人物の評価がこれほど極端に分かれることも珍しい。シリアから解放された安田純平氏のことである。まず英雄と持ち上げた極論の主、テレ朝の玉川徹氏の発言の概要を紹介する。
「民主主義といっても国や企業で権力を持っている人たちは、自分達の都合のいいようにやって隠したいんですよ。隠されているものを暴かない限り、私たち国民は正確なジャッジができないんです。それには情報がいるんですよ。その情報をとってくる人たちが絶対に必要で、ジャーナリストはそれをやっているんです。フリーのジャーナリストは命を懸けてやっているんです。一番危ないところに行かれているんですよ、安田さんは。
そういう人を守らないでどうするんだ。民主主義が大事だと思っている国民であれば、民主主義を守るためにいろんなものを暴こうとしている人たちを『英雄』として迎えないでどうするんですか」
民主主義には情報が不可欠→だからジャーナリストには大きい価値がある→命を懸けた安田さんは英雄。こういう論法だが、なんとも粗雑かつ単純である。反論するのもバカらしいくらいで、まるで小学生の議論のようである。これではジャーナリストならなんでもOKということになる。自分の仕事の価値を大きく見せたいだけではないか。意図的に間違った印象を伝える有害ジャーナリストだって存在する。
以下は10月27日のJ-CASTニュースに載った読者コメントだが、自己責任論の代表しているものの一つだと思うので以下に引用する。
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ビフォー
「俺たちの取材は自己責任なのだから、放っておいてくれ!」
「日本政府はすぐに『即刻退避しろ』と言ってくる。日本は、世界でも稀に見る臆病国家だ!」
「取材の邪魔をするな!」
アフター
「助けて~ 助けて~ 億単位の身代金払ってでもボクちん助けて~」
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このコメントの前半は2015年の、シリアで捕まる前の安田氏の発言『戦場に勝手に行ったのだから自己責任、と言うからにはパスポート没収とか家族や職場に嫌がらせしたりとかで行かせないようにする日本政府を「自己責任なのだから口や手を出すな」と徹底批判しないといかん』を受けたものだと思われる。
読者コメントの90%程度は批判的な自己責任論であり、安田氏擁護論はほとんどない。また玉川徹氏にも言えることだが、事情の一部しか判明していない段階で断定的な評価をするのは適切ではない。ただ、安田氏は今回が5回目という拘束のベテランであり、捕まる可能性が予見できたと考えられるにもかかわらず、誘拐・身代金保険をかけていなかったこと、またシリアに密入国した直後に拘束されるなど、計画に問題があったのではないかなど、気になる点がある。また300万ドルと言われる身代金が武装グループに渡ったとすると彼らの武装に使われる可能性があり、それはさらなる流血を招くかもしれない。従って現時点では多数派である自己責任論に納得できる点が多い。また安田氏が得た情報の重要さと日本が受けた被害の大きさも考量しなければならない。
安田氏についてはいずれ明らかになると思うが、テレ朝の玉川徹氏の発言についてはその異様さが明確になったと思う。マスメディア、ジャーナリストの価値は言われるまでもないし、危険地帯に行くジャーナリストにも尊敬できる方がいるのは分かる。しかし芸能ネタ専門のジャーナリストもいるし、紛争地域で何回も捕まってしまう人もいる。また従軍慰安婦の強制連行などという虚報を意図的に流すジャーナリストもいる。民主主義に邪魔なジャーナリストも数多くいる。ジャーナリストという概念を純粋化しているところに問題がある。純粋な概念として扱うから奇妙なことになる。中学生並である。どうやら玉川氏は多面的、緻密な思考が不得意な方らしい。
もし安田氏がジャーナリストとしての「信念」を貫き、来年あたり紛争地帯へ出かけてまた6回目の拘束を受け、身代金を要求される事態になったとしよう。玉川氏は彼をまだ英雄と呼ぶだろうか。玉川氏の理屈では捕まる回数が多くても英雄に変わらない筈だ。まさか英雄は拘束5回までとは言えまい。このような浅慮の人物を長年コメンテーターとして起用してきたテレ朝の見識もまた疑われる。テレ朝も同レベルなのだとすれば謎が解けるが。
「民主主義といっても国や企業で権力を持っている人たちは、自分達の都合のいいようにやって隠したいんですよ。隠されているものを暴かない限り、私たち国民は正確なジャッジができないんです。それには情報がいるんですよ。その情報をとってくる人たちが絶対に必要で、ジャーナリストはそれをやっているんです。フリーのジャーナリストは命を懸けてやっているんです。一番危ないところに行かれているんですよ、安田さんは。
そういう人を守らないでどうするんだ。民主主義が大事だと思っている国民であれば、民主主義を守るためにいろんなものを暴こうとしている人たちを『英雄』として迎えないでどうするんですか」
民主主義には情報が不可欠→だからジャーナリストには大きい価値がある→命を懸けた安田さんは英雄。こういう論法だが、なんとも粗雑かつ単純である。反論するのもバカらしいくらいで、まるで小学生の議論のようである。これではジャーナリストならなんでもOKということになる。自分の仕事の価値を大きく見せたいだけではないか。意図的に間違った印象を伝える有害ジャーナリストだって存在する。
以下は10月27日のJ-CASTニュースに載った読者コメントだが、自己責任論の代表しているものの一つだと思うので以下に引用する。
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ビフォー
「俺たちの取材は自己責任なのだから、放っておいてくれ!」
「日本政府はすぐに『即刻退避しろ』と言ってくる。日本は、世界でも稀に見る臆病国家だ!」
「取材の邪魔をするな!」
アフター
「助けて~ 助けて~ 億単位の身代金払ってでもボクちん助けて~」
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このコメントの前半は2015年の、シリアで捕まる前の安田氏の発言『戦場に勝手に行ったのだから自己責任、と言うからにはパスポート没収とか家族や職場に嫌がらせしたりとかで行かせないようにする日本政府を「自己責任なのだから口や手を出すな」と徹底批判しないといかん』を受けたものだと思われる。
読者コメントの90%程度は批判的な自己責任論であり、安田氏擁護論はほとんどない。また玉川徹氏にも言えることだが、事情の一部しか判明していない段階で断定的な評価をするのは適切ではない。ただ、安田氏は今回が5回目という拘束のベテランであり、捕まる可能性が予見できたと考えられるにもかかわらず、誘拐・身代金保険をかけていなかったこと、またシリアに密入国した直後に拘束されるなど、計画に問題があったのではないかなど、気になる点がある。また300万ドルと言われる身代金が武装グループに渡ったとすると彼らの武装に使われる可能性があり、それはさらなる流血を招くかもしれない。従って現時点では多数派である自己責任論に納得できる点が多い。また安田氏が得た情報の重要さと日本が受けた被害の大きさも考量しなければならない。
安田氏についてはいずれ明らかになると思うが、テレ朝の玉川徹氏の発言についてはその異様さが明確になったと思う。マスメディア、ジャーナリストの価値は言われるまでもないし、危険地帯に行くジャーナリストにも尊敬できる方がいるのは分かる。しかし芸能ネタ専門のジャーナリストもいるし、紛争地域で何回も捕まってしまう人もいる。また従軍慰安婦の強制連行などという虚報を意図的に流すジャーナリストもいる。民主主義に邪魔なジャーナリストも数多くいる。ジャーナリストという概念を純粋化しているところに問題がある。純粋な概念として扱うから奇妙なことになる。中学生並である。どうやら玉川氏は多面的、緻密な思考が不得意な方らしい。
もし安田氏がジャーナリストとしての「信念」を貫き、来年あたり紛争地帯へ出かけてまた6回目の拘束を受け、身代金を要求される事態になったとしよう。玉川氏は彼をまだ英雄と呼ぶだろうか。玉川氏の理屈では捕まる回数が多くても英雄に変わらない筈だ。まさか英雄は拘束5回までとは言えまい。このような浅慮の人物を長年コメンテーターとして起用してきたテレ朝の見識もまた疑われる。テレ朝も同レベルなのだとすれば謎が解けるが。