塩野七生氏は代表作「ローマ人の物語」の終わりに次のような意味のことを書いている。「この巻を書くために必読とされている研究書歴史書を一応勉強したが、同時代か、百年ぐらいしか違わない時代に生きた研究者たちの著作に何となくしっくりこないものを感じていた私に、まるで素肌にまとう絹衣のように自然に入ってきたのが、これら三人のギリシャ人の史観なのであった」と。
三人のギリシャ人とはポリビウス、プルタルコス、ディオニッソスのことで古代の人物である。「なぜ二千年も前に生きた人間のローマ観の方が、私にはしっくりくるのか。この問題は、私をずいぶん長い間考え込ませた」と述べ、その理由を四点に要約できるとしている。
第一はローマの興隆の因を精神的なものに求めなかった。
第二は、彼ら三人はキリスト教の普及以前に生きたのだから当り前にしても、私もまたキリスト教信者ではないということである。
第三は、これまた知らないで死んでしまった彼ら三人には当然の話にしても、フランス革命によって打ち上げられた自由・平等・博愛の理念にこの人々は少しも縛られていないという点である。(第四は省略)
引用が長くなったが、何が言いたいかというと、第二と第三は、歴史を理解する上でキリスト教などの宗教、自由・平等・博愛などの理念は障害になるということであろう。現代や中世の価値観や理念を持ち込めば歴史を見誤る可能性が高くなるというわけである。塩野氏の指摘は大変興味深いものであり、これは歴史認識のみならず、政治や社会の認識にまで一般化してよいと思う。まことに重要な指摘である。
戦勝国が自国に都合がよいように歴史を意図的に改変することはよくあるが、これは意図的・自覚的な行為である。しかし宗教や自由・平等・博愛などの理念によって認識が変わるのは意図的でなく、自覚的でもない。本人はごく自然に考えているという無意識こそが厄介なのである。
オウム真理教などの宗教がもつ世界観・歴史観には荒唐無稽なものが多い。キリスト教は大きな影響力を持つが、信者はいまだに世界は神が創ったという創造説を信じているそうだ。彼らの反対のため、アメリカのハイスクールの半分ほどは進化論を教えられないという。妄想のような思想、異様な価値観からは異様な歴史観や非現実的な現状認識が生まれるのは当然であろう。
左派の人たちはなぜ現実の世界を見ようとしないのか、ということが以前から気になっていた。九条があれば平和が保たれるといった議論は、日本を攻撃する可能性のある国が全くないという条件でのみ有効である。しかし現在は中国と北朝鮮が存在する。けれどこの現状の変化を理解しようとしない。
戦後、戦争を始めた悪い日本に対して、外国は「平和を愛する諸国民(憲法前文)」という考え方が定着した。また米国の比較的寛容な占領政策にもかかわらず、反米と共産主義に対する憧憬が知識階級を中心に広まり、共産国は侵略戦争をしないと信じられた。現在、脅威になっている中国と北朝鮮は共産国家であるがどちらも軍事力の増強に努力を惜しまない国々であり、中国やロシアは侵略の実績をもつ。
戦後、広く浸透したこうした理念が現実を見えなくしていると考えればある程度は納得がいく。但し、ある程度である。たとえ理念によって目を曇らされたとしても、九条があれば平和が保たれるという非常識な認識に至るのは無理があるように思える。現実を理解するのは中学生でもできることだからである。とすれば歴史に関する驚くほどの無知が同時にあるのだろうか。しかし九条を金科玉条のごとく考えている朝日新聞が無知ぞろいというのもちょっと考えにくいことである。やはり朝日経といわれるように宗教的情熱で頭がやられた結果なのだろうか。どちらにせよ、現実を冷静に客観視するのは簡単なことではないらしい。
ひとつの例を挙げる。2月23日、トランプ大統領は「制裁に効果がなければ第2段階に移行せざるを得ない」、「第2段階は手荒な内容になる」と警告、(実行されれば)「世界にとって非常に不幸な事態となる」と述べたことが報道された。これは戦争の予告とも考えられるものだが、ざっと調べた限り、朝日新聞は制裁の強化だけを載せ、この警告を載せなかった(他の主要紙は掲載)。米国の方針を示す重要なメッセージであるにもかかわらずである。朝日の特殊な歴史観、現状認識のためであろう。それ故、日本が始めなくても身近に戦争が起こるかもしれないという現実を隠したいのであろうが、困ったウソ新聞である。
三人のギリシャ人とはポリビウス、プルタルコス、ディオニッソスのことで古代の人物である。「なぜ二千年も前に生きた人間のローマ観の方が、私にはしっくりくるのか。この問題は、私をずいぶん長い間考え込ませた」と述べ、その理由を四点に要約できるとしている。
第一はローマの興隆の因を精神的なものに求めなかった。
第二は、彼ら三人はキリスト教の普及以前に生きたのだから当り前にしても、私もまたキリスト教信者ではないということである。
第三は、これまた知らないで死んでしまった彼ら三人には当然の話にしても、フランス革命によって打ち上げられた自由・平等・博愛の理念にこの人々は少しも縛られていないという点である。(第四は省略)
引用が長くなったが、何が言いたいかというと、第二と第三は、歴史を理解する上でキリスト教などの宗教、自由・平等・博愛などの理念は障害になるということであろう。現代や中世の価値観や理念を持ち込めば歴史を見誤る可能性が高くなるというわけである。塩野氏の指摘は大変興味深いものであり、これは歴史認識のみならず、政治や社会の認識にまで一般化してよいと思う。まことに重要な指摘である。
戦勝国が自国に都合がよいように歴史を意図的に改変することはよくあるが、これは意図的・自覚的な行為である。しかし宗教や自由・平等・博愛などの理念によって認識が変わるのは意図的でなく、自覚的でもない。本人はごく自然に考えているという無意識こそが厄介なのである。
オウム真理教などの宗教がもつ世界観・歴史観には荒唐無稽なものが多い。キリスト教は大きな影響力を持つが、信者はいまだに世界は神が創ったという創造説を信じているそうだ。彼らの反対のため、アメリカのハイスクールの半分ほどは進化論を教えられないという。妄想のような思想、異様な価値観からは異様な歴史観や非現実的な現状認識が生まれるのは当然であろう。
左派の人たちはなぜ現実の世界を見ようとしないのか、ということが以前から気になっていた。九条があれば平和が保たれるといった議論は、日本を攻撃する可能性のある国が全くないという条件でのみ有効である。しかし現在は中国と北朝鮮が存在する。けれどこの現状の変化を理解しようとしない。
戦後、戦争を始めた悪い日本に対して、外国は「平和を愛する諸国民(憲法前文)」という考え方が定着した。また米国の比較的寛容な占領政策にもかかわらず、反米と共産主義に対する憧憬が知識階級を中心に広まり、共産国は侵略戦争をしないと信じられた。現在、脅威になっている中国と北朝鮮は共産国家であるがどちらも軍事力の増強に努力を惜しまない国々であり、中国やロシアは侵略の実績をもつ。
戦後、広く浸透したこうした理念が現実を見えなくしていると考えればある程度は納得がいく。但し、ある程度である。たとえ理念によって目を曇らされたとしても、九条があれば平和が保たれるという非常識な認識に至るのは無理があるように思える。現実を理解するのは中学生でもできることだからである。とすれば歴史に関する驚くほどの無知が同時にあるのだろうか。しかし九条を金科玉条のごとく考えている朝日新聞が無知ぞろいというのもちょっと考えにくいことである。やはり朝日経といわれるように宗教的情熱で頭がやられた結果なのだろうか。どちらにせよ、現実を冷静に客観視するのは簡単なことではないらしい。
ひとつの例を挙げる。2月23日、トランプ大統領は「制裁に効果がなければ第2段階に移行せざるを得ない」、「第2段階は手荒な内容になる」と警告、(実行されれば)「世界にとって非常に不幸な事態となる」と述べたことが報道された。これは戦争の予告とも考えられるものだが、ざっと調べた限り、朝日新聞は制裁の強化だけを載せ、この警告を載せなかった(他の主要紙は掲載)。米国の方針を示す重要なメッセージであるにもかかわらずである。朝日の特殊な歴史観、現状認識のためであろう。それ故、日本が始めなくても身近に戦争が起こるかもしれないという現実を隠したいのであろうが、困ったウソ新聞である。