噛みつき評論 ブログ版

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国民投票という愚かな選択

2016-06-26 23:48:26 | マスメディア
 英国の国民投票は3.8ポイント差で離脱が勝り、EU離脱が決まりました。各国政府の反応には「英国民の選択を尊重する」といったものもありますか、これは公式のもので、本音は「バカなことやりやがって」と思っていることでしょう。世界中が金融パニックで大騒ぎ、本当は大きな迷惑だと感じている筈です。

 EU離脱か残留かはとても重大な問題です。その影響は長期・多方面にわたり、かつ複雑で予測が困難です。国民の多数決によってより正しい結論を得られるのか、大変疑問です。死刑の是非のような問題なら、国民投票で決めていもいいでしょうが、今回は問題の本質が十分理解されないまま判断された可能性が高いと思います。こんな難しく重要な問題を国民投票で決めようとした英政府の判断は疑問です。直接民主主義である国民投票は民主主義の良い面も悪い面も純粋な形で発現するので、危険も大きいわけです。

 投票行動を年齢別にみると18~24歳では66%が残留、逆に65歳以上では離脱が59%となって顕著な差があります。また教育水準別では中卒相当層が離脱61%、大卒層が残留68%とこちらも顕著です。離脱という結果は主として近いうちにいなくなる高齢者と低学歴層の判断によってなされたものと言えるでしょう。高学歴層が学んだであろう歴史や政治、経済などの知識は国の進路を決めるのになんら役立たなかったわけです。質ではなく、数がすべてなのです。

 投票は二つに一つ、どちらかに決めることが求められます。確かな意見を持たない人達も多いわけで、その判断はその時の気分次第であったかもしれません。また当日の悪天候が影響したという説明があります。残留が優勢という事前調査に安心して、投票に行かなかったのかもしれません。偶然にも左右される、まさにこんな民主主義は水物です。不安定で信頼できないものならば時間をおいて再投票という方法も必要でしょう。

 「今回の国民投票で英国民の多数が示した民意は、小差とはいえ明確だ」「23日、投票所で人々の声に耳を傾けると、EUへの反発と同時に、英政府や議会、『専門家』への根強い不信と怒りが聞かれた」

 これは離脱決定直後の25日、朝日の一面に載った解説文です。記事を書いた梅原記者は国民投票という手法になんの疑問も感じていないようです。もし差が0.1ポイントでも民意は明確だということでしょう。またこの記者の耳には、まるで3.8ポイント差を正当化するような離脱派の声ばかり聞こえるようです。もしトランプ氏が大統領になったら、国民が民主的に選んだのだと、この記者は尊重することでしょう。民主主義に基づいた決定も大事ですが、それよりも重要なことは正しい決定ができたかということです。「民主主義栄えて国滅ぶ」では元も子もありません。

 この混乱の後、どうなるかの予測は困難ですが、多くの国は経済的な悪影響を受けるとの予想されています。各国の株価の値下がりで、吹っ飛んだのは計約215兆円とも。たちまち株価の下落で多額の損失を出した人々も少なくないと思いますが、離脱に投票した英国民は「そんなこと知るか」というでしょう。けど彼らの判断が世界をパニックに陥れるのも現実です。我々の住む世界はずいぶんデリケートで不安定です。

 ところで24日の終値で日経平均は7.92%も下落しましたが、ドイツ(DAX)では6.82%、フランス(CAC)では8.04%、スペイン(IBEX35)では12.35%も下落したのに、震源地の英国(FT100)ではたったの3.15%です。周囲の迷惑の方が大きいってことでしょうか。

都知事と武士道

2016-06-20 09:04:51 | マスメディア
 文化人類学者ルース・ベネディクトによる日本文化論「菊と刀」は広く読まれた本です。西欧は内面的な罪の意識が規定する「罪の文化」であるのに対し、日本人のそれは「恥の文化」であるとされます。双方の規制効果は似ていますが、神の目はどこにもあるのに対し、恥の場合は他人から見られなかった場合、規制効果がありません。つまりバレなければやってしまおうというわけです。まあそれほど単純な話であるとは思いませんけれど。

 東日本大震災などで、被災者の秩序ある行動が世界から称賛されました。ということは、世界の多くの地域では相対的に利己的な行動が常識であるということなのでしょう。この理由について、日本人の「公」の意識の高さを挙げる意見があります。

 日本人の「公」の意識は武士階級の倫理である武士道が庶民階級にも影響を与えた結果であると司馬遼太郎は言っていたそうですが、理由はともかく、たいていの日本人は「公」を優先することを美しいと感じ、「私」を優先することを卑しいと思う感性を強く持っています。時代劇に出てくる武士道はかなり美化されたものと思いますが、精神のあり方として美しく、魅力的なものです。もろん、自由を制限される窮屈さもありますが。

 舛添氏の行動を見ていると、彼が「恥の文化」や「武士道」とはほど遠い人物であるように見えます。公私混同が明確になってからもそれを恥じる様子は見られず、見苦しく言い逃れる行動ばかりが目立ちました。公私混同がひどいこと自体、公に対する意識の低さを示しています。

 舛添氏は日本の古い文化の影響をあまり受けなかった新人類かもしれません。それは「私」に対し「公」を軽視した戦後教育をしっかり学ばれた結果かもしれません。たいへん成績優秀な方であったそうなので。

 一方、舛添氏が辞任の意思を示された後、都議会の共産党は百条委員会を設置してさらに舛添氏を追及する姿勢を示しました。負けを認め、地位を去る決断をした敗将をなおも厳しく追討しようとする姿勢を私は見苦しく感じます。問われたのは知事としての資質であり、金銭疑惑は少額です。追討の必要など、あるとは思えません。辞任だけで十分であり、失意の人間をこれ以上追討することは美しくありません。

 また、左派系テレビのなかに、共産党と同様、追討すべきだというキャスターが半数程度いたように感じました。見苦しいことを見苦しいと感じない人たちなのでしょう。共産党も左派のキャスターも戦後教育の優等生なのかもしれません。

 舛添氏を知事にした責任は誰にあるのでしょうか。推薦した自民・公明と、選挙で投票した都民、それにマスコミでしょうけど、都民はマスコミの出す情報に従っただけですからマスコミの責任は重大です。舛添氏は自民党が政権を失った翌春に離党するという信頼を損なうような行動がありましたが、問題視されませんでした。不正確な情報が選挙結果を招いたのは間違のない事実です。しかし今回、それに関する謝罪は一切ありません。投票した都民の責任だ、と言わんばかりです。

 舛添氏の不都合な事実を最初に伝えたのは週刊誌で、はるかに強力な取材能力をもつ新聞・テレビは無能でありました。彼らがしたのは問題が発覚してからの付和雷同だけでした。責任を感じることもなく、面白くしかも長持ちする最高のネタが努力もせずにとれたと、手放してでお喜びのことでしょう。

賢いのかアホなのか

2016-06-13 09:03:01 | マスメディア
 キャラクターとして見ると舛添都知事はとても興味深い人物です。東大法学部卒、学者、評論家、参院議員、そして都知事という経歴は類まれな有能さを物語ります。しかし今回の公私混同疑惑後の対応は自ら危機を拡大しているように見えます。過去の有能さとの不釣り合いが気になります。

 疑惑への対応は素人目からも拙く、まるでメディアや世論の反応が予測できないかのように見えます。他人の心が読めないようです。自尊心のため、あるいは自らの無謬性を示すためでしょうが、説得力のない強弁を重ねてきました。そして弁解のたびに批判は高まってきました。

 記者会見などでは記者の質問に対して答えにならない回答をしていたのが目立ちました。正月のホテル内の「会議」に関して、夫人は事務所関係者なのかとの質問に対し「妻は家族です」と答えました。これでは答えになっていません。このような答えが多数ありましたが、記者の質問も切れ味を欠いていたように思います。記者ははぐらかされたようで、不満が鬱積したことでしょう。

 自称「第三者」の佐々木善三弁護士らの会見も茶番のようなものでした。記者の「関係者とはだれですか」との質問に「関係者は関係者ですよ」とこれまた答えにならない回答をしました。この弁護士の不遜な態度もまた舛添氏への批判に油を注いだ形となったようです。形は第三者でも実質は舛添氏の擁護が佐々木氏の仕事の筈ですが、愚かにも逆の結果を招きました。舛添氏も佐々木氏も人心を読むのが不得手のようです。実質的には守勢という自分の立場がわからず、記者を怒らせるような人物はミスキャストであります。

 舛添氏は佐々木氏に応援を求めた結果、二人が協力してマスコミを怒らせた結果になったようです。ほぼすべてのマスコミが舛添氏を批判することになり、それは97%が舛添氏の説明に納得しない、約80%が知事をやめるべきとの世論に結びつきました。まさに四面楚歌ですが、もし疑惑の事実は同じでもマスコミの感情が異なっていたらこの数値は大きく変わっていたかもしれません。都知事は都民の負託を受けている立場ですから、この意味は大変大きいわけです。

 ここまで多数者が知事を批判する側になれば、知事を擁護することには非常な勇気が必要です。進退問題であれば舛添氏の過去の功績も考慮する必要がありますが、それが表に出ることはなくなります。一種の雪崩現象とも呼べる現象です。

 それにしてもあれだけの長時間、記者の質問に対し、答えにならない回答を続ける忍耐強さには脱帽です。たいていの人なら質問に対し、故意に見当違いの答えをするには心理的な抵抗を感じます。自分が論理から外れていることを自覚せざるを得ないからです。嘘をつくことにも似ています。これらの抵抗をもたない人を不誠実と呼ぶのでしょう。舛添氏は自らの演出によって自分の不誠実さを明白にしたという皮肉な結果になりました。

言わなきゃいいのに

2016-06-05 23:48:13 | マスメディア
 舛添都知事の所業がメディアを賑わせていますが、いかに叩かれようとも安心して見物できます。当人が厚顔無恥の模範のような方であるからです。しかし北海道で起きた児童の行方不明事件は彼が山中で経験したであろう寒さや飢え、恐怖、そしてご両親の心痛を思うと冷静にはいられませんでした。そしてご両親の行為は決して特別なもの、責められるべきものとは思えません。

 きっかけが偶然でなく、しつけという積極的な行動であっただけに、ご両親、とくに父親がご自分を責める気持ちが強く、激しい後悔の念に苛まれておられたことは容易に想像できます。こんな状況において、脳心理学者の茂木健一郎氏と教育評論家の尾木直樹氏が父親を激しく非難していたことを知りました。

 茂木氏は「これは『しつけ』ではありません。『保護責任者遺棄罪』(刑法218条)という犯罪です。ぼくはそもそも『しつけ』という日本語が大嫌いです。『しつけ』という言葉を使う人も嫌いです」と書かれたそうです。

 尾木氏は、「(本当に置き去りなのか)疑いたくなってしまいます」
「(両親は)警察にも間違いなく逮捕されることでしょうね」
「悪いしつけの見本です。虐待とは『子供のためといいながら、親の気持ちを満足させるため』…」と書いています。・・・お二人とも罪人を作るのがお好きのようです。

 愛する子を失うかもしれない状況で、失意のご両親は彼らの心ない批判をどのように受け取られたのでしょうか。悲嘆、後悔、自責、これ以上の苦しみはないほどの状態に置かれていたと思われます。彼らの行為はその気持ちをさらに踏みにじるものです。きっと鬼でもためらうことでしょう。

 ご両人ともこの事件を保護責任者遺棄事件として理解されていたようです。一般の人々はご両親に同情はすれども、非難の気持ちはなかったと思います。報道から得られたほぼ同じ情報からこのお二人は大多数の人とは異なる異常な理解をしたことになります。しかもその理解の確認もしないうちから、断定的な判断を公表しました。彼らの浅薄な思考方法に疑問を持たざるを得ません。

 それがご両親を深く傷つけるであろうことは誰でも予想できます。ご両親の置かれた立場やその気持ちを理解する能力、共感能力に問題があるのではないか、と疑ってしまいます。殺傷やいじめなど、世にはしばしばひどい事件が起きますが、それは共感能力の欠如が関係していることが少なくないと思います。これは単なるミスではなく、判断能力に関わる資質の問題でしょう。こういう人たちが裁判員になって、裁かれたらたまりません。きっと罪人が大量生産されることでしょう。

 もし不幸にして彼らが信頼されていたなら、彼らの言説が世論を動かし、捜索の終了や縮小を早めた可能性があります。場合によってはそのために児童は助かる筈の命を奪われたかもしれません。不確かな憶測に基づいた意見が実害をもたらすこともあるわけです。彼らを有名にしたのはマスコミですが、このような人物を多用するテレビの見識にも疑問が生じます。

 こんなこと言わなきゃよかったのに、と思いますが、彼らは黙っていられないのでしょう。マスコミによって有名人になり、自分を偉大だと思いこんで、発言されたのでしょうか。それはともかく、幸いにも児童は無事発見され、彼らの誤りが明らかになったわけですが、ご両親にどう謝罪するのか、気になるところです(追記 尾木氏は謝罪したそうです)。