噛みつき評論 ブログ版

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共産党が綱領改定 やうやく中国批判へ

2020-01-26 22:11:37 | マスメディア
 特定の思想や宗教は現実認識に強い影響を与える。思想というフィルターを通じて見ると白いものが黒く、黒いものが白く見えたりする。世の中の争いの多くは利益の奪い合いと、この認識の違いによるためだと言っていい。認識が異なればそもそも話が通じない。先日、共産党が党の綱領を改定したが、そこには認識という点で学ぶべきものがある。むろん、反面教師としてだが。

 16年ぶりに改定された綱領では、中国を「社会主義をめざす新しい探求が開始された」としていた記述を削除し、「いくつかの大国で強まる大国主義・覇権主義は世界の平和と進歩への逆流となっている」とした。中国に対しては称賛から非難へと大きく変わった。そして一方、日米安保条約を廃棄し、アメリカ軍とその軍事基地を撤退させるとし、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる、と従来の主張を受け継いだ。

 大会決議では中国共産党について「人権侵害」に触れた上で「その行動は社会主義と無縁で、共産党の名に値しない」と厳しく指摘した。多数の自国民を殺害した天安門事件は30年も前のことで、今ごろ批判しても「いまさら」の感がある。認識能力の低さを証明するものだ。また安倍政権を「史上最悪の暴政の連続でこれ以上延命させてはならない」と批判した。

 中国の大国主義・覇権主義は平和への逆流であるとしているのであれば、中国を軍事的脅威と見ているのだと思う。しかし一方で日米安保を廃棄し、自衛隊解消を目指すと述べている。これは矛盾する。あるいは、中国は日本には手を出さないと確信できるのであろうか。そうならば根拠を示すべきだ。

 ともかく、中国の覇権主義は平和への脅威とみなすようになっただけでもマシだが、中国の危険が誰にもわかるようになった現在、以前のまま称賛していたのではさらに支持を失いかねない、という判断があったのかもしれない。しかし同時に日米安保を廃棄し、自衛隊解消を述べているわけで、わけがわからない。単なる延命策であって、党の認識の本質は変わらない可能性が強い。現実を正しく認識できない人達が政権を取ったら、失敗することはまず間違いない。侵略を狙っている国を友好国と信じたりするのだから。

 何が言いたいかというと共産主義思想が現実を正しく認識することをいかに妨げているか、である。安全保障問題だけではない。安倍政権を「史上最悪の暴政の連続」としていることも常識では理解できない。もっとひどい政権はいくつもあった。安倍政権からは埃も出ているが、比較的高い支持率がある。それを「史上最悪の暴政の連続」とするのはあまりにも一般の理解とかけ離れている。基本的な認識の違いがあると思わざるを得ない。まさか国語の表現能力の問題ではないだろう。

 人の認識は変わりにくい。変わるためには過去の認識の誤りを認めざるを得ない。自分の誤りを認めるのは嫌なものである。また苦労して変えた場合も転向者とか変節漢などと悪口を言われることを覚悟しなければならない。認識の偏りは政治やメディアなどに目立つが、元はと言えば戦後教育の所産でもある。教育の失敗の影響は末代にまで続く。困ったことに世代が変わるまでその影響は残る。改めて教育の大切さを思う。

経済より安全が大事、という詭弁

2020-01-19 22:11:39 | マスメディア
 広島高裁は17日、四国電力伊方原発3号機の運転差し止めを命じる決定を出した。4月に予定されている営業運転の再開はできない見通しだという。森一岳裁判長は「四電の活断層の調査は不十分」であり、また約130キロも離れた阿蘇山で大規模噴火が起きた場合の火山灰の噴出量を、少なく見積もりすぎているとし、安全性に問題がないとした原子力規制委員会の判断は不合理だと決めつけたそうだ。差し止めを申し立てたのは山口県のたった3人の住民である。この3人と弁護士、森一岳裁判長が伊方原発を止めたのである。

 一介の裁判長が安全性に対してまともな判断能力を持っているのか、はなはだ疑わしい。そもそも裁判所が原発運転の可否を決定できるという制度がおかしい。130キロも離れた火山の大規模噴火が原発に危険だという根拠がわからない。森一岳裁判長は原子力規制委員会を上回る知識や判断能力をお持ちなのか。こんな重大な判断が裁判長ひとりで、あるいは少数の取り巻きによってなされるのはおかしい。これでは「独裁」である。

 この判決に賛同した街の声のひとつをテレビが取り上げていた。「経済より安全が大事です」。テレビはこの声を街の声を代表するものと考え、自らも肯定したのだろう。経済より安全が大事という議論は一見、正しいように思える。そしてそれに反論すると、お前は安全よりカネが大事だというのか、カネの亡者か、との非難を覚悟しなければならない。

 しかし、これは詭弁である。この議論には基本的な欠陥がある。原発が経済上の利益をもたらすことは確実である。しかし安全を損ねるかどうかは確実ではない。その危険は10万分の1かもしれず、1億分の1かもしれない。原発の安全性を考えるうえで確率は欠かせない要素である。例えば旅客機の事故は運行200万回に一回程度だと言われる。また日本の交通事故による死者は年間4,000人弱で、事故率は旅客機より格段に高い。

 絶対の安全はあり得ず、事故確率を一定程度まで許容しなければ社会は成り立たない。従って原発の運転差し止めを決定するには事故確率の予想が間違っていることを具体的に説明する必要がある。こんな抽象論では駄目である。さらに経済か安全かの比較で言うと、原発の効用であるエネルギー安全保障、温暖化防止、電気料金の低下による産業競争力への貢献、これらの経済的利益を正しく評価する必要がある。経済的利益が少なければ許容されるリスクも小さくなるのは当然であり、逆も真である。

 失礼だが、裁判官がいかに偉くともこれらの複雑な問題を適切に検討するのは不可能だろうと思う。法曹界には左寄りの人間が比較的多い。従って原発に反対する人間が一定比率存在する。こういう人達は時々バカバカしい判決を出す。たいてい定年間近の、出世が望めない裁判官がやるという。ときに森一岳裁判長は64歳、定年退官まであと8日であった。失うものがない身の、捨て身攻撃である。

 仮処分は即時の効果があるため、害も大きい。裁判権の乱用である。そもそもこれは事故確率の問題、科学・技術的問題、経済問題であり、ほとんど法律問題ではない。裁判官に判断させる性格のものではないのである。仮処分は債権保全などの時によく使われ、原発のようなケースを想定して作られた制度ではないと思うが、是正するのは法律家の仕事である。法律家はゴマンといるのだが。

ゴーン氏を一様に批判する日本メディアの異様さ

2020-01-12 22:36:05 | マスメディア
 アラン・チューリング。英国の数学者であり、コンピーターの祖、さらにナチス・ドイツの暗号エニグマの解読に成功した人物である。とくに暗号解読によって第二次大戦の勝利に大きく貢献した功績は大きい。計算機科学のノーベル賞と言われるチューリング賞は彼の業績を讃えたものである。しかし、チューリングは1952年、同性愛で逮捕・有罪となり入獄か、化学的去勢を条件とした保護観察かの選択を迫られる。入獄を避け、女性ホルモンの投与を受け入れたが、2年後、自殺したとされる。41歳の若さであった。

 名誉回復の動きが起き、2009年、政府として正式な謝罪が表明された。死後50年以上が経過している。さらに2011年イギリス政府に対してアラン・チューリングの罪の免罪を求める21,000以上の署名が集まったが請願がなされたが、これに、法務大臣はチューリングが有罪宣告されたことは遺憾だが、当時の法律に則った正当な行為であったとしてこれを拒否した。法を優先する法務大臣らしい判断である。2013年になりエリザベス2世女王の名をもって正式に恩赦決定したとされる。

 偉大な業績を持つ人物であっても僅かな違法行為によって社会から葬られることは少なくない。百の功績と一の罪であっても、差し引き九十九で評価されることはない。その裏には成功者に対する嫉妬もあるのだろう。そして罪の基準は時代により、また国により異なる。つまり絶対的なものはない。イランやソマリアなどでは今でも姦通・不倫すると石打刑にされるそうである。そんな国には絶対住みたくないが、それでも法に従うことが正義なのである。

 さて本題はゴーン氏の事件である。逃亡以後の報道を見ていると、何故か日本のメディアのほとんどはゴーン氏に批判的である。その批判の主なものは、自分が正しいと言うなら、日本の裁判で証明すべきだ、というものである。けれどゴーン氏は日本の裁判の公正性が信用できないから逃亡したということなので、これでは批判にならない。まず公正であることを示す必要がある(人質司法・拘束期間の問題、弁護士の立会など)。また日本の司法しか知らない人が、日本の司法が欧米よりも公正であると言うことはできない。

 一方、ゴーン氏の主張する陰謀説が説得力を持つと思うのは、最初に逮捕された理由が有価証券報告書の虚偽記載、つまり報酬額の記載が間違っていたという、投資家に影響を与える粉飾決算なら別だが、逮捕されるような重罪に思えないからである。オウム事件の時、マンションでのビラ配りは建造物侵入、偽名での宿泊は旅館業法違反で逮捕された。微罪逮捕はやろうと思えばできるのである。西川元社長らも同罪の筈だが、こちらは司法取引のためか不起訴。ゴーン氏に対する他の容疑も日産の積極的な協力なしでは難しかったのではないか。ゴーン氏に対するクーデターという見方は十分な現実性がある。

 日産の幹部連中がゴーン氏の違法行為をしらみつぶしに調べ上げ、それを検察にチクったのであろう。司法取引があったとされるのはチクった方にも罪があったことを示している。ここまで進展したのは日産と検察の利益が一致したことが考えられる。しかし、どんな事情があるにせよ、ゴーン氏を追放する手段としては、実に汚い手法である。日産内部の争いなら内部で片づけるべきで、司法と共謀するのは見苦しい。この事件を報じたメディアの情報のほとんどは日産と検察から出たものであり、一方的なものであることに注意したい。その結果に沿ってメディアもゴーン氏を批判しているが、もうちょっと独自の調査、多面的な・見方ができないものか。無罪を主張している弁護士などもいるが、メディアがそれを取り上げることはない。

 一方、フランスの有力紙、フィガロの読者に対するアンケートで「ゴーン氏が日本から逃げ出したのは正しかったか」と尋ねたところ、77%が正しいと答えたそうだ。ウォールストリートジャーナルも好意的である。レバノンでの記者会見場では記者から何度も拍手が起きたという。海外でも批判的なメディアもあるが、日本と違うのは批判一色ではないことだ。日本のメディアは一色になるのが好きなようである。本当に自由な言論ができる国なのか、ちょっと気になる。報道の自由度ランキングで、日本は72位という変な順位を頂戴しているが、それがもっともらしく見えてくる。それは政府の圧力などではなく、過度の同調性や忖度、あるいは見識の不足によるものだと思うが。

 それにしても今回の逃亡劇は見事であった。16億円かかったそうだが、それに没収された保釈金15億円、計31億円のコストである。それでも敢えて実行したゴーン氏はよほど日本の司法が信じられなかったのだろう。もし私がイランや中国で逮捕され、その国の司法が信じられないなら逃亡を考える。日本の司法はイランや中国ほどではないが、欧米諸国との差はあるようだ。長期間の拘留、妻キャロルさんとの接見の長期にわたる禁止、弁護士の同席が許されないなど、ゴーン氏にとっては我慢できなかったのだろう。殺人などの重大容疑ならともかく、虚偽記載や背任などでこの処遇は素人の常識として腑に落ちない。

 ゴーン氏はリスクを冒して逃亡に成功した。勝者はゴーン氏であり、敗者は日本の司法である。日本は15億円をもらったのだから、つべこべ言わずあっさりと負けを認めた方がいい。ゴーン夫人の逮捕状をとるなど腹いせをしているようで見苦しい。勝負はついたのに、執拗に嫌がらせをやっていると、ゴーン氏の反撃を招くことになりかねず、さらに恥をかくかもしれない。日本の司法は国内だけにしか通用しないのである。

 アラン・チューリングの免罪要求に対して、当時の法律に則った正当な行為であったとしてこれを拒否した法務大臣は法の論理を重視した結果であろうが、謝罪や恩赦は法の論理よりも優先されるべきものがあったことを示している。むろんゴーン氏は清廉潔白の人物であるとは思っていない。叩けば多少の埃は出るだろう。ともかく日本におけるゴーン氏の功績を忘れて、日本中が批判一色になるのは恩知らずの汚名を着せらることになりかねない。

安全保障問題を報じないメディア

2020-01-05 22:10:24 | マスメディア
 週日の毎朝8時から、地デジ民放各局はワイドショーをやっている。少し前まではどこの局も「桜を見る会」ばかりをやっていた。他にも芸能人の違法薬物使用問題など、まあどうでもよい問題ばかり取り上げている。逮捕された芸能人たちに中毒者の印象はなく、ちゃんと仕事をこなしている姿にも違和感がある。とにかく、これを見ていると日本はまさに天下泰平、なんと平和な国なんだろうと思ってしまう。

 ところが、同じ時間に放送しているNHKのBS「キャッチ!世界のトップニュース」をみると全く別の世界が映し出される。戦乱、難民、飢え、人権抑圧、派遣争い、軍拡、など平和とは程遠い世界の現実である。むろん世界がすべてそうではない。平穏な状況はニュースにならないので、それは割り引く必要がある。それにしても地デジ各局の映し出す世界との差は驚くほどである。

 1月3日、イランの革命防衛隊の司令官がアメリカによって殺害され、直後に原油価格は約4%値上がりした。4%は戦争リスクが数値化されたものだと言っていい。そのリスクは日本経済がひっくり返るリスクでもある。ペルシャ湾からインド洋、南シナ海を経るシーレーンのどこかに戦争が起きれば日本は大混乱に陥る。エネルギー安全保障や食料安全保障に必要なシーレーン防衛が現実に可能かという問題は切実である。「桜を見る会」より重要なことがいっぱいある。

 日本の周辺国、中国の急拡大は言うまでもないが、北朝鮮、ロシア、そして韓国までが軍事力の増強に熱心である。とくに中国の国防費は約20兆円と日本の約4倍になった。韓国のGDPは日本の約1/3だが、国防費は日本とほぼ同じになった。日本の防衛予算はこの25年間、ほぼ横ばいであり、それは危機感の無さの反映である。日米安保のおかげでもあるが、いつまでもというわけにはいかない。彼我の軍事力の相対的な差の著しい変化に注目すべきである。

 軍事力の強化には莫大なコストがかかるにもかかわらず強化するのは明確な目的があるからである。攻撃しそうな国が近くにある場合、強い軍事力は戦争抑止力として働く。しかしそれ以外の場合、軍事力の使い道は攻撃か威嚇しかない。それが有益だと判断した上の軍拡なのである。

 周辺国がそろって軍拡に走ると、その先にどんな危険があるか、誰にでもわかる。問題はこのような国際環境の変化が十分報道されず、認識が広がっていないことである。むろん日本が攻撃を受けない可能性もある。しかし可能性が少しでもあれば対処するのが安全保障である。安全が敗れたときの被害が甚大であるからだ。

 世論形成にもっとも大きな影響力をもつ左派系テレビ・新聞の姿勢が日本が今後直面するであろうリスクを隠しているように思う。憲法9条を守っていれば平和が保たれるという妄想を信じる立場では、日本に攻めてくる国は存在しないと思わせる必要がある。従って安全保障のリスクを認識させるような姿勢は取りたくないわけだ。周辺国の軍事力強化も最小限の報道しかしない。

 しかし周辺国が挑発的行動に出たとき、慌てて抑止力を強化しようとしても間に合わない。左派メディアの妄想のおかげで日本はより大きな安全保障のリスクにさらされる。平和を愛する左派メディアのおかげで日本は悲惨な戦争の危険が増すことになる。実に皮肉な、有難迷惑な話である。