噛みつき評論 ブログ版

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モラル崩壊を先導する鳩山首相

2010-03-29 09:53:38 | Weblog
 トップに立つものが「模範」を示すと影響はどのように広がるか、ということを考える貴重な事例を鳩山首相は提供して下さいました。長年の積み重ねによって形成されたモラルが、たったひとりの行為によって崩れていく過程を学ぶのに良い機会だと思います。

 先頭を切った鳩山首相、小沢幹事長、小林議員は秘書などの逮捕にもかかわらず、知らぬ存ぜぬとして、辞任はむちろん、納得のできる説明すらありません。そしてこの「民主党方式」は3回の事例を経て、すっかり定着した観があります。次に同様なことが起こっても恐らく同じ方式が採用されることでしょう。

 説明するまでもありませんが、同様の事件で誰かが辞任すれば「では首相や幹事長はなぜ辞めないの?」ということになるからです。つまり責任をとって辞める行為は首相らの立場を危うくしてしまうことになり、「辞めない」「説明しない」のが「正しい」対処法となります。

 近い将来、民主党が野党になり、与党議員の秘書などが逮捕されたとき、鳩山氏はかつてのように「秘書の罪は議員の罪」として与党議員に辞職を迫れるでしょうか。言葉が軽いと定評のある鳩山氏でもさすがにそこまでは難しいでしょう。当然、追求の矛先は鈍ることになり、辞任なし・説明なしの「民主党方式」が他党にも広がり、議員達は枕を高くして眠ることができるようになるでしょう。たしかに「友愛精神」ですが。

 このような傾向が政治の世界に留まるという保証はありません。官僚組織や企業にも広まるかもしれません。問題を起こした者が「首相と同じことをやって何が悪い」と言えば説明責任を問うことすら難しくなります。

 予想される最悪の事態は民主党が参議院選挙に勝ったときに訪れます。おそらく「秘書の逮捕などを含めた上で国民が支持してくれたのだからなんら問題はない」と主張することでしょう。この奇妙な理屈は以前にも使われました(相対的に得票が多かっただけでは国民が全てを認めたことにはならないと思いますが)。

 ここに至ると、辞任なし、説明なしの「民主党方式」は日本社会に定着するかもしれません。たいへん困ったことです。またこの日本のリーダーは「平成の脱税王」という異名を冠せられたように、約11億円の贈与税を申告していなかっただけでなく、株取引でも約7200万円の譲渡益を申告せず、納税のモラルにも少なからぬ影響を与えました。

 リーダーシップに欠けると評価されている鳩山首相ですが、なかなかどうしてモラルの「革新」に於いては立派にリーダーシップを発揮されているようです。

Windows7とソフトの肥大

2010-03-25 10:18:39 | Weblog
 Vistaは重いという評判でしたが、Windows7は軽いというので、試してみたくなりました。静かなPCが少なかったため、今までは自作が多かったのですが、Windows7をプリインストールされたPCが割安なので、XPへのダウングレード権つきのメーカー製PCを購入しました。

 XPからVistaを飛ばしてWin7への移行ですが、軽快さはXPとほぼ同等と言った感じです。モニターをつなぐと解像度を自動的に合わせてくれるとか、メールアカウントの設定が簡単になったことなど、いろいろと便利になっています。

 ところが休止状態やスタンバイからの復帰時、HDDへの連続的なアクセスがあり、安定するまで数分間を要します。調べると、同様の例があり、これが異常というわけではなさそうです。私はそのアクセス音とレスポンスの低下が気になって、いろいろとシステムの設定を変えてみたところ、アクセス時間は少し短くなったものの、動作が一部おかしくなりました。これは設定を戻しても直らず、再インストールしか手がなくなり、ついに面倒になってXPに戻したというのが結末です。他にも解決できない不安定な部分があったことも理由のひとつでした(むろんこれらは特定の条件下の問題である可能性があります)。

 現在のXP(Pro SP3)は起動は約30秒、休止からの復帰は16秒、スタンバイからの復帰は約3秒とWin7に比べても十分満足できるレベルで、安定性も十分です。先々代のOSであるXPをインストールしたPCがいまだに販売されていることはXPの完成度の高さを意味するのでしょう。

 意外だったのはWin7のWindosフォルダーが占有するHDDの領域の大きさで、約15GBあります。XP(SP3)は約1.3GBですから、10倍以上です。むろん15GBの中には膨大な数のデバイスドライバーが収められていたりして、単純な比較はそれほど意味がないのですが、それにしてもこのシステムの占有量の大きさには驚きました。

 25年ほど前、初期のMS-DOSのシステムは1.2MBのフロッピーに収まり、しかもその多くを日本語変換の辞書が占めていました。そしてHDDの普及後は性能の低い当時のPCでも起動は早く、15秒程度であったと記憶しています。当時から比較するとCPUの性能、搭載しているRAM、システムが占有するHDD容量はいずれも1000~10000倍というオーダーになっているようです。

 ところがCPUやHDDなど、ハードの性能向上のめざましさとは逆に、起動時間は長くなってきました。しばらく使い込んだPCでは起動に3分間というのも珍しくありません。システムの肥大がハードの性能向上を上まわったわけで、Vistaはその最たるものと言えるでしょう。数秒で起動するような、もっと小規模で軽快な基本ソフト(OS)が出てこないものかと思うのですが、あまり期待できそうにありません。

 ここに興味深い資料があります。機器に組み込まれたソフトウェアの規模の急激な拡大を示した経産省の資料日本のモノづくり力の源泉である組込みソフトウェアです。

 自動車や携帯電話などに組み込まれるソフトウェアの大規模化は凄まじいものがあります。自動車や携帯電話などのプログラムは500万~1000万行、金融機関のシステムでは6000万行余り、と気が遠くなるような規模で、数年で5~10倍と急激な増加傾向を示しています。しかも増加を表す曲線は対数関数のように増加率が大きくなっていて恐ろしくなるほどです。

 鉄道の改札システムが不具合を起こして復旧に手間取ったり、金融機関の業務統合がシステムの問題のために何ヶ月も遅れたりしたことがありましたが、複雑になるほど欠陥(バグ)を見つけるのは難しくなります。便利さや快適さを求めるためでしょうが、はたしてこんなに複雑にしてちゃんと管理できるのかと、少し心配になります。

選挙不信の理由

2010-03-22 09:52:29 | Weblog
 私は選挙というものをあまり信じていません。むろんなければ困るものですが、選挙結果はマスコミが作り出したイメージの一時的な反映であり、移ろいやすく、信頼できるものとは思えないからです。わずか半年前に国民の圧倒的な支持を受けて誕生した現政権の混乱はその優れた例証となるでしょう。有権者は民主党の実像を支持したのではなく、マスコミが描いた虚像を支持したわけです。

 鳩山内閣の支持率の低下傾向が続いています。民主党の生方副幹事長の解任劇は自党の看板に「独裁」と「言論封殺」の文字を自ら書き込んだようなもので、執行部の見識と能力を疑うに十分です。支持率低下の原因にはいろいろあるでしょうが、そのもっとも大きなものは「ツートップ」の「政治と金」問題であるとされています。しかし、政権に対する評価はその政策を中心にしてなされるべきであり、「政治と金」問題が政権評価の最重要事になるのは少しおかしいと思います。

 特定の企業や労組から頂戴するなど、金の集め方に少々問題があっても立派な政治を実現する有能な政権は、いかに清廉潔白であっても無能な政権よりも、国民のためには余程よいわけです。ここで鳩山政権を擁護しているわけではありません。金の集め方に問題があって、かつ無能な政権なら最悪です。

 有権者はマスコミというフィルターを通してしか政治を見ることができません。したがって有権者の意識はマスコミ報道の反映と考えられます。このフィルターを通過するとき、現実はいろいろと加工されます。「政治と金」問題が支持率を大きく低下させたということは、この問題が他の問題よりも重視されたためで、それは大きく報道された結果である、ということができます。

 「政治と金」も大事な問題ですがあくまで間接の問題です。政策の立案と実行は政治の目的そのものですから、なによりも重要です。しかしマスコミの扱いは「政治と金」などのネガティブなものに重点が置かれます。恐らく、それがわかりやすく、スキャンダラスな話題であるためでしょう。反面、政策や方向性などポジティブな部分に向けられる報道が相対的に少なくなります。

 その結果、「政治と金」などネガティブな事柄が支持率を大きく左右し、さらには選挙結果を左右することになります。マスコミが頼まれもしないネガティブキャンペーンをやっているようなものです。

 昨年の総選挙で民主党が掲げたマニフェストは既に財源の点に不安がありました。無駄をなくすることで16兆円余りを捻出するということに対しては当時から疑問視する見方があり、リーマン後の不況で税収が大きく落ち込むことも予測可能でしたが、マスコミが問題視することはありませんでした。

 政治がかかわる問題は複雑で多岐にわたります。マスコミが政党の掲げるマニフェストを適切に分析・評価してわかりやすく報道しなければ、有権者が十分理解するのは困難だと思われます。政党と有権者の間にマスコミというフィルターがあり、ここに恣意性の入りこむ余地のあることは避けられません。

 マスコミがより的確な分析能力を備えていれば、政党は実現できないような安易なマニフェストをつくることができなくなります。政治のレベルは国民の民度によって決まるなどと言われますが、それ以上にマスコミのレベルによって規定されると言えるのではないでしょうか。

男の道具好き

2010-03-18 07:03:22 | Weblog
 「奴はすごい再生装置を持っているけどLPは2~3枚しかない」。これはむかしオーディオマニアを揶揄するのに使われた言葉です。

 古くからオーディオマニアという種類の人は存在します。私はかつて少しだけその世界を覗いた程度ですが、彼らは再生装置に凝りまくるのが特徴です。ピンからキリまで様々ですが、中にはアンプやスピーカーに数十万円~数百万円を投じたり、重量が何トンもあるコンクリート製のスピーカーを作ったりと、金と時間を惜しまない人もいます。

 しかしほとんどが男であり、女のオーディオマニアを見たことがありません。この傾向はパソコンの世界でも同様です。現在は夥しいフリーソフトが出回っており、優れたソフトも多いのですが、作者の多くは男です。フリーソフトの大部分は営利目的ではありません。恐らく、作ること自体に多くの満足を得ているのでしょう。

 パソコンを自作し、オーバークロック(CPUの動作周波数を規定以上に高くすること)で無理に性能を上げたりして、なにかに使うのではなく性能の高さそのものを追求したりするのもやはり男の独断場です。

 どうやら目的よりもそのための手段である道具に強い関心を示すのが男の特徴ではないかと思えてなりません。よく言われる手段の目的化と同様です。むろん根拠のある話ではなく私の推測ですが、道具がもたらすであろう未来の可能性を楽しむところが大きいと思います。

 大作曲家に女はいないなど、性差を感じることはいろいろあります。しかし少し前まで、性差は生来ものでなく文化的に作られたものだ、という議論が横行していて、もっともらしい理由までつけられていました(ボーボワールなど)。今から思うとよくこじつけたものだと思います。

 男は道具を作る人、女はそれを使う人、ということになるでしょうか。
 

弁護士は多ければよいのか?-新聞の不勉強度

2010-03-15 09:47:33 | Weblog
 司法試験の合格者を年3000人から1500人程度に削減することを主張した宇都宮健児氏が日弁連の新会長に決まったことを受け、読売、日経、朝日、産経の各社は3月11日から12日にかけて一斉に社説でこの問題を取り上げました。それがまるで申し合わせたように同じ主張をしています。

 司法制度改革の目的、「司法を国民に身近で利用しやすいものにする」ことを実現するために弁護士を増やす必要がある、にもかかわらず、それを減らそうとするのは、特権的職業集団の利益を守るためであり、認めることはできない、というのが各紙に共通した「筋書き」であります。したがって各紙とも増員を続けるべきだと主張します。

 弁護士という職業集団の利己主義を指摘するこの筋書きは大変わかりやすいのですが、いくつかの疑問点が浮かんできます。まず年3000人という司法制度改革の目標数値を無条件に前提としている点が問題です。私の知る限り、3000人という数値に明確な根拠はありません。日本に於ける弁護士の人口比率が外国に比べかなり低いということが論拠になったようですが、1000人がよいのか、あるいは5000人がよいのか、誰も明確な答を出せるものではありません。社会の違い、国民性の違いなどは数値化できるものではないからです。3000人という数は、恐らく大勢の「賢い人」が集まって「真剣な討議」を重ね、「当てずっぽう」で決めたのでしょう。

 明確な根拠のないものは無条件の前提とせず、推移を見ながら副作用などの状況を観察して変えていくのがまともなやり方です。年3000人を無批判に前提とする態度はあまりにも硬直的であり、愚かなことです。

 司法試験の年間合格者は500人前後の時代が長く続いてきました。それに比べると3000人は約6倍です。弁護士数はこの10年間で約1万人増加し、2万8千人となったそうですが、率にすると約55%の増加です。「司法を国民に身近で利用しやすいものにする」というお題目はたいへん立派なもので、反対しようのないものですが、既に質の低下と就職先の不足という問題が顕在化しています。

 昨年の司法試験の合格者は2135人であり、目標の3000人にはまだ到達していませんが、3000人を合格させ、そのまま継続すればやがて弁護士数はかつての6倍に近づきます。55%の増加だけで質の低下と仕事不足という綻びが起きているわけで、6倍になるとさらに深刻な状況になることは十分予想できることです(合格者は91年から漸増傾向にあるため10年前を基準にすると6倍弱となります)。

 朝日や読売は、質の低下の問題は法科大学院の改革によって解決すべきとしています。しかし教育による質の向上は限定的であり、それよりもいかに多くの優秀な人間が司法試験を目指すかによって左右されます。大幅な増員によって将来激しい競争が起き、弁護士という地位に不安が生じれば弁護士を目指す優秀な人間は減少するでしょう。

 「競争によって、弁護士全体の質も高まるのではないだろうか(読売)」という主張もずいぶん楽観的に過ぎます。競争が商品やサービスの質を高めるというのは一般的には正しいのですが、弁護士の業務についても同じでしょうか。パンやシャツを選ぶように、弁護士サービスの質と対価を一般の人が依頼の前に評価するのは困難ですから、最適な選択ができるとはいえません。

 また次の朝日の社説の主張は「出色」です。
「司法制度改革は経済界や労働団体、消費者団体など幅広い国民の要請をうけ、日弁連、法務省、最高裁の法曹3者で進めてきた経緯がある」
「就職難をいうなら、法曹資格者の民間企業や官公庁などへの進出をどう促すか真剣に検討すべきだ」

 司法制度改革審議会には連合の高木氏、主婦連の吉岡氏、作家の曽野綾子氏が入っています。しかし法律の専門家が多くを占めるなかで、彼らがどれだけ影響力を持ったか疑問です。これをもって「幅広い国民の要請を受け」とするのは誤解を招くひどい表現です。国民が要請したことはありません。すべてとは言いませんが、審議会は人選によってほぼ方向性が決まります。人選の過程が問題であり、単純に審議会を尊重する朝日の態度は大変おめでたいものです。

 また、弁護士の就職難を解決するために民間企業や官公庁などへの進出を促すべきだ、とまで主張していますが、これでは「司法を国民に身近で利用しやすいものにする」という当初のお題目から外れてしまいます。朝日の姿勢は司法制度改革を金科玉条のごとく崇めているところが特徴です。

 弁護士の数が増え、相対的に仕事量が減ると、次に起きることは需要を掘り起こすことです。既に消費者金融に対する過払い金返還請求ではテレビ広告が目立つようになりました。しかし多額の手数料を受け取るケースなどトラブルがあり、金融庁は、弁護士の団体に対し、広告のあり方について自主的な改善を要請する方針とされています。

 米国では大規模リコールによって所有する車の評価額が低下したとしてオーナー数百万人がトヨタを相手取って集団訴訟を起こしたとされ、賠償額はAFPによると最大300億ドル(APでは30億ドル)に上る可能性もあると報道されています。日本の感覚ではちょっと考えられませんが、弁護士が仕事を作り出す必要に駆られればこんなことも起こるのでしょう。こうなればどう見ても商売です(法化社会という言葉は司法改革の目標として使われましたが、まさか米国をお手本にしたものではないでしょうね)。

 6倍もの増員によって強い競争状態が生まれれば、特権的職業という意味は薄れ、社会的地位や経済的な安定性も低下すると思われます。一方、弁護士の仕事は依頼者との情報格差が大きいため、依頼者が仕事を評価することは困難であり、任せ切りにならざるを得ません。そのため、弁護士には高い職業倫理が求められます。命を預ける医師が経済合理性を追求しては困るのと同様、弁護士が経済合理性だけで仕事をしたのではちょっと困るわけです。仕事が不足する状況で高い職業倫理を保つことができるでしょうか、衣食足りて礼節を・・・ですから。

 要するに、増員そのものはよいとしてもその量はどのくらいが適当なのか、ということを頭から無視した議論は意味がないと思います。根拠の希薄な3000人合格、6倍増員を無批判に信じ込むような議論は有害ですらあります。

 これらの社説を読む限り、各紙が司法改革を十分理解しているとは思えません。司法改革は国民生活に重大な影響をもつ問題であり、一知半解のまま報道すれば世論をミスリードすることになりかねず、見過ごせない問題です。

 社説は新聞社の意見を代表し、また新聞社の見識を示すものです。それだけにこれらの社説を読むと暗い気持ちになります。

(参考拙記事 算数のできない人が作った裁判員制度)

政界の摩訶不思議

2010-03-11 07:47:00 | Weblog
「平成の脱税王」という称号を頂戴した鳩山首相、ゼネコンからの資金が疑われた小沢幹事長、北教組からの裏金で揺れる小林議員、とまあ多彩な民主党の面々ですが、共通することは自分は全く知らなかったというご主張であり、したがって職を辞する考えがないということです(トップのお二人が先に範を示されたのですから三人目も従うのが自然ですね)。つまり、配下の秘書らが本人に承諾も報告もなく「勝手に」やったというわけであります。

 ごく素直に考えると、秘書などが無断で行った不法行為によって、鳩山首相らは名誉毀損などの甚大な被害を受けたということになります。小林議員の問題はまだ行方がはっきりしませんが、鳩山氏と小沢氏の場合はご本人のみならず民主党の土台も揺らぐほどの影響を受けました。お二人と民主党が被った損害は計り知れません。

 一般の社会では、部下が不法行為を行って会社などに重大な損害を与えた場合、その上司は部下の責任を追及するのが普通です。たとえ会社のためという動機であっても許されるものではありません。そして上司も監督責任を問われます。

 ところが不思議なことに鳩山氏や小沢氏が不法行為をした当人を叱責したり非難したという話は聞こえてきません。まして秘書らを相手に訴訟を起こしたという話も知りません。それどころか石川議員の進退問題が浮上したとき、小沢氏は本人の意向を尊重すると述べ、優しい心遣いすら感じられましたが、これはやはり不自然です。

 本人達が全く知らなかったと主張するのなら、せめて違法行為をした秘書らを非難し制裁するところを見せる努力をすべきではないでしょうか。表で罪をこれ見よがしに非難し、裏で謝罪・厚遇するということくらいはやらないと不自然さが残ってしまいます。

 むろん非難しないのは、鳩山氏や小沢氏がそろって慈悲深い仏のような人物であるためだ、という可能性もゼロではありません。しかし残念ながら、その見方はいっそう不自然のように思われます。

朝日の転向?(2)

2010-03-08 10:29:56 | Weblog
「日本暴落 恐慌の日」「20XX年 財政破綻の悪夢」

二流週刊誌を思わせる見出しですが、朝日新聞3月7日朝刊の一面を飾った記事の見出しです。記事はパニック小説風に財政破綻に続く大混乱を描きます。

『外国為替市場で円安ドル高が一気に加速。/ 国債が投売りされ、長期金利が跳ね上がった。株価も過去最大の下落幅に。市場は「日本売り」一色となった。
「お札が紙くずになる」「預金封鎖も近々ある」。/ 預金を引き出そうと、銀行には長蛇の列ができた。/ 輸入品などの物価が高騰。ガソリンは連日1㍑あたり10円以上のペースで値上りし、野菜や肉は2倍以上の値段に。/ 工場の操業停止と解雇が相次いだ。銀行は国債暴落で巨額の損失を抱えた。混乱は金融システムに飛び火し、誰にも制御できなくなっていた』

 記事は2面に続き、ここでは現状分析や過去に破綻した外国の例をあげ、破綻が現実のものになる可能性を示しています。週刊誌のような書き方は一流紙としては異例ですが、財政破綻の危険を広く知らせるにはたいへん効果的です。朝日も鳩山政権の政策に危機感をもち始めたのかもしれません。

 財政の危機的状況を知らせることは将来の破綻を避けるために重要であり、来たるべき増税の地ならしとなります。財政破綻が避けられるかどうかは国民が危機感を共有できるかがポイントになります。しかしそれは財政再建よりばらまきを優先する鳩山政権には批判となり、当面、政権には不利に働くと思われます。

 一方、政府は高速道路料金の割引などに投入している税金3兆円を高速道路会社の道路建設にも使えるようにする法改正案を、通常国会に提出するそうです。道路建設に使うため、割引をやめるだけでなく値上げになるという話です。これには小沢幹事長の意向があると報道されています。これは郵政と同様、流れを逆転される方向です。

 高速道路無料化を看板にして政権についた政府が逆に値上げをするということはあからさまなマニフェスト違反であり、ほとんど詐欺のような行為です。この厚顔無恥ともいえる政府方針にメディアがあまり騒がないのが不思議です。その中で、偶然見たのですが、テレ朝の報道ステーション(多分3/4日)はけっこう厳しく批判していたのが意外でした。もしかすると親民主の姿勢が少し変わったのかな、と思わせるものです。

 朝日の内部事情は知りませんが、メディアが路線を変更するのはリスクが伴います。例えば、反自民、親民主の傾向のある人は朝日の記事を心地よく見聞きすることができます。彼らは朝日の固定客であり、朝日は反自民、親民主の好みに合うような記事を配信していれば経営は安定します。半面、客とメディアは互いに影響しあって固定した考えを持つ排他的な集団を形成するので、様々な問題における無用な対立を生む要因になると思われます。歴史問題などはその好例です。

 路線の変更は固定客を失う可能性がありますが、固定客への迎合を少なくすれば信頼度が回復できるかもしれません。07年に朝日の読者信頼度は日経や読売より下の3位に転落しています。
(参考:朝日新聞の読者信頼度、3位転落)

マスコミという名の狼少年

2010-03-04 10:00:20 | Weblog
 「大山鳴動して鼠一匹」。今回の津波騒ぎはまさしくこの諺(ことわざ)の模範例と言えるでしょう。諺を説明する好例として教科書にでも載せればよいと思います。

 マスコミ各社は津波の襲来に備えて最大級の報道を行いました。中でもNHKは朝から晩まで、通常の番組を中止し、ほとんどすべての時間を津波報道に割いて、危機を訴えました。津波による被害をなんとか防ごうという姿勢は「感動的」ですらあります。

 ところがマスコミの懸命な努力にもかかわらず、避難に応じたのは驚くほどの少数です。3月1日の読売新聞 よみうり寸評は次のように書いています。

 『今回のチリ大地震できのう、大津波警報が発令された青森、岩手、宮城3県の36市町村のうち、2町村が避難勧告、34市町村が避難指示を出している。この3県34万人で、避難が確認されたのは6.2%、2万1000人』

 避難した実数は6.2%より少しは多いかもしれませんが、驚異的な数値であることには変わりません。要するにマスコミや市町村、それに気象庁が信用されていないということです。信用度の低さがこれほど明瞭な形で示されるのは珍しいことであり、それだけに実に貴重なデータであると思います。関係者は深刻に受け止めるべきだと思いますが、何故かメディアではほとんど問題にされていません。

 いかに大きな声で叫んでみても信用がなければ意味がありません。信用が大切なのは人も組織も同じで、言動に信用がないということは嘘や誇張が何度も繰り返されたことの反映と考えられます。

 気象庁の波高の予測値が過大であったことについては、予測値を過小に見積もって被害が出るよりは良い、という論調がメディアには目立ちました。これは報道についても過小よりは過大の方が良いのだ、というメディアの弁解の下準備のように聞こえます。

 私の記憶によるとNHKは阪神大震災を境に地震報道のあり方が大きく変わったように思います。震度が1や2、マグニチュード3程度の微弱な地震でも報道するようになりました(NHKラジオではしばしば番組を中断して取るに足りない地震情報が繰り返されます)。まるで地震によるトラウマがあるかのようです。

 今回、避難指示や勧告に従わなかった90%超の人々は自分の判断で行動したのであり、いっそう自身の判断の正しさに自信を深めたことでしょう。この「学習効果」は将来被害をもたらすような大きな津波が到来したとき、深刻な問題になる可能性があります。3mの波高予想で避難が6.2%なら、6mの予想では50%にまで達するでしょうか。今まで10cmや20cmの津波で大騒ぎを繰り返してきた結果、信用はすでに失われていたと考えるべきです。

 この背景には過剰であっても安全策をとっておけば責任を問われることはない、という保身の動機があると思います。気象庁、市町村、そしてマスコミが責任を回避する行動をとり続けた結果、過大に反応が常態化し、避難者が6.2%という低信用度を「達成」したと考えられます。

 この責任回避行動の裏には「安全」を最優先する風潮があります。安全を振りかざして企業や医療を叩いてきたマスコミ自身が安全軽視と言われないために、安全優先に縛られ、危険を誇張した津波報道を続けた結果としての信用失墜であり、自縄自縛、いや自業自得と言えるでしょう。

 まあ理由はどうあれ、このような場合、テレビは迅速な報道機関としての役割をほぼ独占しているわけで、信用がなくなれば報道の役割が果たせなくなります。放置してよい問題ではありません。

若者スピード事故死8割減の背景

2010-03-01 09:35:20 | Weblog
 スピードの出し過ぎを主因とする16~24歳の若者の交通死亡事故が激減しているそうです。2009年は10年前に比べて81%の減少で、これはピークの90年比では実に93%の減少となっているそうです。

 若者の車離れやパソコンやゲームで家にこもることが多くなったためなどと説明されているようですが、この減少率の大きさはそれだけでは説明できないようにも思われます。また秋田県のナマハゲが近年おとなしくなり、荒々しさが消えて草食系の新世代が目立つ、と天声人語に載っていました。

 交通事故が減るのはまことに喜ばしいことなのですが、草食系男子という言葉が頻繁に見られるように、若者(男)が子羊のようにおとなしくなったのではないかと少し気になります。中国から日本に留学したら「龍がミミズになり、虎が猫になる」などと言われているそうです。

 16~24歳というと好奇心が旺盛な、血の気の多い年頃です。私にも経験がありますが、スピードを出すのが楽しくてたまらない年代です。当然ながら危険を伴うので、止めた方がよいのはわかっていても、なかなか止められないものです。このような一見不合理とも見える行動は元々若者に備わった性質に基づくものと考えられます。自動車保険の保険料は20歳前後で極端に高くなっているのはその裏付けです。

 ところで、サルの群れを観察している人の話ですが、食べ物の食べ方など生活様式の変化の試みはほとんどが若いサルによって始められると聞いたことがあります(真偽は不明)。

 生物が環境の変化に適応していくためには自らを変化させることが必要です。冒険心に富み、型にはまらない若者の性質は社会にとっては様々な可能性を試みる機会をもたらすもので、集団の環境への適応に関して積極的な意味を持つものと思われます。それは生物が突然変異によって環境に適応してきたのと似ています。

 事故は減ったとしても、冒険好きの元気な若者が減ることは必ずしも喜べません。何がその背景にあるのかは難しい問題ですが、たぶん複数の要素が関係しているものと思われます。おそらく教育も無関係ではないでしょう。

 先日、若者をフィリピンやネパールなどの途上国に滞在させて、援助活動をする計画に関わっているカソリック教会の方と話す機会がありました。若者にとっても様々なことを学べるよい機会なのですが、外国で100%の安全はあり得ず、それを関係者に理解してもらうのが難しいということを話されていました。

 近年、ずいぶん安全な世の中になりました。けれど100%の安全などあり得ません。しかしマスメディアは100%の安全があたりまえという姿勢で報道します。その結果、例えば公園の遊具での事故があると他の種類の遊具まで一斉に取っ払うというような強い反応を招きます。

 途上国への派遣に限らず、リスクに対してあまり厳しくすると、教育上の制約となることは考えられます。日本社会が安全志向のあまり過保護体質になっているような感もあります。これらのことは若者の草食系化の背景として疑われるという程度であり、むろん推測の域を出ません。まあ角を矯めて牛を殺すということにならなければよいのですが。