自民党議員の勉強会における百田尚樹氏の発言が騒動になっています。朝日が27日の朝刊トップで報じた問題の発言とは「沖縄の二つの新聞社は絶対につぶさなあかん」ですが、それに対し、百田氏は『誰かが「沖縄の二紙はやっかいですね」と言った言葉を受けて、「ほんまや、つぶれたらいいのに」と軽口で言ったにすぎない』としています(自民議員にも問題発言があったようですが、こちらは私人ではなく議員という立場なので性質が異なるためここでは触れません)。
「つぶさなあかん」と「つぶれたらいいのに」では意味が全く異なります。前者は積極的な意思を表すのに対し、後者は単なる願望に過ぎません。どちらが正しいか、私には判断できませんが、過去の信用度からすると朝日の記事には疑念があります(朝日の信用度については後述)。次の百田氏の発言も興味を惹かれます(産経新聞より)。
「それより、私がむかつくのは、報道陣がいたのは、最初の2分だけ、あとは部屋から出て行って、シャットアウト、つまりその後の講演も質疑応答もクローズな場所での発言なのに、それを盗み聞きして報道されたことだ。...
部屋から退出しても一部の記者はドアのガラスに耳をくっつけて、盗み聞きしていたのだ。部屋の内側からガラスに耳がくっついているのが見えたときは笑ってしまった。
私はラジオやテレビで不特定多数に向けて発言したわけではない。あくまで私的な集まりの場において話したにすぎない。内輪の席での発言だ。
そういう場で口にした軽口が、大々的に報道され、あるいは国会で問題にされるようなことだろうか」
双方とも相手を言論弾圧だとして非難していますが、少なくとも弾圧の効果という点では朝日や沖縄の二紙などの一斉反撃は絶大です。これからは内輪の会合でも発言には細心の注意が必要ということになりそうです。
一方、この騒動の背景にも注目する必要があります。沖縄では朝日系の沖縄タイムスと琉球新報の二紙のシェアが98%あるいは90%と言われるように圧倒的な影響力を持っています。新聞は朝日と毎日だけという状況を想像してみれば、それが公正な情報の取得という点でかなり危い状況であることがわかります。恐らく現在とはずいぶん異なった世論となっているでしょう。社会主義国家となっていた可能性すら否定できません。
事実上の独占に近い寡占体制であり、二紙にとっての言論の自由はあっても、反対勢力にとっては実質的な言論の自由があるとは思えません。二紙に対立する言論が読者の目に触れることはごく限られることでしょう。つまり沖縄では二紙によってコントロールされた情報が大量にばら撒かれるわけで、一党独裁の国と似ています。
実質的な言論の自由を保障するため、メディアの独占を防ぐ規制があるものの、沖縄の例はその限界を教えてくれます。沖縄はメディア独占の実験場でもあるわけです。そして他の分野と違ってメディアの独占・寡占体制は簡単には崩せません。読者の頭を支配しているからです。オウムなどの信者を信仰から解放することの困難さと同様です。
朝日の信用度に触れましたが、6月22日の同朝刊の「新聞ななめ読み」が参考になります。これは昨年、慰安婦問題を取り上げたところ掲載を断られ、筆者、池上彰氏とトラブルが起きた連載記事です。今回も掲載を拒否したい内容だと思いますが、昨年のことがあるのでそうはできなかったのでしょう。以下、一部を紹介します。
「元法制局長官の安保法案批判 同じ発言、トーン大違い」と題した記事で元内閣法制局長官の阪田雅裕氏の発言を伝える各紙の記事について、具体的な点を挙げた上、次のように締めくくっています。
「阪田氏の発言は新聞によってニュアンスが異なり、朝日、毎日、日経、読売の順に、発言は厳しいものから緩やかなものへと変化します。同一人物の発言のトーンが、これほど違っているのです。この並びは、安全保障関連法案に対する社の態度の順番とほぼ一致しています。
社としての意見はあるにせよ、記事が、それに引きずられてはいけません。どのような発言があったのか、読者に正確に伝えることで、読者が自ら判断する材料を提供する。これが新聞の役割ではありませんか」
最後の文節はいまさら言うのが恥ずかしいくらいの当然至極のことです。こんなイロハの指摘を改めて大新聞にしなければならないのは実に異常なことだと思います。お読みになればわかりますが、トーンの違いというより、もう虚偽、ウソの領域だと思います。池上氏の評価によっても記事の歪曲度は朝日がトップ、信頼度・誠実度は当然最下位ということになります。これは判断は読者ではなく我々がする、という伝統の態度に基くものです。言論の自由はありますが、虚報の自由なんて聞きません。
「つぶさなあかん」と「つぶれたらいいのに」では意味が全く異なります。前者は積極的な意思を表すのに対し、後者は単なる願望に過ぎません。どちらが正しいか、私には判断できませんが、過去の信用度からすると朝日の記事には疑念があります(朝日の信用度については後述)。次の百田氏の発言も興味を惹かれます(産経新聞より)。
「それより、私がむかつくのは、報道陣がいたのは、最初の2分だけ、あとは部屋から出て行って、シャットアウト、つまりその後の講演も質疑応答もクローズな場所での発言なのに、それを盗み聞きして報道されたことだ。...
部屋から退出しても一部の記者はドアのガラスに耳をくっつけて、盗み聞きしていたのだ。部屋の内側からガラスに耳がくっついているのが見えたときは笑ってしまった。
私はラジオやテレビで不特定多数に向けて発言したわけではない。あくまで私的な集まりの場において話したにすぎない。内輪の席での発言だ。
そういう場で口にした軽口が、大々的に報道され、あるいは国会で問題にされるようなことだろうか」
双方とも相手を言論弾圧だとして非難していますが、少なくとも弾圧の効果という点では朝日や沖縄の二紙などの一斉反撃は絶大です。これからは内輪の会合でも発言には細心の注意が必要ということになりそうです。
一方、この騒動の背景にも注目する必要があります。沖縄では朝日系の沖縄タイムスと琉球新報の二紙のシェアが98%あるいは90%と言われるように圧倒的な影響力を持っています。新聞は朝日と毎日だけという状況を想像してみれば、それが公正な情報の取得という点でかなり危い状況であることがわかります。恐らく現在とはずいぶん異なった世論となっているでしょう。社会主義国家となっていた可能性すら否定できません。
事実上の独占に近い寡占体制であり、二紙にとっての言論の自由はあっても、反対勢力にとっては実質的な言論の自由があるとは思えません。二紙に対立する言論が読者の目に触れることはごく限られることでしょう。つまり沖縄では二紙によってコントロールされた情報が大量にばら撒かれるわけで、一党独裁の国と似ています。
実質的な言論の自由を保障するため、メディアの独占を防ぐ規制があるものの、沖縄の例はその限界を教えてくれます。沖縄はメディア独占の実験場でもあるわけです。そして他の分野と違ってメディアの独占・寡占体制は簡単には崩せません。読者の頭を支配しているからです。オウムなどの信者を信仰から解放することの困難さと同様です。
朝日の信用度に触れましたが、6月22日の同朝刊の「新聞ななめ読み」が参考になります。これは昨年、慰安婦問題を取り上げたところ掲載を断られ、筆者、池上彰氏とトラブルが起きた連載記事です。今回も掲載を拒否したい内容だと思いますが、昨年のことがあるのでそうはできなかったのでしょう。以下、一部を紹介します。
「元法制局長官の安保法案批判 同じ発言、トーン大違い」と題した記事で元内閣法制局長官の阪田雅裕氏の発言を伝える各紙の記事について、具体的な点を挙げた上、次のように締めくくっています。
「阪田氏の発言は新聞によってニュアンスが異なり、朝日、毎日、日経、読売の順に、発言は厳しいものから緩やかなものへと変化します。同一人物の発言のトーンが、これほど違っているのです。この並びは、安全保障関連法案に対する社の態度の順番とほぼ一致しています。
社としての意見はあるにせよ、記事が、それに引きずられてはいけません。どのような発言があったのか、読者に正確に伝えることで、読者が自ら判断する材料を提供する。これが新聞の役割ではありませんか」
最後の文節はいまさら言うのが恥ずかしいくらいの当然至極のことです。こんなイロハの指摘を改めて大新聞にしなければならないのは実に異常なことだと思います。お読みになればわかりますが、トーンの違いというより、もう虚偽、ウソの領域だと思います。池上氏の評価によっても記事の歪曲度は朝日がトップ、信頼度・誠実度は当然最下位ということになります。これは判断は読者ではなく我々がする、という伝統の態度に基くものです。言論の自由はありますが、虚報の自由なんて聞きません。