中略)以上のように神風は元軍の敗退要因とは関係なく、撤退中に暴風雨に遭ったのであり、勝敗要因とは直接関係のない事象である。』

また次のような記述もあります。
『1910年(明治43年)の『尋常小学日本歴史』に初めて文永の役の記述が登場して以来、戦前の教科書における文永の役の記述は、武士の奮戦により元軍を撃退したことが記載されており、大風の記述はなかった。しかしその後、第二次世界大戦が勃発し日本の戦局が悪化する中での1943年の国定教科書において、国民の国防意識を高めるために大風の記述が初めて登場した。それ以来、戦後初の教科書である『くにのあゆみ』以降も大風の記述は継承され、代わって武士の奮戦の記述が削除されることとなる。

 戦後の教科書において、文永の役における武士の奮戦の記述が削除された背景としては、執筆者の間で武士道を軍国主義と結び付ける風潮があり、何らかの政治的指示があったためか執筆者が過剰に自粛したのではないかとの見解がある。また、戦時中や現代の教科書においても文永の役において元軍は神風で壊滅したという言説が依然として改められなかった背景としては、戦時中は「神国思想の原点」ゆえに批判が憚られたことによるという見解がある。この観念は戦時中の神風特別攻撃隊などにまで到ったとされる。戦後は敗戦により日本の軍事的勝利をためらう風潮が生まれたことにより、文永の役における日本の勝因を神風ゆえによる勝利であるという傾向で収まってしまったのではないかとの見解がある』・・・ありそうなことですね。

 2回目の侵攻である1284年の弘安の役では戦闘が始まってから約2ヵ月後の7月30日、台風のために元軍は大損害を受けて壊滅したとされています。しかし開戦後2ヵ月経ってもまだ主力を海上に置いていたことは元は決して優勢ではなかったことが推定できます。台風という天佑もありましたが、日本の防衛力の高さが大きな勝因であったと考えられます。

 クビライ(フビライ)の第三次日本侵攻計画については次のような話が載っています。

『クビライが第三次日本侵攻計画を中止したのは、以下のようなクビライと礼部尚書・劉宣とのやりとりがあったためである。
劉宣は、「たとえ風に遇わず、彼の国の岸に至っても、倭国は地広く、徒衆が多い。彼の兵は四集し、我が軍に後援はない。 万が一戦闘が不利となり、救兵を発しようと思っても、ただちに海を飛んで渡ることはできない」と述べ、かつての隋の高句麗侵攻以上に日本侵攻が困難であるとして、クビライに日本侵攻をとりやめるよう諫言した』
 さらに『元寇の敗戦を通してのこういった日本軍将兵の勇猛果敢さや渡海侵攻の困難性の記憶は、後の王朝による日本征討論を抑える抑止力ともなった』とも。・・・日本の軍事力が以後の戦争を防いだということです。

 泉下のフビライに訊いてみたいものです。
「もし日本が憲法9条を持っていたなら侵攻を中止しますか」と。

朝日の変節?

2015-05-11 09:10:56 | マスメディア
 4月1日の朝日新聞の声欄に「護憲派なら国民守る策示せ」という読者投稿の要旨が載りました。この投稿は既に2月21日付で載ったものですが、反響が大きかったために、その反響と共に再度掲載されたというわけです。「護憲派なら国民守る策示せ」はなかなか面白いので紹介します。

『安全保障については、政府が一番の責任を負うことは言うまでもない。選んだ国民にも責任はある。ただ責任の重さにおいて、政権以下だが一般国民以上だと私が考える人がいる。護憲派の政治家や学者、実務家、メディア関係者など、護憲を「商売道具」とする人たちだ。
(中略)
 単に戦争反対を叫び、憲法改正論議の入り口に立ち塞がってきただけではないか。「9条で平和を守れる」「改憲論者は戦争をしたい人たち」と画一的な論法を押し通してきた。
 そのことが現政権に閣議決定による集団的自衛権の行使容認という安易な道を選ばせたとはいえないか。論点は、改憲に賛成かではない。国民を守る上でリスクの低い具体策は何かということだ。その提案がない批判に説得力はない。護憲を主張してきた方々に、今こそ出番だとエールだけは送ろう。(会社員 56歳)』

 この投稿に対して、読者の反対意見と賛成意見がそれぞれ二つ載りました。反対意見の主要な箇所を以下に示します。
「不戦の理念を掲げていれば戦争になる可能性は低いと思います」「現憲法の下では戦争が一度もない事実が、それを示しているのではないでしょうか」(作家 58歳)。
「他国を自ら攻めることなく、ひとりの外国人も傷つけないことが、国民を守ることにつながる。そのような国に敵対して、武力攻撃すれば世界から非難されるからだ。「憲法ほど強力な安全保障策はない。丸腰ほど強いものはないのだ」(主婦 71歳)

 失礼ながらどちらもおめでたいお話で、外国からの攻撃に対する配慮がまったくありません。夢想・妄想の域を出ていないと思われます。注意すべきは、朝日がなぜこのような説得力のない反対意見を載せたかということです。これでは逆に「護憲派なら国民守る策示せ」の主張がより正しいものに見えてしまいます。また反対意見と賛成意見を公平に同数載せたことも従来とは違っているようです。今までなら反対3、賛成1程度であったように思います。

 中国や北朝鮮の軍事的脅威が現実のものとなった現在、「9条があれば平和を守れる」式の主張が意味を失っているのは明らかです。朝日も「夢想路線」をいつまでも続けるわけにはいかなくなったのでしょう。しかし急に主張を変えるのは格好が悪いので、まずは読者の意見を利用して、徐々に現実路線に変えていくつもりかもしれません。しかしほとんどの組織と同様、朝日も一枚岩ではないと考えられ、これは朝日内部の対立に過ぎないのかも知れません。

 それにしてもはじめの投稿は説得力があります。しかし反対側が「9条があれば平和を守れる」式の反応では話が噛み合いません。護憲を商売道具にし、非現実的な考え方を広めてきた朝日には「責任の重さ」と「国民を守る上でリスクの低い具体策」について訊きたいですね。

旗印と下心

2015-05-04 09:02:29 | マスメディア
 原発は賛成だが集団的安全保障には反対だ、という人にはあまりお目にかかりません。原発に反対する人はたいてい集団的安全保障にも反対します。しかし原発廃止と集団的安全保障には直接の関係があるようには思えません。原発廃止と9条にも同様の関係が指摘できるでしょう。

 反原発、護憲、集団的安全保障反対、これらは左派メディアの主張であることが共通しています。またこれらを部分的ではなくセットで賛成している人が多く見られることは左派メディアの影響力の大きさを示しています。

 左派メディアの報道の過激さは昔に比べると弱くなったように思います。60年の安保改定の反対運動を煽る報道は凄まじく、死者を出すほどの騒乱状態になりました(あまりの激しさに新聞各社が驚いて煽動記事を自粛しようと話し合ったという話も聞きます)。「新安保条約により日本が戦争に巻き込まれる危険が増す」として猛反対を受けた安保条約ですが、その後は左派からの批判もなく、評価されることが多いようです。あの激しい反対運動は一体何だったのでしょうか。自ら条文を読まず、条約の負の面ばかりを強調した新聞情報に踊らされた連中が起こした騒動という見方もできます。

 1979年、一般消費税という名前で登場した消費税もメディアの大反対に遭い、漸く実現したのは10年後の1989年でした。当時の自民党政権は消費税を持ち出すたびに議席を減らしたといわれています。逆進性など、消費税の負の側面ばかり報道されたので多くの人が反対したわけです。しかし現在は様変わりで朝日をはじめ、多くのメディアは消費税に反対していません。あの反対は何だったのでしょうか。

 新安保条約についても、消費税ついても当時は何故あれほどの反対キャンペーンをやったのか、今となっては理解するのが困難です。当時でも世間には賛否両論があったわけですが、なぜメディアはかくも確信があるかのように反対したのでしょうか。メディアは見識の低い人間ばかりだったというわけではないでしょうに。

 ひとつの解釈が考えられます。政治的な勢力を結集するためには何らかの旗印が必要です。左派メディアは当時の政権と対立する勢力に反対の旗印を提供したという解釈です。新安保条約や消費税などの新しいテーマが出てくるとそれが国民にとって有益かどうかということより、反対勢力を結集できるかどうかということが優先されたのではないでしょうか。これはメディアの下心です。うまく行けば政権を崩壊に追い込みむことも可能です。

 民主党政権の擁立はその成功例です。しかし民主党政権は無能政権だとの評価が定着し、逆にそれを担いだメディアの見識の低さが証明されるという皮肉な結果を招きました。

 反対勢力を結集することが左派メディアの動機のすべてではないにしろ、その主要な部分を構成している疑いがあります。そうであるなら、左派メディアは国民の間に無用の対立を生み出し、様々な問題の決定をより困難にしてきたと言えるでしょう。言うまでもなくその代表は反日で名高い朝日新聞です。このように考えると、慰安婦報道や福島第一の撤退報道に見られるような、国や国民の利益よりも政権の弱体化を優先してきた体質が理解できます。