5月29日正午時点での数値である。死者は日本の9.69倍である。日本の人口はドイツの約1.5倍なので人口当たりでは約14.5倍となる。日本は死者数、感染者数、ともに最優秀のレベルなのに、なぜか安倍政権の支持率はあまりにも低い。支持率は単なる人気ではない。選挙の投票に強く影響し、それは政治を決定する重大な問題である。つまり国民が政府を正しく評価できなければ選挙は適切な結果を得ることはできない。
そのような観点に立てば、今回の政府のコロナ対策が果たして正当に評価されたのだろうかと検討する必要がある。もし間違った評価がなされたのであれば、その理由を探すことに意味があると思う。現在の安倍政権の最新の支持率27%(5/23毎日新聞 不支持64%-左派系メディアの調査は支持率が低く出る傾向がある)には検察庁人事の問題も含むので、すべてがコロナ対策の結果ではないが、支持率の低迷は検察庁問題の前から見られたから、評価の多くはコロナ対策の結果だと見てよい。
当然のことながら、まず疑うべきはマスコミであろう。支持する、しないを決める最大の要素はマスコミの情報であるから。中でもニュースショーの比重が大きい。例を挙げると、各局のニュースショーで好んで取り上げられたのはPCR検査の不足である。これが政権批判のネタとして重宝された。緊急事態宣言が効果を発揮し、収束が明らかになった時点ではPCR検査の数など、どうでもよいことなのだが、テレ朝などのニュースショーは執拗に取り上げた。「グッド!モーニング」では心臓外科医の澁谷泰介氏に出演を依頼したが、渋谷氏は「無作為な大規模検査は現場としては全く必要としていない事をコメントしたが完全にカットされていましました」と述べている。さらに「次のコメンテーターの方の映像に変わっていき、だからPCR検査を大至急増やすべきだ!というメッセージの一部として僕の映像が編集され真逆の意見として見えるように放送されてしまった」そうである。今回は渋谷氏がSNSに書き込んだため表沙汰になったが(数日後、テレ朝は同番組で釈明)、このような手口はテレ朝ではごく普通なのであろう。
PCR検査は単純に多ければよいというものではない。PCR検査は精度に限界があり、感染者を正しく陽性と診断できる確率(感度)は70%程度、逆に非感染者を正しく陰性と診断できる確率(特異度)は99%-99.9%程度とされている。1000万人の都市で感染率が1%であった場合、感染者数は10万人、非感染者数は990万人となる。全員にPCR検査を行った場合、7万人は陽性とされるが、3万人は陰性と診断され堂々と野放しされる。逆に陰性なのに陽性となる人は特異度99%の場合99万3千人、特異度99.9%の場合でも9万9千人を感染者として隔離することが必要となる。まるで冤罪事件である。残念ながらとても現実的とは言えない。この程度の解説はネットを探せばいっぱいある。また新型コロナウイルスに特効薬はないので、感染者の早期発見が治療に有効とは言えない。
ニュースショーのキャスターやコメンテーターがこの程度のことを理解できない頭の持ち主ばかりだとは思いたくないが、事実はその可能性を示している。別の可能性として理解したまま、つまり嘘を自覚しながら主張している場合があるが、テレビの影響力を考えると、極めて無責任である。嘘が日常茶飯事の国では許されるかもしれないが、日本はそうではない。PCR検査などで誤った言説や誇張を用いて無理やり政府批判を繰り返した感が否めない。
安倍政権のコロナ対策は結果として十分な評価に値する。入国管理の遅れなど、いろいろ批判はあるし、未知の幸運に恵まれたこともある。しかし結果がすべてである。新型コロナウイルスの感染という初めての経験では、予測をして対策をとるという通常の手法が極めて困難である。感染状況の予測が難しいのである。さらに規制は感染拡大を抑制するが経済にも打撃を与える。両者はトレードオフの関係であり、最適解の判断が難しい。現在のところ、失業率など経済への悪影響に於いても他の諸国に比べ劣っているとは思えない。これはもう少し時間が経つと明らかになるだろう。
安倍政権にはプラス面もマイナス面もあるが、好意的に報道すれば高い支持率を実現できる可能性は十分にある。現在の報道姿勢は強い悪意があるようで、あまりにひどいと思われる。マスコミの頭は病気にかかっているように見える。第二次安倍政権7年半の評価も悪くないうえ、コロナ対策で成功しても、27%ではちょっと気の毒である。批判すべきものは批判してもよいが評価すべきものは評価するという態度、是々非々の態度がなければ政治家を志す人がいなくなるだろう。
公正・中立を欠いた批判を繰り返した結果、生まれたのが民主党政権であるが、それがどんな「悪夢」であったかは記憶に新しい。安倍政権が嫌でもよいが、安倍政権を倒し、それにとって代わる政権をマスコミは想定してるのだろうか。それが朝日が推す立憲民主党だとすればもう「悪夢」ではなく「地獄」を見ることになろう。報道の中立性が有名無実となっていることに我々は慣れてしまっているが、中立性は民主主義の重要な機能であり、改めて厳しい目を向ける必要があると思う。報道の偏りは放置できるレベルではない。
そのような観点に立てば、今回の政府のコロナ対策が果たして正当に評価されたのだろうかと検討する必要がある。もし間違った評価がなされたのであれば、その理由を探すことに意味があると思う。現在の安倍政権の最新の支持率27%(5/23毎日新聞 不支持64%-左派系メディアの調査は支持率が低く出る傾向がある)には検察庁人事の問題も含むので、すべてがコロナ対策の結果ではないが、支持率の低迷は検察庁問題の前から見られたから、評価の多くはコロナ対策の結果だと見てよい。
当然のことながら、まず疑うべきはマスコミであろう。支持する、しないを決める最大の要素はマスコミの情報であるから。中でもニュースショーの比重が大きい。例を挙げると、各局のニュースショーで好んで取り上げられたのはPCR検査の不足である。これが政権批判のネタとして重宝された。緊急事態宣言が効果を発揮し、収束が明らかになった時点ではPCR検査の数など、どうでもよいことなのだが、テレ朝などのニュースショーは執拗に取り上げた。「グッド!モーニング」では心臓外科医の澁谷泰介氏に出演を依頼したが、渋谷氏は「無作為な大規模検査は現場としては全く必要としていない事をコメントしたが完全にカットされていましました」と述べている。さらに「次のコメンテーターの方の映像に変わっていき、だからPCR検査を大至急増やすべきだ!というメッセージの一部として僕の映像が編集され真逆の意見として見えるように放送されてしまった」そうである。今回は渋谷氏がSNSに書き込んだため表沙汰になったが(数日後、テレ朝は同番組で釈明)、このような手口はテレ朝ではごく普通なのであろう。
PCR検査は単純に多ければよいというものではない。PCR検査は精度に限界があり、感染者を正しく陽性と診断できる確率(感度)は70%程度、逆に非感染者を正しく陰性と診断できる確率(特異度)は99%-99.9%程度とされている。1000万人の都市で感染率が1%であった場合、感染者数は10万人、非感染者数は990万人となる。全員にPCR検査を行った場合、7万人は陽性とされるが、3万人は陰性と診断され堂々と野放しされる。逆に陰性なのに陽性となる人は特異度99%の場合99万3千人、特異度99.9%の場合でも9万9千人を感染者として隔離することが必要となる。まるで冤罪事件である。残念ながらとても現実的とは言えない。この程度の解説はネットを探せばいっぱいある。また新型コロナウイルスに特効薬はないので、感染者の早期発見が治療に有効とは言えない。
ニュースショーのキャスターやコメンテーターがこの程度のことを理解できない頭の持ち主ばかりだとは思いたくないが、事実はその可能性を示している。別の可能性として理解したまま、つまり嘘を自覚しながら主張している場合があるが、テレビの影響力を考えると、極めて無責任である。嘘が日常茶飯事の国では許されるかもしれないが、日本はそうではない。PCR検査などで誤った言説や誇張を用いて無理やり政府批判を繰り返した感が否めない。
安倍政権のコロナ対策は結果として十分な評価に値する。入国管理の遅れなど、いろいろ批判はあるし、未知の幸運に恵まれたこともある。しかし結果がすべてである。新型コロナウイルスの感染という初めての経験では、予測をして対策をとるという通常の手法が極めて困難である。感染状況の予測が難しいのである。さらに規制は感染拡大を抑制するが経済にも打撃を与える。両者はトレードオフの関係であり、最適解の判断が難しい。現在のところ、失業率など経済への悪影響に於いても他の諸国に比べ劣っているとは思えない。これはもう少し時間が経つと明らかになるだろう。
安倍政権にはプラス面もマイナス面もあるが、好意的に報道すれば高い支持率を実現できる可能性は十分にある。現在の報道姿勢は強い悪意があるようで、あまりにひどいと思われる。マスコミの頭は病気にかかっているように見える。第二次安倍政権7年半の評価も悪くないうえ、コロナ対策で成功しても、27%ではちょっと気の毒である。批判すべきものは批判してもよいが評価すべきものは評価するという態度、是々非々の態度がなければ政治家を志す人がいなくなるだろう。
公正・中立を欠いた批判を繰り返した結果、生まれたのが民主党政権であるが、それがどんな「悪夢」であったかは記憶に新しい。安倍政権が嫌でもよいが、安倍政権を倒し、それにとって代わる政権をマスコミは想定してるのだろうか。それが朝日が推す立憲民主党だとすればもう「悪夢」ではなく「地獄」を見ることになろう。報道の中立性が有名無実となっていることに我々は慣れてしまっているが、中立性は民主主義の重要な機能であり、改めて厳しい目を向ける必要があると思う。報道の偏りは放置できるレベルではない。